第28話 ツアー直前④
奏の家に着いた。分厚く高い塀の途中、ポッカリと空いた穴にはめ込まれた門の前で呼び鈴を鳴らす。すぐにインターホン越しに反応があった。
『合言葉をどうぞ』
合言葉なんて聞いていない。何か適当に答えればいいのだろうか。
「ラーメン」
『ラーメンかぁ……お腹空いちゃうなぁ。コンビニ行こうよ。そこで待ってて』
インターホンの接続が切られる。すぐに奏が出てきた。大きめのTシャツに短パン、ビーチサンダルと色気もお洒落も皆無な格好だ。
「おっす! ご足労かけて悪いね」
「いいんだけど、コンビニ行くの?」
「うん。今日は青木さんいないから、ご飯も適当なんだ」
なんだか嫌な予感がする。また泊まりで話し相手にさせられるのだろうか。適当なところで切り上げなければ。
コンビニでたんまりとお菓子を買い込んで戻ってきた。青木さんは健康重視でお菓子を買い溜めしてくれないらしい。
確かに一人にするとお菓子でご飯を済ませそうなので不安になる青木さんの気持ちも分かる。
冷蔵庫を開けると、青木さんもその事を見越して作り置きのおかずを用意していてくれた。
「青木さんがご飯作ってくれてるじゃん」
「あー……たまにはジャンクなもので済ませたい日もあるじゃんか」
分からなくもないけれど、青木さんが次に来た時に手を付けられていないご飯を見たらどう思うだろうか。今までもそうやってきたのだろうけど。
「これは没収だね。ちゃんとご飯を食べたら渡すから」
奏が脇に抱えていたポテトチップの大袋を取り上げる。
「あぁ……奏吾くん、親みたいだなぁ」
「同い年なのに何言ってんの……」
「あー! お菓子! 食べたいよぉ!」
駄々っ子のようにソファに座って足をバタバタさせている。高校での優等生キャラからは考えられない姿だ。
可愛いのだが、あまりのキャラの崩壊ぷりに見ていられない気持ちになる。だけど、奏の生い立ちを鑑みると、こうやって甘えられる対象は少ないのだろうと思う。
駄々っ子のフリもすぐに飽きたみたいで、二人で格闘ゲームを始めた。
プレイ時間を見ると千時間を超えていた。勉強も完璧、作曲やバンド活動をこなしながらゲームをやり込む時間まであるらしい。いつ寝ているのだろう。
目の前の画面では僕の操作するキャラクターがボコボコにタコ殴りにされているところだ。
「奏吾くん、弱っちいなぁ」
奏のやり込み度合いが半端でなく、一度も土をつけることが出来なかった。何度か対戦すると飽きたようでゲーム機の電源を落としに行き、リモコンを持ってきてドスンと隣に座り直した。
「それで、今日って何してたの?」
奏は質問をしながらも顔はテレビの方を向いており、動画配信サービスで映画の一覧を見ている。ゲームの時よりも奏の座る位置が僕の方に寄っている気がする。
「べ、別に何も」
永久は親の事は黙っていて欲しそうだったので何も言わないほうが良さそうだ。
「ふーん……怪しいなぁ。隠し事するんだ」
「隠してないけど、隠し事があってもいいでしょ。付き合ってる訳でもないんだし」
「そりゃそうだけどさぁ。論理的にどうこうじゃなくて乙女心ってやつよ」
乙女心と言う奏は鼻息荒くスプラッター映画のリストから見る作品を探している。乙女はスプラッター映画を喜々として見ないだろう。
「まぁいいや。それで、両親の了解は取れたんだっけ? 反対されなかったの?」
僕の方を見ずにボリボリとお菓子を食べながら聞いてくる。品質チェックを免れたであろう規格外に大きいポテトチップを一口で食べきっている。乙女がそんなに大きく口を開くものだろうか。ASMRのように、バリバリとポテトチップを噛み砕く音が聞こえる。
「母さんは反対してたけど押し切ったんだ。友達と旅行って事にしたけどね。父さんには彼女と旅行に行くと思われちゃったよ」
「なるほどねぇ。私も両親に反対されてみたいな。奏! だめでしょ! ってさ」
奏は塩のついた指を舐めながらそう言う。小さい頃、同じ事をして母さんに怒られてからはティッシュで指を拭くようになった。
それにしてもコメントに困る話題だ。なんと返したものかと悩みながら奏の方を見ると、ソファの上で体育座りをしていた。短パンがめくれて太ももまで顕になっている。
膝も他の部位と同様に一切の黒ずみはない。太ももと同じ光沢のある白色をしている。奏はインドア派らしいし、この豪奢な鳥籠にずっといるのだから太陽光を浴びることはほとんどないのだろう。
奏はその綺麗な膝を抱えて顔を埋める。
「私ね、夏休みが終わったら好きな人に告白しようと思うんだ」
唐突に奏がそんなことを言い出した。顔を隠しているのは言い出すのに勇気が必要だったからだと思う。なんと言えばいいのか分からない。
僕の場所に座っている人が別の人になるのだろうか。それとも、その人も頻繁にここに来ていて、僕はただの友人として座っているだけなのだろうか。
奏が別の男と付き合うかもしれないと考えると、急に手放したくない気持ちが出てきてしまった。人間とは都合の良い生き物だと思う。
「そ……そうなんだ。頑張ってね」
「どう思った?」
奏の綺麗な膝を、足を、全てをその男の好きにされてしまうのだろうと思った。
絶対に今言うことではないので言わないけれど。
奏は顔を少しだけ動かし、目線だけを腕の隙間から出して僕の方を見てくる。まさか僕の反応を探っているのだろうか。いや、ありえないか。そうなら今ここで言ってしまえばいいじゃないか。
「こうやって遊べなくなると残念だなって思った。割と楽しいから」
「割となんかーい! もっと楽しまんかーい!」
奏は急に元気を取り戻して僕にチョップを入れながらツッコんでくる。良く分からないテンションだ。
それにしても、今の告白話でやけに奏の美脚を意識してしまうようになった。
顔をテレビの方に向けるも、本能には抗えず目線がじわじわと奏の足を求めて横に流れていく。
奏が視野に入ったところで僕の方を目を細めて見ていることに気づいた。
「エロい目線って大体バレるんだからね」
二枚のポテトチップで視線を塞がれる。
「こ、このポテチはどうやったら外してもらえるの?」
「懺悔するのです」
「懺悔するような事はしてないよ!」
「今日私の家に来る前にしていた事を教えるのです」
その事が気になって仕方がないらしい。永久の親の事を伏せれば問題ないだろう。
「永久と会ってたんだ。会ってたっていうか、偶然商店街に行ったら会った」
ポテトチップが目の前から外れる。二枚とも口にねじ込まれた。奏はホッとしたような表情をしている。
「全然大したことなかったじゃん! もっとヤバい話を期待してたのになぁ。そういえばなんで商店街なんて行ったの?」
「あ……手土産の外郎でも買ってこようかと思ってたんだ」
「思ってた? もしかして外郎は……ない?」
今日で一番の絶望の表情を浮かべる。
「ごめん。永久の話が長くてさ」
「うわぁぁぁ。外郎食べたかったよぉ!」
この後も事あるごとに外郎と言うので、二人で商店街に買いに行った。
結局、奏は青木さんのご飯には手を付けていなかったので僕が食べた。初めて食べたのだが、青木さんの手料理は本当に美味しかった。
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