第41話 残暑①

 ツアー後半戦は日本海側からぐるっと関西まで回って各地のフェスやライブハウスに出演した。


 裏方仕事を分担したばかりなのでグタグタになった部分もあったが、永久のフォローもあってなんとか皆も慣れてきた。


 そして、東京での最後のライブを終えて地元に戻ってきたのが昨日だ。大きなトラブルは無く、強いて言うなら永久が僕と恭平を間違えてお兄ちゃんと呼んでしまったことくらいだ。


 家に着く直前に思い出したのだが、宿題が何一つ終わっていない。夏休みはあと一週間もないのだ。


 帰りの車中で彩音と二人で焦っていると、奏はすまし顔で「終わってるよ」と言う。どこで時間を捻出したのかまるで想像がつかない。


 兎にも角にも、そんな訳で図書館で宿題を終わらせる会が開かれることになった。




 リュックで密閉されていた背中に服が張り付いている。自転車で図書館まで来ることを選んだのは失敗だったと思う。素直にバスで来ればよかった。


 Tシャツを仰いでお腹から空気を流し込んでいると、図書館の入り口で彩音と合流した。


「うわ……汗臭そう……」


 彩音は不快そうに顔を歪ませてそう言うと、制汗スプレーを僕に向けてくる。ゴキブリやハエもこんな気持ちなのだろう。手を上に挙げると脇や横腹にスプレーを噴射してくれた。女の子用だからなのか柑橘系のいい匂いがする。


 制汗スプレーを貸してくれるし、怪我をしたらすぐに絆創膏を出してくれるし、くしゃみをするとポケットティッシュをくれたりもする。普段から弟の世話を焼いているのだろうというのが伺える。


「あ……ありがとう」


「いいのよ。横からプンプン臭うほうが嫌だから」


 彩音は鼻をつまんで僕から離れていく。今は臭くないはずなのだが。ツアーでそれなりに皆との仲は深まった気がしている。だが、彩音とは微妙に距離を感じてしまう。


 友達ではあるけど親友ではないし、ただのバンドメンバーなのだからこのくらいの距離感が普通なのだろうか。そういう意味だと他の三人の距離感がぶっ壊れているだけなのかもしれない、と勝手に納得してしまう。


 彩音は、エアコンをガンガンに効かせて一緒の布団で寝ようともしないし、警察っぽい人が来たからといって抱きついても来ないし、モッシュのど真ん中にも行こうとしない。


 期末テストの一件で彩音も向こう側の人だと思い始めていたが、やっぱり一番まともなのは彩音だと再認識しつつある。


 外は暑いのでロビーで待っていると、ドタバタと奏が走りながら図書館に入ってきた。どこから走ってきたのか分からないが、頬がかなり紅潮していて、肩で息をしている。


「ごめんごめん……完全に寝坊してたよ。ん? なんか二人共いい匂いだね。同じ匂い……まさか!?」


 クンクンと僕と彩音の体を交互に嗅ぐと、離れながら何かに気づいた顔をする。


「ど、どうしたの?」


「これは……限定品で店をハシゴしても手に入らなくなってるやつじゃないの!? 彩音、どうやって手に入れたの!?」


「弟がプレゼントしてくれたの。私がフェスに行ってる間、あちこちのドラッグストアを見に行ってくれたんだって」


 彩音は本当に嬉しそうだ。僕に振りかけてきたのも自慢したかったからなのかもしれない。女子の中の流行なんて知らないのだから反応しようがなかった。それにしても弟の話をする時は本当に良い顔をして話すと思う。


「弟君、いいやつだねぇ。彩音って意外とブラコンだよね」


「ちっ、違うわよ! 弟達が心配なだけでブラコンとかそういうんじゃないから!」


 必死に訂正してくるので本当にそうなのではないかと思えてくる。


 彩音の家のほのぼのエピソードで僕と奏もホッコリした顔になったのも束の間、奏がエンジンをかける。


「さてと、やりますか!」


 気合を入れているが、奏は既に宿題が終わっている人なので何もすることはないはずだ。




 四人がけのテーブルを占領して宿題に取り掛かる。同じ宿題をやるので隣に彩音が、斜向かいに奏が座った。


「奏様……例のブツをお願いいたします……」


「うむ。よかろうぞ」


 奏は仰々しくカバンから冊子を取り出す。英文法のワークブックだ。学年トップの奏が回答したということは答えとほぼ相違ない代物だ。


 早速中身を拝見しようと手を伸ばすと、奏に手を叩かれた。


「こら。まずは自力でやるんだよ。終わらなさそうだったら見ていいから」


 甘やかすつもりはないらしい。彩音は僕を馬鹿にするように鼻で笑っているが、彼女も手を伸ばそうとしていたのはバッチリ見ている。仕方ないのでワークに取り掛かることにした。


 奏は既に宿題を終えている。何をするのだろうと思ってみていると、大量の本を持ってきた。表紙から察するに社会福祉士に興味があるらしいが、質問をすると宿題が進まなさそうなので何も聞かないことにした。






 三時間くらいでやっと半分のところまで来た。奏に聞くと分かりやすく教えてくれるのでとてもありがたい。


「休憩しようよ。もうだめだわ……」


 彩音が机に倒れ込む。さっきから何度も心が折れそうになる度、奏が鬼軍曹のように鼓舞していた。それでも今回ばかりはダメそうだ。


「そうだね。私ね、お菓子持ってきたの。あっちで食べようよ」


 奏は鞄の中から紙袋を取り出した。パッケージに日本語が見当たらないので海外のお土産だろうか。


 大きな声で話をしても怒られないロビーに移動する。夏休みだからなのか、同じように高校生らしい人が溜まっている。一つのお菓子の袋をシェアしている男女混合の集団が輝いて見える。ある集団はポッキーゲームをやっている。不純異性交遊だ。


