第46話 新学期①

 夏休みが終わってしまった。暦が八月から九月に変わっただけだが気分だけは涼やかだ。実際はまだまだ暑い中を歩いて登校する事になるのだが。


 久しぶりに入った教室もまだエアコンがフル稼働していた。エアコンの少し独特な匂いと教室の人口比の九割を占める女子達の制汗剤の匂いが混ざりあったこの空間に懐かしさを感じる。一ヶ月強の夏休みは、まるで半年間も続いていたように濃い期間だった。


 クラスメイトはむしろ学校の再開を待ちわびていたかのように早々と登校していた。奏もいつものように席に座って本を読んでいる。


「おっす! 今日もいつも通りだね」


 席に着くと隣の席からいつも通りにポニーテールの奏が話しかけてくる。前髪もこまめに手入れしているのか、眉毛のあたりから長さが微動だにしていない。


「奏もいつも通りだね」


「まあね。てか、ちょっと前に部室で会ったからそんなに変わるわけ無いか。ねえねえ、それよりこれ聞いてみてよ」


 奏が携帯に刺さったイヤホンを渡してくる。耳につけると、イヤホンの線が二人の机の間にかかる橋のように垂れる。


 奏が携帯の画面をタッチするとイヤホンから爆音で音楽が流れ始めた。あまりの大きさに体を震わせてイヤホンを引き抜く。


「音でかいよ……」


「ありゃ、ごめんね」


 床に垂れたイヤホンを拾いながら、奏が携帯の音量を調整している。笑っていないのでいつものイタズラではないらしい。普段からこの音量で聞いているのだろう。


「耳、悪くなるよ」


「はーい。分かってまーす」


 親に怒られた娘のように唇を尖らせている。


 もう一度、奏がイヤホンを渡してくるので恐る恐る耳につける。一般的な音量まで下がっていた。聞こえてきたのは前に奏の家に泊まったときに聞かせてくれた曲だ。親子で歩いた夕方の川辺をイメージした曲。


 サクシのようなギターをフル活用した曲とは違い、ピアノを全面に押し出した構成になっている。歌も自分で入れている。普段のサクシの曲作りを知らないけれどメロディラインもこんな風に奏が作って入れているのだろう。


 ゆったりと流れ、夕焼けが反射する川面が思い浮かぶ。向こう岸を歩いている三人組が奏と両親だ。そんな情景が思い浮かぶ。サビの後にはピアノのソロもあり、奏の作曲センス、演奏技術のどちらも遺憾なく発揮できる曲だ。


 聞き終わった後も余韻に浸り続けられる。ゆっくりとイヤホンを外す。手から力が抜けず、イヤホンの線で橋がかかったままになる。


 奏のバックボーンを考えながらもう一度頭の中でさっきの曲を噛みしめる。温かみや辛さ、寂しさ。色々なものが混ざり合っているようにも聞こえてきて、自然と目が潤んできた。


「この紐、邪魔なんだけど……ってアンタなんで泣いてんのよ……新学期早々気色悪いわね」


 登校してきた彩音が僕と奏の席の間を通ろうとしたらしい。そのまま奏の膝の上に座った。彩音の足が浮かんでいるのを見て、二人の体格差を実感する。


「奏吾くんね、席替えで私と離れるのが嫌なんだってさ」


「私は奏と隣同士がいいな」


「おぉ。じゃ、横に三人で並ぶといいね。真ん中は私で」


 新学期早々に席替えをするらしく、黒板に大きくその旨が書かれていた。奏が彩音の頬を突きながら理想の席配置を説明してくる。どこまでも指が入っていくんじゃないかと思うくらいにフニフニとしていそうな頬だ。


「私くじ運ないからなぁ……あ、そろそろ先生来るかな」


 彩音はそう言うと奏の膝から立ち上がり、教室前方の自分の席の方へ歩いていった。


 奏はイヤホンを八の字巻で片付けながら僕の方を見てくる。シールドやケーブル類を巻くときの癖で僕もイヤホンを八の字巻で収納するのだが、この巻き方をしている人を見ると仲間意識が芽生えてくる。携帯や音楽プレーヤーにイヤホンをぐるぐる巻きにするタイプの人とは分かりあえそうにないと思う。


「さっきの曲の事はみんなには秘密ね。放課後の練習で驚かせたいんだ。文化祭のバンドでやってみたくて。どうかな?」


 サクシで使うタイプの曲ではないが、良い意味で文化祭に持っていくクオリティではないと思う。


「本当にいいの? ここで使っちゃったらあっちじゃ使えなくない?」


 文化祭で演奏した後にサクシで同じ曲や似た曲を使うと、パクリだと言われかねないし、正体もバレる恐れもある。


「うーん……これ、いい曲だもんなぁ……」


 奏は腕を組んで悩み始めた。


「でも、これって両親の事を思って書いた曲なんだよね? だったら、両親に聴いてもらえる形で披露したらいいのかなって思うな。それが文化祭なのか、別のライブなのかは分からないけど」


