第49話 新学期④

 文化祭の出し物の話もそこそこに、僕達の本来の目的である文化祭バンドことSKcat(スキャット)の練習が始まった。


 何気にこのメンバーで他人の曲を合わせる機会は殆ど無かったので新鮮な気持ちで演奏できた。


 一通り流して演奏してみて、あとは奏が出した曲を演奏するだけとなったところで奏がストップをかける。


「あの……このタイミングで申し訳ないんだけど、オリジナル曲じゃダメかな? バラードだからサクシの方だと使いづらくて」


 特に嫌だと言う人もいないので、皆で集まって奏の携帯スピーカーの音に耳を澄ます。何度聞いても良い曲だと思う。イントロから最後までずっと、ピアノが綺麗な旋律を奏でている。あくまでピアノとメロディが主役。他のパートは引き立て役だが、うまいことバンドサウンドを活用して厚みを出している。


「これ……本当にいいのか? こんなにいい曲なのに」


 永久が唇を震わせながら言う。僕も同じ意見だ。文化祭で披露すると、正体を明かすまでサクシでは使うことが出来なくなる。


 奏はサクシでは売れ線の曲、つまり大衆受けする曲を書いていると自分でも言っていた。この曲も万人に刺さる曲だと思うのだが、奏の中ではサクシのリスナーに届ける物ではないと感じているのだろう。


「いいんだ。イメージと違うし。良い曲だけど売れる曲じゃないからね。これはお父さんとお母さんだけに聞いてもらえればそれでいい曲なんだ」


 彩音と千弦はなんの事やらという感じだが、永久はその意味を察したようだ。


「なるほどな。じゃ、やるか。いつも通りに譜面はあるんだよな」


「モチのロンだよ。はい、これね」


 奏はこうなる事を見越していたかのように譜面のコピーを配って回る。


「奏吾くんは譜面いる? 今聞いてもらったのはデモだから、もう少し自分のパートをブラッシュアップしてもらって、それを打ち込みに反映したいんだ」


 ベースのところは僕が完成させて、譜面にメモを残してほしいのだろう。だが、生憎譜面を読むことができない。


「僕、譜面読めないんだよね」


「了解! じゃあ完成したら録音させてもらえるかな? それで私が打ち込むからさ」


「う……うん。分かったよ」


 永久が奏にバンドの雑務を振らなかった理由が分かった気がする。とにかく曲作りの面で妥協をしないのだ。良い曲を作り上げるためならどんな労力も惜しまない、という顔をしている。


 そして僕は今、始めてサクシの曲作りの現場に居合わせた事になる。奏がデモを作り、皆でアレンジを加えていく。これまで僕が聞いてきた曲もこういう風に作られたのかと思うとなんだかグッとくるものがある。他のメンバーにとってはいつも通りのルーティンなのだろうが僕にとっては新鮮な体験だ。


 急遽ではあるが、曲作りが始まった。皆、イヤホンをして奏のデモを聞き込みながら、視線は譜面に釘付けになって自分のパートを頭に叩き込んでいる。


 僕は譜面が読めないので、少ない時間で必死に耳コピに励む。細かいフレーズは暇そうにしている奏に聞いて教えてもらった。奏は少しならベースも弾けるらしい。これも努力の賜物なのだろう。


 三十分くらいすると曲のインプットが終わった。皆も既に完了したようで、デモ版で早速合わせる。


 皆で演奏すると、奏が作ったデモと似た音が綺麗に鳴る。既に少しだけアレンジを加えている人もいる。だけど、何かが物足りない。「何か」という曖昧な言葉にするのは嫌なのだけど、漠然としたモヤモヤしか見えない。自分でも気持ち悪い感覚に首を傾げる。


「奏吾。何かありそうだな。奏のためなんだからきちんと言った方がいいぞ」


 永久の言葉をきっかけに皆の方を向く。


「何かが足りない気がするんだ。漠然としてるんだけど。メロディもいいし、曲の展開も工夫されてるし良いと思うんだけど。バンドにすると何かが欠けちゃった気がするんだ」


「打ち込みの方が良かったってこと?」


 奏は驚いた様子で聞いてくる。怒ってはいないみたいだ。単に驚いていて、発言の趣旨を知りたい、という様子だ。


「平たく言えばそうかな……デモ版もあくまでデモだから改善する余地はあると思うんだけど、今の方向じゃない気がしたんだ」


 永久が大きく息を吐きながら「うーん」と言って割り込んでくる。


「多分だけどな、この曲をどうしたいのかって所が五人でバラバラなんだよ。この曲は奏が親に向けて書いた曲なんだろ? 私達もそこを念頭にやらないと方向がブレるんだろうな。サクシの曲作りとは違うってことだよ」


 僕のモヤモヤを永久はそれとなく言語化してくれた。僕の感じていた事もそれに近い気がする。


「それってどうしたらいいの? 結局のところ精神論で、それを演奏にどう落とし込むか分からないんだけど」


 彩音の意見はもっともだ。


「じゃあ、各パート個別に奏とマンツーマンでアレンジを詰めていくか。純度百パーセントの奏の思いを詰め込めるようにな」


 多分だけど、サクシの曲作りにおいて、奏はデモ版を作った後は他のメンバーの感性を優先しているのだろう。完成版まで口を挟みすぎると奏だけの曲になってしまい、サクシとしての曲にならないのかもしれない。さっきの演奏も、奏の曲をたたき台にして好き勝手に各自で自分の想いを詰め込んでいる感じがした。