「うわぁ。リア充だよ、リア充」


 奏も僕と同じ方を見ながら眉間にシワを寄せている。


「塩でも撒いてこようかしら」


 彩音も僕達の視線の先にいる集団を視認したようだ。二人共、捻くれていて素直に羨ましいと言えないみたいだ。ほぼ女子校みたいなものだから出会いがないので仕方ないのかもしれないが。


「あ、でもここには奏吾くんがいたね」


 取ってつけたように奏が僕の存在に触れてくる。


「いてもいなくても気にならないけどね。塩撒いたらいなくなるかな?」


 彩音は人をナメクジか何かと勘違いしているらしい。


「そんなこと言ってるけど、二人共羨ましいだけなんでしょ」


 二人の視線が一斉に僕を捉える。


「そっ……そんなんじゃないから! アンタ、馬鹿じゃないの。今は興味ないだけなのよ」


「そうだよそうだよ! バンドに青春を捧げてるっていうのかな! 私は鍵盤が恋人だからさ」


 必死に否定している姿が涙ぐましい。いつもケチョンケチョンにいじられて終わるので、たまにやり返すとスカッとする。


「そ、そんな事よりお菓子って何なの?」


 彩音が無理矢理話を逸らす。だけど僕もお菓子の事は気になっていたので二人を深追いはしない。


「ふっふーん! これです!」


 奏はニヤニヤしながらお菓子の袋の中から一枚のクッキーを取り出す。


「うぇぇえ……虫じゃん……」


「これ、本当に食べられるの? 見た目がエグすぎない?」


 彩音と僕は同時に拒否反応を示した。それもそのはずで、クッキーのど真ん中に立派なコオロギが埋め込まれていたのだ。味云々以前の問題で、そのビジュアルが食欲を失わせる。


「意外といけるんだ。お土産でもらったんだけどね。エビみたいな味だよ」


 そう言って僕達にクッキーを差し出してくる。せめてコオロギを砕いて混ぜてくれればチョコチップと割り切る事もできるのだが、これはさすがに無理だ。


「とりあえず奏が一枚食べてみてよ」


 彩音がキラーパスを出した。


「そうだね。奏が先に食べてみて」


 当然、僕もそのパスを受け取って奏に球を渡す。


「えぇ……いや、私はさ、もう家でたくさん食べたから飽きちゃったんだよね。いやぁ、お腹いっぱいだなぁ。食べたかったんだけどなぁ」


 大きな目を右往左往させながら言い訳をしている。これは明らかに食べていない人の反応だ。エビの味というのも適当なネットのレビューから引用しているのだろう。


「大方、青木さんがお土産でくれたけど、見た目がこれだから食べられない。でも捨てるに捨てられないからこの場で僕達に食べさせて処分しようとした、ってとこかな」


「おぉ! 名推理だね。全部正解だよ」


 奏はすぐに白旗を上げた。


「青木さん?」


「あー……親戚のおばさんだよ。ま、そんな事はいいから早く食べてよ。ほらほら」


 奏は青木さんの事を濁した。どうやら彩音は奏の家庭の事情を知らないらしい。永久も親の事は皆に教えていないみたいだし、サクシのメンバー間でもプライベートなことは意外と伏せているみたいだ。


「こうなったらみんなで同時に食べましょうよ。奏も人生経験だと思って。いい歌詞が書けるかもしれないわよ」


 彩音が真っ当な提案をしてくる。コオロギを食べたらまずかった体験を書いた歌詞なんて千弦は歌いたくないだろうが。


「よし……食べるぞ! まずは一枚ずつね」


 そう言って奏がクッキーを配ってくる。コオロギがクッキーに埋め込まれている。何度見てもこのビジュアルに慣れることはないのだろう。


「じゃ、いくわよ。せーの!」


 彩音の合図で一斉にクッキーを口に放り込む。二人共咀嚼に勇気がいるようで、目を思いっきり瞑っている。恐る恐るだが、唾液が染み込んでクッキーがふやける前に、生地と一緒にコオロギを噛み砕く。


 クッキーの甘みと素揚げされたコオロギの塩気がいい塩梅だ。コオロギだと言うことを差し引けば美味しい食べ物だと言える。


「あれ……美味しいわね」


「うんうん。いけるね。こりゃ食わず嫌いだったなぁ」


 二人も良い反応をしている。誰もゲテモノを食べた後の芸人のようなオーバーリアクションはしていない。味に問題がないことが分かると、我先にという感じでパクパクとコオロギクッキーを口に放り込んでいく。


「ちょっと待って。これはみんなでお菓子をシェアしたことになるよね? つまりあそこにいるリア充と同じということになるのでは……」


 奏はやってやったと言いたげなドヤ顔を披露してくる。だが、リア充はコオロギを食べない。万が一、食べることがあっても罰ゲーム扱いだろうし、こんな美味しそうに食べるわけがない。


「ゲテモノ食いしてる時点で陰キャでしょ」


 彩音が言葉の刃でバッサリと切り伏せる。奏のリア充への憧れもそうだが、意外とサクシは陰キャの集いなのかもしれないと思った。

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