第39話 ツアー⑨

 皆、見たいバンドがあるということで、サクシの雑務の分担はまた後で話し合うことになった。


 永久は奏が持ってきたコーラを一気飲みするとさっさと目当てのバンドを見るために救護テントから出ていってしまった。


 奏と彩音も二人で見るバンドの予定を作っていたので、それを見に行くのか、永久に続いて二人で出ていった。


 千弦の絶叫ですら起きなかった恭平だが、山下さんが永久の話を聞きつけ、お見舞いに救護テントにやってきたついでに叩き起こされ、無理矢理連れ去られていった。酒の相手が欲しかったらしい。恭平も大変な人に好かれてしまったと同情してしまう。

 

 気づくとテントには千弦と二人が取り残された。


「皆、暑いのに元気ですね。私達もどこか行きましょうか」


 体調が優れない人でもないのに救護テントに居座るのも気まずい。再び灼熱の中に放り出される。


 外に出るとムワッとした熱気に包まれた。思わず「うわぁ」と暑さに対する不満が漏れる。千弦も同じだったようで、僕と同時に「うぅ」と可愛く呻く。


 顔を見合わせて二人で笑うけれども、それで暑さが和らぐ事はなかった。千弦は暑いのならトレードマークのニット帽を取ればいいのではと思うのだが本人のこだわりなのだろう。頑なにニット帽を取ろうとはしない。せめてこの直射日光の下ではつば付きの帽子の方がいいと思うのだが。


 ひとまず冷たい飲み物を買うために出店が集まっているエリアに行ってみることにした。


 丁度どこかのステージを見終わって移動しているのであろう人の流れに乗って歩く。こういう時に覆面だと便利だ。一般の参加客と関係者用ではリストバンドの色が違うのだが、まさかサクシのメンバーだとは思われないだろう。


「千弦は見たいバンドはないんですか?」


 千弦は人差し指を口に当てて考え込む。


「バンドというか……モッシュとかやってみたいです」


 モッシュとは、おしくらまんじゅうのように、盛り上がった観客同士でぶつかり合う行為だ。危険なのでどこの会場でも大体はモッシュ禁止とアナウンスされている。


 だが、男と女を密室に閉じ込めたら何も起きないわけがないのと同じように、激しい音楽が鳴っていたら自然と体が動いてしまう人もいるのだろう。結果的にモッシュはあちこちで発生する。


 サクシのライブ中も目の前で観客が好きなように暴れていた。ベルトコンベアーのように人の上を人が流れてくる、人製造工場のような光景だった。それをステージの上からヤンキー座りで煽っていた張本人がマサこと千弦だ。ステージ上と普段のキャラの違いに驚かされる。


「やってみたいって……あれだけ煽っておいてやったことないんですか?」


「見る時は後ろ側でゆっくりしてたいタイプなんです。でもたまにはいいかなって。ステージから見るのとは一味違いそうですよね! 楽しみです!」


 千弦は既にやる気満々のようだ。タイムテーブルを見ながらどのバンドが激しそうか吟味している。僕もモッシュは苦手で参加したことはないので不安がよぎる。


「このバンド、結構激しい感じですよ。今から行けば間に合いそうですね」


「わぁ! 行きましょ!」


 千弦はニッコリと笑って僕の手を引いてくる。多分そんなに良いものではないのと思うのだが。





 メインステージの前にやってきた。ドロップチューニングされたベースの重低音がドゥンドゥンと体を震わせる。


 永久ほどハードロックが好きな訳ではないが、やはりこういった場所で大音量で聞くと自然とテンションが上がってくる。


 会場が広く、移動に時間がかかったので既に最後の曲に入るところだった。ボーカルの人が「最後に暴れていけ」とか言っているので多分お目当ての体験はできるだろう。


「あれ? なんだか人が少ないですね」


 千弦に手を引かれるまま、無人の荒野を歩くように砂地を進む。なんだか様子がおかしい。ステージの上に演者はいるのに、自分たちの周りにだけ人がいないのだ。


 左右を見渡すと、僕と千弦を囲むように人の群れがいた。その集団から殺気のようなものを感じ取らずにはいられない。


 嫌な予感がする。僕と千弦が立っている場所、ここは今から戦場になる。


「来いやぁぁぁぁ!!!」


 声を歪ませてステージ上から叫ぶ声が聞こえた。周囲にいた人達が一斉に僕達めがけて走り込んでくる。


 ここに来てやっと気づいた。ここはモッシュの中心地。ウォール・オブ・デスというタイプのモッシュでステージに対して左右に別れた集団が激しくぶつかり合うのだ。


 そして僕達はその二つの集団がぶつかり合うであろう中心地点にいる。


「うわぁ! すっごいすっごい!」


 千弦はテンションが上がりすぎてマサの声になって、性格も変わっている気がする。ここで待ち構えるのは怪我の危険もあるので千弦の手を引くがテコでも動こうとしない。


「ここで待ち構えようよ! 来いやぁ!」


 左右から走り込んでくる人を更に煽る。傍から見ればただの目立ちたがり屋だろう。


 せめて千弦には怪我をさせないようにするため、少し体を寄せて手を握る。こうなれば流れに身を任せるしかない。生きて戻れることを祈りながら集団を待ち受ける。


 人が一斉に動くと地鳴りがするらしい。ドスドスと近づいてくる音がする。やがて、前から誰かにぶつかられた。後ろによろめく時間もなく更に後ろからもぶつかられたため、力がつり合いその場で揉みくちゃにされる。


