第19話 お泊り②
さすがに親のいない女子の家に宿泊なんて出来ない。奏を説得しようとリビングに戻る。奏はリビングの入り口に立って僕が手に持った携帯を指差す。
「奏吾くん。その携帯、最新機種だよね。ちょっと見せてくれない?」
携帯を渡すと、本体をくるくると回転させて全体のフォルムを見始めた。だが、すぐに携帯を持って二階に続く階段を走って登っていく。
慌てて追いかけると、奏は二階の部屋の前でニヤニヤしながら待っていた。携帯の画面を僕に突き出してくる。そこには、母親へ『雨で帰れないから友達の家に泊まります』とメッセージが送られていた。
「どうやってロック解除したの……」
「いつも横で見てたからね。パスワードが394394ってサクシのこと本当に好きなんだねぇ」
教室で携帯のロックを解除するところを見られていたらしい。すぐに母親から返信がきた。
「了解のスタンプだよ。良かったね。じゃ、下で映画でも見ようか」
奏は満足そうな表情で僕に携帯を渡してくる。肩をポンと叩いて一人で一階に降りていった。色々と勝手に物事を進めてくるので少し腹が立ってくる。
リビングに行くと、奏はソファに座って映画を選んでいた。
「早く早くぅ。どれにする?」
奏の趣味らしき映画のリストをパラパラと下っていく。
「そんなに話し相手が欲しいなら帰ったら電話するよ。いくらなんでも泊まるのは……」
「ヘタレだなぁ。じゃあ、帰っていいよ。キスしてくれたらね」
そう言うと奏は目を瞑り唇を突き出す。
「どういう二択なの……」
「ほらほらぁ。どうするの?」
奏は目を瞑ったまま僕を煽ってくる。帰ろうとしたところからやられっぱなしで悔しいのでキスするつもりはないけれど少し顔を近づけてみる。
小ぶりながらも高い鼻や大きな涙袋が目につく。本当にキスしても怒られないのだろうか、なんて変な考えが頭をよぎるけれど、さすがに取り返しがつかなくなるので雑念を振り払う。
そのまま奏の顔の前で息を吸って吹きかけた。奏は驚き、眉間に皺を寄せながら離れていく。だが、すぐに笑顔になってガッツポーズをしだした。
「私の勝ちだね。しちゃえば良かったのにぃ」
「するわけないでしょ!」
「ヘタレ〜」
本当にしていたらどんな反応をしていたのだろう。奏はそんな事を気にもかけていないように映画を選んで見始めた。
名前も知らない映画で、レストランで強盗をしたり、ギャングが人殺しをしたり、ギャングのボスの奥さんが麻薬で死にかけたり、変態警官にギャングのボスが襲われたりと散々な内容だった。それに時系列もごちゃごちゃで頭が追いつかなかった。
奏は途中でゲラゲラ笑ったり、ヒロインを見てウットリしたりと感情の起伏が忙しかったみたいだけど、僕にはツボが分からなかった。
「どうだった?」
「あー……うん。面白かった……かな」
「でしょでしょ! では、早速……」
奏が音楽をかける。映画の中でダンスを踊るシーンがあったのだが、そこで流れていた曲だ。ソファから立ち上がって奏が踊りだした。
「奏吾くんも! ほらほら」
一度しか見ていないのでうろ覚えだけど、横向きのピースサインを顔の中心から外に向ける振り付けがあったのでそれを披露すると奏に大ウケしていた。
奏は終始笑顔で踊って、飛び跳ねての大騒ぎだった。これだけ広い家に一人なのだ。何をしても誰からも怒られないし、怒る人もいない。
解き放たれているのではなく、少しでも誰かに縛り付けられたい。そんな風に思いながら騒いでいるのではないかと思うと少し胸が痛んだ。
奏は踊り疲れたのか、フラフラと僕の方に向かってくる。そのまま僕に抱きついてきた。振りほどく事もできずに立ち尽くす。
「付き合ってくれてありがと。好きでもない映画だっただろうに。雨、止んだみたいだよ。もう遅いし帰る?」
時計を見ると、日付を跨ぐまでもう少しという時間だった。
