第27話 ツアー直前③

 奏の家に向かう途中、手土産のお菓子でも買おうと思い商店街に立ち寄った。


 土曜日の午後なのでかなり混んでいる。そんな中でも一際目立っている見知った人を見つけた。厳密には顔はサングラスとマスクで覆われているのだが、細身のズボンが張り付いている足の長さと銀色のインナーカラーで判別できる。


「永久。こんにちは」


「おわっ! ビックリさせんなよ。奏吾かよ」


 芸能人のような変装をした永久は両手にソフトクリームを持って誰かを待っていたみたいだ。まさか知り合いに話しかけられると思っていなかったのか、驚きのあまりにソフトクリームが少し傾いてしまっている。


 永久は食べかけのソフトクリームを僕に渡して来て、空いた手を使いサングラスを胸元にかける。肩がしっかり目に出たノースリーブのサマーニットを着ていて、いつも以上に高校生には見えない。


「もしかして……デートだった?」


 二人分のソフトクリームだし、相手はトイレにでも行っていたのかもしれない。


「そんなんじゃねぇよ、アホ」


 僕が持っていたソフトクリームを奪って食べようとするが、ソフトクリームがマスクに当たる。マスクをしている事すら忘れるくらいには動揺しているらしい。冗談のつもりだったのだが本当にデート中なのかもしれない。


「はぁ……ついてないわ」


 永久は顔をしかめながらマスクを外している。


「永久! お待たせ!」


 何がついていないのか聞こうとしたところで後ろから声がかかる。


 振り返ると永久と同じサングラスをした女性が立っていた。お揃いのサマーニットを着ている。


 ほうれい線が永久よりも濃いので永久よりも年上なのだろう。サングラスを外すと永久と同じ目をしていた。母親にしては若いので姉だろうか。どこかで見たことのある顔なのだが、モヤモヤして思い出せない。


「永久……まさか彼氏さん?」


「違うから! ほら。こいつがお兄ちゃんの後任だよ。奏吾、この人は私のお母さん」


「そうなのね。確かにナヨナヨしてて頼りなさそうだし永久のタイプじゃないか」


 本人の前でズケズケと言ってくる人だ。この歯に衣着せぬ物言いと鷲のように高い鼻。テレビで見たことがある。


 女優の安藤燈子だ。最近はコメンテーターとして見る事が多いがドラマにもよく出ている。


「あの……もしかして女優の……イテッ」


 言うやいなや食い気味に永久が蹴りを入れてくる。


「永久! そういう事をするんじゃありません」


「こいつはいいんだって」


 永久が乱暴なのはいつもの事だが、今日はいつもより増して乱暴だ。親と一緒にいるところを見られたくないのだろうか。


「そういえば夏休みはツアーで毎日一緒に泊まるのよね。ちょっとお話しない? するよね? じゃ、行きましょうね」


 夏休みの間、娘と一緒に行動するので面接のようなものだろう。大女優の圧には逆らえず、近くのファミレスに連行された。





 どこにでもある普通のファミレスに入った。燈子さんはどこか気品があるため安っぽい椅子に座っていると違和感を覚える。


「さてと。須藤奏吾くんだっけ。バンドメンバーの何人に手を出したわけ?」


 手持ち無沙汰だったので水を飲んでいたのだが、その水でむせてしまう。


「手を出すって……誰とも何にもないですよ」


「ふぅん……そうなのね」


 そこからも根掘り葉掘りという感じで千弦や奏、彩音との関係を突っ込まれる。別に誰とも怪しい事をしているわけでは無いので胸を張って答えた。


「なんかつまんない男だなあ。私が若いときのバンドマンってもっとガツガツしてたのよ。女と見るやいなや口説くくらいじゃなきゃ! お父さんみたいにね!」


 永久のお父さんということだろうから、燈子さんの旦那さんだろう。夫婦でテレビに出ることも多いので見たことがあるけれど名前が出てこない。


「お父さん? あの名前が難しい人でしたっけ?」


「一乗谷恭之助。別に難しくないよ」


 永久がコーヒーを飲みながら無表情で言う。難しくはないれけど長いので覚えきれないのだ。一乗谷恭之介も有名な俳優だ。コメディからアクションまでこなすカメレオン俳優と言われている。