 千弦だけは守ろうと思いっきり体を入れて後ろから抱き締めた。体のフニフニとした柔らかさとかそういう感情よりも生存本能が優先され、とにかく早くこの曲が終わることを願う。この人達はこれだけ暴れて本当に音楽を聞いているのだろうか。


 男の汗の臭いと気化する汗の蒸気でムンムンとする中、一瞬だけふわっと香る千弦の苺のような匂いが唯一の救いだ。シャンプーが同じ人がいたのか、永久の匂いも一瞬だけ香った気がした。


 何度か誰かの肩に鼻をぶつけた。その度に汗の粒が鼻腔に入り込んでくるのが不快で仕方がない。鼻血が出ていないことを祈るばかりだ。




 心を無にして耐え続けてると演奏が終わり、後方にいた人からドンドンと捌けていく。僕達はど真ん中にいるので中々列が進まない。


「ニット帽、探してくれてありがとうござました」


 千弦はグチャグチャに踏みつけられて砂まみれになったニット帽を大事に抱えている。モッシュの勢いで帽子が脱げてしまったのだが、終演後に探し回ってようやく見つけた時には変わり果てた姿になっていた。


 ニット帽やらヘルメットやら覆面やら、千弦はいつでも何かを頭に被っているので、何も被っていない姿は新鮮だ。


 夏休み前に染めていた、ニット帽からはみ出ている部分の髪の毛はアッシュ気味の金色だったのだが、当然のように根本まで同じ色だと思っていた。実際はグラデーションカラーにしていて、根本から耳のあたりまでは黒髪だったことを初めて知った。色味は違うが、スタイルは永久に似ている。


「永久に合わせたんですか?」


「あ、髪ですか? そうですよ。本人にはナイショですからね」


 千弦はウィンクをしながら僕に口止めをしてくる。内緒にする必要もない気もするけど、友達の影響を受けたなんて恥ずかしくて言いづらいのだろうか。


「まぁ、帽子はこんなになっちゃいましたけど、楽しかったですね」


 砂だらけの帽子を見つめながらそう言う。お気に入りの帽子だろうに、気丈に振る舞っているようだ。


「それは良かったです。次はもう少し端の方から入りましょうね」


「えぇ!? また一緒に行ってくれるんですか!?」


 千弦は嬉しさと驚きが混ざった表情で僕の方を見てくる。そんなつもりはさらさらなく、ただの社交辞令だったので乾いた笑いで千弦の言葉を流した。

 




 千弦はスペアのニット帽に着替えていた。本当に常に帽子を被っていないと落ち着かないようだ。


 そこからも二人でフェスを回った。広い会場なので他のメンバーとはすれ違うこともなく集合時刻となった。待ち合わせ場所のモニュメントの前に行くとすでに三人が立っていた。


「おっそーい! どこでいちゃついてたの!」


 奏が生徒指導の先生よろしく腕を組んで待ち構えている。


「すみません。一番遠いステージまで行ってたので遅くなっちゃいました」


「千弦、奏吾に変なことされてないか?」


 永久が千弦を労るように背中を擦っている。僕が悪者にされる流れのようだ。


「何もなかったですよ。強いて言うなら後ろから抱きしめられたくらいですかね」


「えぇ! 奏吾くん……そんなことしてたの……」


 奏がショックを受けた顔で僕の方を見てくる。


「ち、違うから! モッシュのど真ん中に間違えて入っちゃって、千弦を守ろうと必死で……」


「モッシュ!? 怪我したら危ないじゃん! 大体まだツアーも残ってるのに骨でも折ったらどうするの? もう少しプロ意識を持って欲しいな!」


 奏の怒りはごもっともだ。すべて正論なので「ごめんなさい」としか言えない。彩音がカバンから絆創膏を取り出して渡してくれる。怪我はしていないし、骨折や捻挫だと絆創膏では意味がないので皮肉なのだろうか。


「ほんとにな。プロ意識が足りねぇよな。大体ウォール・オブ・デスのど真ん中に来るやつなんて目立ちたがってるだけだからな。やっぱ先頭で走り込むのが最高だぞ」


 永久も奏に乗っかって説教をしてくる。だが何か違和感を覚えてしまうのはなぜだろう。


「あれ? モッシュとは言ったけれど、ウォール・オブ・デスのど真ん中だなんて言ってないよね」


 永久の眉がピクリと動いたのを見逃さなかった。生徒指導の奏先生も同様だったらしい。


「永久、脛についてる泥と青痣は何かな?」


「な……なんでもねぇよ。最後の最後でウォール・オブ・デスが始まったからテンションブチ上がって最前列で走ったりはしてないからな!」


 永久は観念したのか全てを自白した。四人からの冷たい目線を感じ取ると、僕と千弦と並んで立ち、奏からの説教を一緒に受けたのであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る