 僕も永久も奏の背景を良く知っている。良く知っているが故に、この曲を「サクシらしく作ったサクシらしい曲」にする事に違和感を覚えたのだと思う。


「私が一番ピンと来てないんだけど、とりあえずドラムからやればいいかな? 彩音にそれっぽく叩いてもらってもっといい感じのフレーズを見つける、って感じかな」


 奏は天井を見上げながら永久の主張を噛み砕いている。


 勉強のように公式がある訳でもないし解答例がある訳でもない。音楽理論から外れていようと、それが奏が良いと思ったら正解なのだろう。


 アーティストと言うのはこういう事なのか、と片鱗に触れた気がする。


「それでいいと思うよ。奏が表現したい事があるはずだから、納得出来るまでパート毎に詰めていくしかないんじゃないかな」


 奏の目を見ながら背中を押す。多分、これは奏が作曲家として成長するチャンスなのではないかとも思った。


「でもいいのかな……そもそもトワイライトをケチョンケチョンにするのが文化祭でライブする目的だったよね」


「その目的と奏の件は両立できるからね。コピー曲でトワイライトを倒して、奏のオリジナル曲で両親を倒せばいいんじゃないかな」


「音楽で親を倒すって……笑えるね」


 我ながらアツい話をしたものだと思う。永久のそういう所が感染ったのかもしれない。


 奏は譜面を持って彩音の側に歩いていく。ここからは時間がかかりそうだ。


 イントロの一音から二人で会話を始めている。永久と千弦と三人でその場から離れて椅子に座り、二人の様子を遠巻きに眺める。


「奏吾、良いこと言うじゃねえか。見直したぞ」


「永久のおかげだよ。奏には、この曲と際限がないくらいまで向き合って欲しいんだ」


「奏吾くんもメンバーって感じになってきましたね。音楽室でオドオドと弾いていたのが遥か昔のようですよ」


「そんなに頼りなさそうでしたかね……」


「はい。少しだけ」


 千弦は口を手で隠しながら笑う。冗談なのだろうけど、ぐさりと来る発言だ。





「出来たー! 次はベースだね」


「……ふぁぁ……やっとかよ……ってもうすぐ下校時間じゃねぇか」


 永久が時計を見て驚いている。どうやら寝ていたらしい。


 彩音と奏の議論が白熱していたので僕も机に突っ伏してボーッとしていた。窓から外を見ると、真っ暗な闇夜にグラウンドの照明が光っているのが見える。


「うーん……リズム隊だけは仕上げたいんだよなぁ……そうだ! 奏吾くん、今から家に来ようよ! ご飯もあるからさ!」


「おぉ! これは大胆なお誘い」


「何が起こるんでしょうね」


「熱い熱いセッ……ションが始まりそうだな。夜通しやりまくりだろうな。やべぇよやべぇよ」


 千弦と永久で勝手に盛り上がっている。彩音はため息をつきながら茶化す上級生を冷めた目で見ている。


「ちょっと二人共やめてよ! 私は純粋に曲作りをしたいだけで、そういうのじゃないから!」


「作るのは曲だけにしとけよな」


 永久はガハハと笑いながらドぎつい下ネタを放り込んでくる。会社の上司とかだったら余裕で勝訴できそうなセクハラ案件だと思う。


 奏はむくれた顔で荷物をまとめると一人で部室の扉に手をかける。


「奏吾くん! 家で待ってるね!」


 ニッコリと僕に微笑みかけると、永久と千弦に向かってあかんべえをして部室から出て行った。


「嫌われちゃいましたね」


「あんなに怒ったところは見たことないけどな。図星だったかにゃぁ」


 二人共まったく気にしていないようで、ニヤニヤしながら扉の方を見ている。彩音もため息をつくだけで止めようとはしないし、このくらいで壊れる信頼関係ではないのだろう。


 ゆっくりと荷造りをして、四人で学校から出る。千弦の言っていたお化けが出る話は嘘だと思っているが、それでも夜の校舎を歩くと少し恐怖を感じてしまう。


 校門のところで三人とお別れした。キョロキョロと周囲を見渡し、お化けがいないか確認しながら一人で奏の家に向かう。




 奏の家の門はいつ見ても荘厳だ。ピンポンを押すと少しして声が聞こえた。


『奏吾くん。近くに誰かいる?』


 お化けが出ないかとソワソワしながら来たので背筋が寒くなる。


「いや……人間は僕だけだよ。お化け、見えるの?」


『何言ってるの……どうぞどうぞ、入って』


 どうやらお化けが見えている訳ではなかったらしい。


 ロックが解除された門を開けて、玄関のドアを開く。家の中の明かりが差し込み始めたくらいで奏が僕向かって駆け込んでくる。そのまま僕の胸元に顔を埋めてきた。まだ風呂には入っていないのだろうけど、頭からなのか体からなのか、ほのかに甘そうないい匂いがした。

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