「今時の若い子ってこんな感じなのね。草食系って言うのかな? 昔の業界人はガツガツしてたのよぉ」


 ひとしきり燈子さんが昔話をしてくれる。芸能界の話なんて聞いたことがないので新鮮ではあったけれど、永久は浮かない顔で聞いていた。


 一時間くらい話したところで燈子さんは時計を見て目を見開く。


「あらやだ! 恭さんとデートなのに遅れちゃう! 奏吾くん、またね」


 燈子さんはピンと伸びた背筋を崩さずに颯爽と店から出ていってしまった。ほとんど一方的に話されているだけの時間だった。


 永久の方を見るとホッとした顔をしている。


「強烈でしょ。昼のワイドショーのまんまだよな」


「あー……そうだね……」


 人の親なのでダイレクトには言いづらいが、かなり癖がある人だった。


「昔っからああなんだよ。変装もほとんどしない上に声もデカいしよく喋るから、どこに行っても目立つんだ」


 何となく永久が苦労していそうな事は分かる。ファミレスなのでガヤガヤしていたが、それでも近くの席の人の視線を感じる瞬間が度々あった。


「両親が有名人ってすごいね。カッコいいなぁ」


「でも私が何かしたわけじゃないから」


 冷たく永久が言い放つ。地雷だったみたいだ。そして、その地雷は既に起爆寸前だったらしい。会話のキャッチボールではなく千本ノックのように永久が話し始めた。


「小学校の運動会も発表会も二人で変装もせずに来て私より目立っていくし、遊園地に行ってもどこから撮られてるのか気にしちゃうし、何回も週刊誌に顔が載ったんだ。友達を家に呼んだらなぜか親までついてくるんだぜ。サイン色紙を持ってな。有名ってだけで何も良い事はないよ」


 永久の鬼気迫る表情を見ていると無責任に何も言えなくなってしまった。一般人には分からない苦労もあるのだろう。


 永久は何度か荒い鼻息を吐くと落ち着いたようにコップに口をつける。


「奏吾に当たっても仕方ないんだけどな。親の事は皆には秘密にしといてよ。あんまりそういう目で見られるのが好きじゃないんだ。奏吾とは普通に接したかったんだけどなぁ」


 流し目で窓から外を見ている永久の横顔は、女優かモデルの卵ではないかと思うほどに綺麗だ。目を半開きにするだけで、いつもの暴力女から儚げな女性に様変わりする。親譲り、と言うとまた怒りそうだが、母親そっくりの切れ長の目と鷲鼻が目を引く。


 別に永久の親が芸能人だからといって、これまでと接し方が変わるなんてことがある訳がない。そんな人がこれまで近くにいたのか、と勘ぐってしまう。


「僕の親は公務員で道路の管理をしてるらしいよ。今日から永久は道を歩く時に僕の親の事を考えるのかな」


「なんだよそれ……」


「永久も同じだよ。親がどんな人でも関係ないでしょ。永久は永久なんだから。覆面もそれと同じことなんでしょ?」


 永久は僕の方を向いて目をパチパチとさせている。サクシの覆面は永久が持ってきたらしい。僕の予想だけど、親の七光り、とか、美少女高校生バンドなんて見た目に寄ったレッテルではなく、純粋に音楽を聞いて欲しいという思いの表れだったのではないかと思った。


「そうだけど……奏吾に分かられるとなんか複雑だわ……」


 髪をかきあげながら永久が呟く。


「なんでだよ!」


 ツッコミを入れるとガハハと笑いながら乱れた髪の毛を元に戻し始めた。いつもの調子に戻ってきたようで何よりだ。


「長話に付き合わせちゃって悪かったな。買い物しに来たんじゃないのか?」


「奏の家に行くとちゅ……」


 言いかけたところで永久の顔がゴシップを嗅ぎつけた敏腕記者の顔になる。散々自分の辛い過去について話していたくせに人のゴシップを漁るのは大好きなようだ。


「ほうほう。奏とは家を行き来するような関係だと言うことかね。家で何をするのかな? うん?」


「も、もう行くから! じゃあね!」


 お金を置いて席を立つ。永久は特に僕を引き止めることもなくその場に座っていた。


 店を出て携帯を見ると通知が何十件も出ていた。全部奏からのメッセージだ。


『まだー?』


『はよ!』


『おーい!』


『こん!』


『久々! 元気?』


『覚えてる? 小学校の時同じクラスだった奏ちゃんだヨ たまにはお茶でもどうカナ?』


 普通の催促から始まり、怪しいナンパのような文面が来ている。


 更に画面をスクロールしていくと最後には絵文字でうんこを投げつけられていた。機嫌を悪くしていそうなので慌てて返信する。


『ごめん! 今から行くよ!』


 すぐに既読がついた。


『はよ〜』


 どうやらそんなに怒ってはいないようだ。急いで奏の家に向かう。

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