「そのつもりだったんだけどね。文化祭に呼ぶのが手っ取り早そうなんだけど勇気が出なくてさぁ」


 何となく考えていることは同じみたいだ。後は背中を押すだけなのだろうけれど、万が一にも悪い方に転んだ時が怖い。今日聞かせてくれたのも勇気づける言葉をかけて欲しかったりするのだろうか。


 結局どうするのか結論は出ないまま、先生が教室に入ってきたので話が打ち切られた。


 新学期の挨拶もそこそこに二学期の予定について説明があった。十月の文化祭に始まり、テストを挟んで林間学校があるらしい。泊まりのイベントがあるなんて初耳だ。先生の説明もモゴモゴと歯切れが悪かったので何か大人の事情がありそうだ。


 話すことが多いようで駆け足気味に説明が終わり、席替えの時間となる。


 くじを引いて番号と対応する席に移動する。窓側の列の後ろから二番目を引いた。中々いい席だと思う。奏は不幸にもど真ん中の最前列を引いたらしい。よぼよぼと移動していった。


「よりにもよってアンタなのね……」


 彩音が顔を歪ませながら僕の右隣の席に座ってくる。そんなに嫌なのかと思って横を見ると、後ろの席の人が目に入った。熊谷さんと日山さんだ。グループワークは近くの席で固まってやることもあるし、最悪なメンバーが揃ってしまった。彩音も後ろの人を認識して顔を歪ませたのだろう。見事にクジ運の無さを発揮している。


 席を移動してすぐなので、皆近くになった人と話していて教室がざわついている。歪な男女比のために、数人しかいない男子は教室のあちこちに散らばってしまい、気軽に雑談が出来る位置にはいない。二学期にもなると入学時に抱いていたモテモテハーレムという希望が打ち砕かれた人しかいない。マイノリティは肩身の狭い思いをするのが世の常だ。


「やっほ。彩音、席変わろうよ。そこだと黒板見えないでしょ? 先生に許可はもらってるからさ」


 前の席にいた奏が彩音の側にやってきた。指差すのは教室ど真ん中の最前列だ。彩音は言われるやいなや頷き、立ち上がって最前列の方に移動していった。


 僕の後ろにいる二人と引き離すための奏の策なのだろう。彩音から移動したがると波風も立つだろうし、これが最適解だと思う。


 奏は席に座るとチャームポイントの八重歯をむき出しにして笑いこちらを見てくる。


「いやぁ、偶然だねぇ。また隣になるなんて」


「偶然も何も自分で変わったんじゃん」


「アハハ……そうだけどさ、もっと喜んでよぉ」


 奏は笑顔を崩さずに後ろを向く。


「日山さんと熊谷さんもよろしくね!」


 にこやかではあるのだが、一種の宣戦布告のようにも見えてしまい、女子同士の戦いは水面下で行われているのだろうと推察してしまう。


「和泉さーん! 近くになるのって初めてだね。よろしくね。よく蓮が和泉さんの事、噂してるよ」


「えぇ!? 蓮く……向谷君とはライブハウスで話したくらいしかないんだけどなぁ」


「狙われてるんじゃないの? 和泉さん可愛いからさ」


「えー。でも向谷君って彼女いるしなぁ」


 そこで話は打ち切りだと言いたげな態度で奏は前を向く。折しも、先生が話し始めるタイミングだったのもあり、後ろの二人も会話を打ち切られたとは思ってないだろう。


 奏はスクールカーストの外側にいるような存在で、どんな人とも普通に話せるけれど僕や彩音とつるむ事が多い。どうやったらそのポジションに付けるのか気になるところだ。


 もう一つ気になるのは蓮の事だ。奏は蓮のことを下の名前で呼びかけて訂正していた。そう呼んでいたのを隠したいかのようだ。僕の中で色んな出来事が点となり、線で繋がれていく。


 奏には好きな人がいる。それは蓮の事ではないかと思い始めた。彼女がいる事を知って告白する事を躊躇っているのではないだろうか。蓮もバンドでキーボードを担当しているし作曲もしているから何か近いものを感じているのかもしれない。


 トワイライトを抜けた後も蓮から絡まれることが多かったが、あれは僕ではなくて奏目当てに絡んでいたのではないだろうか。考えたくはないが両思いという可能性もある。蓮には芽衣子がいるけれど、前から扱いが酷かったので、大して好きでもないのだろうという感じはしていた。


 僕の仮説が正しいとして、素直に応援できない気持ちが強い。自分の元から奏が離れていくのが嫌なのかもしれないし、ただ単に蓮の事が嫌いだからなのかもしれない。ベースを構える位置で良し悪しを判断するのはナンセンス極まりないからだ。 


 そんなモヤモヤを抱えながら先生の話に耳を傾ける。どうやら文化祭でのクラスの出し物を決める必要があるらしい。


 まずは全体のリーダーを決めるそうだが、誰も立候補しない。リーダーなんてやった日には文化祭まで、毎日ではないとはいえ放課後を使って準備に追われることになるからだ。席替え中の喧騒が嘘のように教室が静まり返る。


 後ろの席からその静寂を切り裂く声が聞こえた。


「則竹さんがリーダーに向いてると思いまーす」


 声の主は熊谷さんだった。チラリと横を見ると、奏の目つきが険しくなっているのに気づいた。

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