奏も不意に冷静になる瞬間が訪れるみたいだ。さすがに同級生の男を誰もいない家に泊めることが良くない事だと気づいたらしい。
だけど僕は帰る気になれなかった。学校やバンド練習の時の奏は仮面を被っている気がする。素の奏に今なら会えると思った。
「もう親にも連絡してるからいいよ。それに寂しいんでしょ。今日くらいは構ってあげるよ」
「おやおや。奏ちゃんは何をされちゃうんだろう。心配だなぁ」
言葉とは裏腹に心配しているような気配は感じさせずに、僕から離れる。
「私、お風呂入ってくるから適当にテレビ見てて」
コップを回収してキッチンの方に行ってしまった。そのまま奥の方の扉が開く音が聞こえたのでお風呂に入っているのだろう。
ここでこっそり家に帰ることもできるのだが、しばらく話してくれなくなりそうだし、悲しそうな顔をする奏を想像するだけで申し訳なくなる。
広いリビングに一人で取り残されると、テレビの音がよく反響する。音楽家の家だから音の響きにもこだわったつくりになっているのだろうか。
ここにずっと一人ぼっちで映画を見て寂しさを紛らわしている奏のことを思うと、どうにかしてあげたい気持ちも出てくるけど、僕に何ができるのだろう。精々こうやってたまに遊びに来ることくらいだろうか。
しばらくすると、髪をタオルで拭きながら奏が戻ってきた。ジャージズボンにTシャツとラフな部屋着だが、よく考えたらバンドの合宿で見た姿と同じなので新鮮味はなかった。
「服はお父さんのシャツ着ちゃえばいいと思うけど、下着ってどうする?」
濡れた頭をタオルでワシャワシャしながら奏が聞いてくる。そんなに急がなくても先に乾かしてから戻ってくればよかったのにと思う。
「同じやつでいいよ。明日はさすがに帰るからね」
「了解。じゃ、次どうぞ」
奏は携帯を見ながら、普段から同居している相手に風呂をすすめるくらいの話し方で僕をリビングから追い出した。
風呂場だけでも僕の部屋より広いだろう。何もかもが大きくて、この家には巨人でも住んでいるのではないかと錯覚する。
豪勢な風呂を堪能して脱衣場に出ると、折りたたまれた紙が置いてあった。「果たし状」と書いてある。紙を開くと「二階にて待つ」と書かれていた。
そういえば僕はどこで寝ればいいのだろう。同じ部屋はさすがに気を使うけれど、客間で寝ていたら、奏の家族にあった時の説明が大変そうだ。万が一の確率だろうけど。
とりあえず二階に行くと、階段を登って正面にある部屋のドアが少し開いていて明かりが漏れていた。奏の部屋みたいだ。他の部屋からは明かりも漏れていないし物音も一切しない。
ドアを開けて部屋に入ると奏がこちらを向いて微笑む。
奏の部屋もとても広かった。二十畳くらいだろうか。僕の家のリビングくらい広い。部屋の隅にベッドが置かれていて、他にも壁に沿うように勉強机やパソコンデスク、電子ピアノ、ドラムセットなんかが置かれている。
「すごい部屋だね……」
「小さい頃にね、友達の家に遊びに行ったんだ。リビングで遊んでたんだけど、ずっとそこが友達の部屋だと思ってて、すっごい恥ずかしかったの」
お金持ちの娘あるあるなのだろうか。奏は普通に庶民の感覚もあると思う。これまでの交流の中で身につけたものなのかもしれない。僕だってこんなところに住んでいたら、これが普通だと思ってしまうだろう。
「ねぇ、こっちにおいでよ」
部屋のスケールに圧倒されている僕を、ローテーブルの方に誘ってくる。座布団が置かれているのでそこに座れという事だろう。
髪の毛を下ろした奏をまじまじと見る機会は初めてだ。喋らなければもっと可愛いのにな、と思ってしまう。
なぜか奏はモジモジと目線をそらしている。少しして口を開いた。
「ちょっとした世間話なんだけどさ、やっぱり彩音の事好き?」
「はい?」
世間話どころではない話題をいきなりぶち込んできた。
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