第42話 残暑②

 勉強会を終えて帰路につく。なんとか英文法のワークを終わらせることが出来たので、残りは自宅で終わらせることが出来そうだ。


 さっさと帰って宿題の残りをやりたかったのだが、当然のように奏に家まで送るように言われた。どうせまたゲームの相手をさせられるのだろう。彩音と別れて、二人で奏の家に向かう。


 八月も終わりに近づいたとはいえ、まだまだ日は長く図書館を出てからも長い影が自転車を押す僕と奏を追いかけてくる。


 自転車の二人乗りをせがまれたが、楽しい夏休みを何事もなく終えたいので断った。こんな事で警察のお世話になりたくない。


「うわぁ。また出てきたよ。羽かな。あー、でもギザギザしてるし足先かなぁ」


「その部位予想やめてよ……」


 奏が口の中に指を突っ込む。僕も同じ現象に悩まされている。コオロギの破片が歯の隙間に挟まっていて、忘れた頃に出てくるのだ。早く家に帰って歯磨きと歯間ブラシを丁寧に済ませたい。


 味は悪くなかったのだが、口の中から破片が出てくる度、奏がどの部位なのか予測するのでコオロギのフォルムを思い出してしまい、どうしても嫌な気分になってしまう。


「そういえば、青木さんの事って彩音は知らないんだね」

 

 なるべくコオロギの話題から離れたかったのだが、そもそもこの状況を作り出したのは青木さんのお土産のせいだった事を思い出す。


「知らないよ。お互いにそういう話はしないからね。彩音はバイトばかりしてるし弟君はたくさんだし色々大変そうだな、ってくらい」


「意外だね。付き合いも長そうだから」


「長さは関係ないよ。現に奏吾くんには話してるじゃんか」


 言われてみればそうだ。永久も千弦も彩音も色んなことを僕に打ち明けてくれている。長さは関係ないというが、付き合いが浅いほうが話しやすいこともあるのだろう。


「ねぇ。そんなことより、コピバンで何の曲するか決めた?」


 奏が話をそらす。永久がツアー前に言っていた、文化祭で披露する曲のことだ。


「うーん。まだ考え中かな。サクシの曲が好きなんだけど、コピバンじゃなくなっちゃうもんね」


「ただ本人達が演奏してるだけだね。奏吾くんってたまに天然なこと言うよね」


 いたって真面目に考えたことを話しただけなのだが、奏のツボに入ったらしい。ゲラゲラと笑いながら奏の家に続く坂道を上っていく。


 奏の家に到着した。見た目に反して軽々と動く厳つい門の前で奏と向き合う。


「じゃ、今日はありがとうございました。寄ってく?」


「残った宿題を終わらせないとだから帰るよ」


「えー。ウチでやってけばいいんじゃんかぁ。寄ってく?」


 分かってはいたが、奏の「寄ってく?」は「寄ると答えるまで言い続けるから早く承諾しろ」ということの言い換えらしい。苦笑いをして自転車をガレージの方に入れようとした時、奏の家から誰かが出てきた。


 青木さんかと思って奏と並んで門を凝視する。コオロギクッキーについて少し感想という名の嫌味を述べようと思っていた。


 だが、出てきたのは青木さんとは似ても似つかないおじさんだった。ゆるいウェーブがかかったセンター分けの髪の毛と無精髭がアーティスト感を醸し出している。


「お父さん、久しぶりだね」


 予想通りの人物だった。このおじさんは奏の父親だ。和泉直樹(いずみ なおき)。検索すればこの人の功績はごまんと出てくる。奏の過去を聞いてからというもの、何度も検索していたから、すぐに顔と名前が一致した。


 奏は仲の良い父親に話しかけるような声色だ。普段一緒に生活していないとは思えない。むしろ、週末は一緒にショッピングモールやレジャーに出かけていそうな雰囲気すら感じさせる。


「ああ、奏か。元気してるか」


「うん。青木さんのおかげでなんとか生活できてるよ」


「そうか。口座の金が足りなくなったら言ってくれ」


「うん! いつも悪いね! 次はいつ帰ってくるの?」


「あぁ……まぁそのうちな」


 奏の態度に対して、直樹さんの方はかなり余所余所しい。目も合わせずに話しているし、金の話だけすると面倒そうに話を切り上げたがっているようにも見える。


「その人は彼氏か?」


 話を切り上げたいとはいえ、娘の隣に立っている僕をスルーする事は出来なかったらしい。僅かでも親心が残っていた故の質問だと思いたい。


 だが、この発言の真意は親心というより、これ以上面倒事を増やしたくないだけだったのだと気付かされた。


「避妊だけは忘れるなよ。出来てから後悔しても遅いからな」


 僕の中で何かが弾ける音がした。奏からこれまでの話を聞いていてこの人の印象が良くなかったのもあるし、そんな関係でも修復できると信じて健気に話しかける奏の姿も痛々しかった。


