第38話 ツアー⑧

 永久が倒れてすぐにスタッフが救護班を呼んでくれた。熱中症気味ではあるが重症ではなく、どちらかと言うと過労が倒れた原因だろうと言う事だった。


 救護用のテントの中で横たわる永久をメンバーの全員が見つめている。


「ごめん……僕がもっと強く止めてれば倒れる前に休ませられたのに……」


 どうしても後悔の念が消えない。


「奏吾君。気にしないでください、と言っても無理かもしれませんが、そもそもを辿ると昔から私達が永久に頼りっぱなしだったのが原因なんです。だから、今日の事は私達の責任です」


 千弦が僕の後ろに立ち肩に手を添えてくる。振り向くと、彩音と奏も暗い顔で俯いていた。


「ま、死んだわけじゃないんだ。起き上がった時に皆が神妙な顔をしていると永久もびっくりするぞ」


 恭平は皆を元気づけようと精一杯明るく振舞う。実の妹なのだから一番心配しているはずなのに気丈に振舞わせている気がする。そもそも恭平だってずっと運転しっぱなしで更に裏方もやってくれているのだ。疲れていないはずがない。


「恭平さんも休んでください。物販の方は何かあったら僕達で対応しますから」


「俺は大丈夫だよ。ちょこちょこ寝てるからな。ここに来るまでの高速道路でもたまに寝てたしな」


 一斉に恭平の方を見る。居眠り運転をするほど疲れていたということか。


「……冗談だよ。こんな冗談が通じない時点でお前らも疲れてんだよ。ほらほら、良いライブしたんだから、うまいもんでも食ってこい。行った行った」


 恭平に追い出されるように救護テントから皆で出ていく。テントの外はまだ灼熱だった。夜になれば少しはマシになるのだろうか。


 千弦、彩音、奏の三人は顔に影を落としている。以前、打ち上げの場で永久も恭平のように後任を探せば良いと言った際、総スカンを食らったこともある。それくらい永久がみんなの精神的な支柱となっているのだろう。


 救護テントを出たものの、どこにも行けずに救護テントの入口付近で立ち尽くす。皆、これまでの事を振り返り、反省や後悔をしているのかもしれない。


「やっぱり、横にいた方がいいと思うんだ。戻るよ」


 救護テントの重たいカーテンをくぐる。冷気を逃がさないためのものだろうが、これがやたらと重い。


 テントの中では、空いたベッドを使って恭平も寝ていた。やっぱりさっきの言葉は強がりで、本当はかなり疲れていたみたいだ。二人を起こさないように静かに見守る。


 演者用の救護テントなので、サクシの関係者以外は何かあった時のために待機している看護師が数名いるだけだ。


 永久のベッドの近くにある椅子に座る。長いまつ毛が重力に抗うように天井を向いている。寝顔まで絵になる人だ。ピクリとも顔が動かないのだが、胸の辺りが上下しているので生きていることが分かる。


 肩をつつかれたので振り返ると奏が飲み物を飲むジェスチャーをしていた。


「永久、起きたらコーラ飲みたいってうるさいと思うから買ってくるね。ついでに何かいる?」


 奏が耳打ちしてくる。「同じやつ」と言うと奏は彩音を連れてテントから出て行った。


 永久の方に向き直ると目を大きく開いて僕の方を見ていた。驚いて体がビクッと震えて椅子から転げ落ちそうになる。僕の反応に満足したのか、永久はガハハと笑って上体を起こした。


「永久、目覚めたんですね。良かったです」


 千弦が永久にスポーツドリンクを手渡す。鼻をすする音が聞こえたので千弦の顔を見ると大粒の涙を流していた。


「ちょ、千弦。泣くなって。ほーら、よしよし」


「本当に……すみませんでした……」


 永久にもたれかかるようにして千弦がワンワンと泣いている。永久は器用にも千弦をあやしながらスポーツドリンクを一気飲みした。


「コーラないのか?」


 奏の読みが当たったらしい。早速コーラを要求してきた。


「今、奏が買いに行ってるよ」


「さすがだわ。分かってるなぁ」


 永久は家でくつろぐかのように頭の後ろで手を組んで横になった。


「そのくらいのテンションでバンドの雑務も皆に頼めばいいのに」


「これまでやってもらってばかりだったのにこんな事を言うなって思うかもしれないですけど、もっと私達のことも頼ってくださいね」


 僕と千弦の言葉を聞いても永久は鼻で笑うだけだ。寝っ転がったまま、目だけを動かして僕の方を見てくる。


「申し出はありがたいけどさ、これが生き甲斐なんだよ」


「生き甲斐って……大袈裟だよ」


「大袈裟なもんか。こんなに熱中できる事、これまでになかったんだ」


 永久は目を瞑って昔を思い出すように話す。


「何をやっても中途半端で、飽き性で、楽しくなくなって、やめてった。柔道、サバゲー、裁縫、ヨガ。全部続かなかったよ」


 手を出す趣味が独特だ。永久が裁縫なんてしている姿は全く想像がつかない。


「でも、ギターを弾く事はずっと楽しかった。バンドを組んだらもっと楽しくなった。ギターだけじゃない。全部がな。だから、皆のためにも手を抜きたくないんだ。ここで皆を頼ったらまた中途半端に投げ出したことになっちゃうだろ」


 そう言うとふてくれされたように寝返りをうって僕と千弦に背中を向ける。


「これまでやってもらってばかりで、こんなこと言う権利もないのかもしれないですけど、私達をもっと頼ってください。無理して倒れられる方がよっぽど中途半端です。困った時に頼れないような余所余所しい仲ではないという自負はあります」


 千弦が声を震わせながら呟く。永久はなおもこちらを向かない。千弦の言う通り、これまで全部の雑用をやってもらっておいて虫のいい話ではあると思うが、ここで是正しておかないともっと酷いことになってしまうと僕も思う。


 千弦の言葉は永久には響いていないようだ。「あー」とか「コーラまだかな」とかボソボソと話すだけでまともに取り合ってくれない。


 千弦はまた大粒の涙を流し始めた。何か覚悟を決めたように大きく息を吸う。


「そっ……そんなに私達が頼りないんですか! 永久なんて要りません! いなくたって私達でどうにでもなるんですからね!」


 鼻をすすりながら千弦が辛辣な言葉を永久に叩きつける。ライブの時のような高い声だ。永久がピクリと体を動かして反応する。急な絶叫に驚いただけかもしれない。もちろん、永久抜きでサクシが成り立つ訳がない。千弦なりの強がりなのだろう。


「わ……分かったよ。だから泣くなってば。いらないとか言わないでくれよな。禁止カードだぞ、それ」


 永久はまた寝返りをうってこちらを向く。千弦の絶叫に狼狽えているようだが、どこか嬉しそうな表情だ。


「じゃ、この件はフェスが終わったらまた話そうや。全部お前らに押し付けるくらいの勢いで分担してやるよ。でも、楽しいフェスの間くらい泣かずに過ごそうぜ」


 永久はニカッと笑った。千弦の涙に勝てる人はいないのだろうと思わされた瞬間だった。

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