 だが、爆発するきっかけとなったのは最後の発言だ。まるで奏のことを揶揄しているようにとれた。奏は望まずに出来た存在だとでも言うのだろうか。


「ふざけないでください! さっきから奏さんの目を見ずに話してますよね。娘の顔も見れないんですか? 本当にそれでも父親ですか? ここで奏さんがどれだけ寂しい思いをして過ごしてるのか、考えたことはあるんですか?」


 直樹さんが僕の顔を見る。奏の顔は見る事ができないのに、赤の他人は簡単に見る事ができるらしい。


「これは家族の問題だ。口を出さないでもらいたいね」


「家族って……目の前に愛情に飢えた家族がいるじゃないですか! それなのに顔すら見ないなんて、何が家族ですか!」


 高校生のガキが分かったようなことを言うなと言いたげな目線を送ってくる。だが、大人だけあって高等な嫌味に変換して言葉にしてくる。


「養われているだけの子供には分からないこともあるんだよ。君だって、彼女の家が広くてゲーム機は揃っていて好きに遊べるし、やりたい放題だろう?」


 本人の前で何を言っているのか分かっているのだろうか。奏には親から与えられた金銭的な価値しかない、僕はそれに群がっているだけだと言いたいらしい。思わず手が出そうになるけれど、こんな屑男でも奏の父親なのだ。最低限のリスペクトを持って怒りを抑える。


「価値を付けられるものでしか好き嫌いを判断できないんですか? 奏さんの良いところは、金でもないし、体でもない。優等生ぶってるクセに甘えたがりなところ。ご飯よりもお菓子を優先して食べたり、夜中に大音量で楽器を弾いたり映画を見たりして、誰かに怒られたがっているところ」


 早口でまくし立てたので息継ぎを挟む。


「何より、これだけ愛に飢えているのに自暴自棄にならず、ひたむきに勉強も音楽も努力しているところです。あなたは奏さんのそういう面を知っているんですか?」


「ちょ……奏吾くん、落ち着いて! お父さんってこういう話し方しか出来ない人だから。お父さんも言い過ぎだよ。ほら、笑顔笑顔! スマーイル」


 奏が間に割って入って僕と直樹さんの顔を交互に見て笑う。


 直樹さんは不快そうに顔を歪ませると、何も言わずに去っていった。


 なんだか気まずくて、家の中に入らず、二人で並んで奏の家を囲む塀に背中をつける。奏はずっと無言で下を向いている。


「奏、ごめん。お父さんなのに、あんなこと言っちゃって」


「あ……ううん。いいんだよ。私も何やってるんだろうね。無視すればいいのに、無視できないんだよね」


 奏はヘラヘラと笑いながら頬をかく。


「あ! ねえねえ。さっきのってさ、私の好きなところを挙げてくれたの? 優等生ぶってるのにー、ってやつ」


「えーと……どうかな。怒りで我を忘れてたからなんとも……」


 本当は普段から感じている事を挙げたのだが恥ずかしいので咄嗟に口から出たことにした。


「ふーん。そっか。体も悪くないと思うけどなぁ」


 奏はそう言って自分の胸を横から押してフニフニと寄せては戻す動作を繰り替える。奏の本領はそこではなく膝なのだが、こんなことを語り合える友達もいないので心の中のメモ帳に書き残す。


「まぁなんにしても嬉しかったよ。あんな風に見られてるんだって、言われなきゃ分からない事もあるもんだね……ぎゃ、また出てきたよ。ペラペラだし羽かなぁ」


 奥歯まで指を突っ込んでコオロギの羽だったものを取り出している。奏が彼女、というのも悪くない話だと思ったけれど、こんな風に目の前で口に手を突っ込むのだから、僕の事は男として見ていないのだろう。それにバンド内での恋愛はご法度だ。


「そういえば、夏休みが終わったら告白するんだっけ」


「え? 何の話?」


「ツアーの前に言ってたじゃん。夏休み明けに好きな人に告白するって」


 奏は唇を尖らせながら上を向き、何度も首を傾げている。


「ちょっと様子見することにしたんだ。奏吾くんにも指摘されたけど、もう少し大人にならないとな、って思ったから」


 僕の言ったことで奏の告白を思い留まらせてしまったらしい。奏から告白されて断る男子はいないだろうし、子供っぽいところがあるのも魅力だと思うのだが。何にしてもしばらくはこんな風に遊べるようなので安心した。


 久しぶりに親と会って疲れたみたいで、今日は家には上がらずに外で解散となった。


 自転車を漕いでいると、コオロギの羽が口の中から出てきた。一度停まり、携帯を鏡代わりにして街灯の下で口の中に指を入れる。口を縦に開いたモンスターのような顔をした僕が携帯に映る。


 こんな顔を見せられる僕は、奏にとってどんな存在なのだろうと、少し気になってしまった。

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