第7話 ホラーマスター坂口


「うひっ……うひひひっ……」


 その男は薄暗い灯火ともしびの中、一人机に向って絵を描いていた。


 彼のその作品は、完成まであと少しの所まできていた。


「最後の……この……少女がなたで首をかっ切られるシーン……あぁ、ベタやなしにカラーで鮮血してやりたいもんやのぉ……」


 男がそう言いながら、凹凸の多い頬を撫でる。


「もう少し……もう少し……」


 男の鼻息が次第に熱くなっていく。


 その時、玄関のチャイムがなった。


 その音に、男の動きがピタリと止まった。


 そして重く低い声でこう、うなった。


「だれ……だ……おれ……の……しごと……の……じゃまをするやつ……は……」

 男がゆっくりと立ち上がった。




「坂口さん、いてませんの?」


 健太郎、藤原、本田の三人が、寝屋川市のとあるマンションの一室、漫画家坂口仁志が住む部屋の前に立っていた。


 何度もベルをならすが、まるで人の気配がしない。


「おらんか」


「どないすんねん健」


「待っとかなしゃあないやろ、携帯も使えんし」


「そやなぁ」


「ほんま、こうう時が一番不便なんや。何の為の携帯やねん」


「健」


「なんや」


「ちょっとは不便さを楽しめ」


「ややこしい理屈ぬかすな」


 と、その時だった。


 玄関が音も立てず静かに開いた。


 中は薄暗くてよく見えない。


「坂口さん……?」


 健太郎の声に引き寄せられるかのように、ゆらりと一人の男が現れた。


「おげえええええええええっ!」


 藤原と本田が抱き合って叫んだ。


 中から出てきた長身の男は、顔面が腐り果てていたのだ。


 あちこちの肉片が崩れ落ち、頬の辺りにぶらさがっていた。


 所々に黒ずんだ血も見える。


 それは「ゾンビ」そのものだった。


 そしてアンバランスにも、そのゾンビは吸血鬼ドラキュラご愛用のマントをはおっていた。


「何や坂口さん、いてはったんですか」


 健太郎が涼しい顔でそう言った。

 その声にゾンビは顎の辺りに手をやり、ベリベリと皮膚を剥がしていった。


「おお、なんや山本君やないか、久しぶりやないか。今な、最後の原稿書上げてたところやねん」


 本格的なゾンビマスクを剥いだ坂口が、睡眠不足で赤くなった目を細めて笑い、健太郎の肩をポンと叩いた。


「おっ、彼がよぉ写真で見せてくれてた噂の藤原君やな、写真通り中々の二枚目やないか。もう一人は初顔やな」


「ええ。実は坂口さんに、是非協力して欲しいことがありまして、突然押しかけた次第なんです」


「そうか……まあええ、散らかってるけど入りぃや」


「すんません。おえ入るぞ……っておえっ!お前ら、何抱き合って気絶してんねん!」


 二人は卒倒していた。




「……ったく、あんなこけ脅しぐらいでいちいち気絶してどないすんねん。お前ら、これからしょうとしてる事、よぉ考えよ。ゾンビのお面ぐらいがなんやっちゅうんや。ガキかっちゅうねん」


 健太郎が思わずぼやいた。


 二人はまだ顔色が冴えない。


 藤原は内心思っていた。


(分からん……分からん分からん分からん……!健は尊敬に値する人格者やうとったけど……誰もおらんこの部屋で、ずっとあのマスクをしてる……坂口さんの感覚が全く分からん……)



「ほんで山本君。何や、君のその頼みっちゅうんは」


 マントをはおったままの坂口が、ずずっと緑茶を飲み、三人を前に聞いた。


 健太郎はその場で正座し、深々と頭を下げて言った。


「坂口さんもよぉ知ってはると思います、昨日の事件。大阪市内は訳の分からん怪物のおかげでわやくちゃになってます。

 別に僕らには関係ない事やからほっといたらええ事なんですが、実は市内にはこの藤原の母ちゃんと妹が取り残されてるんです。ちなみにその妹は、僕の彼女の涼子ちゃんなんです」


「涼子ちゃんか……確か可愛い子やったな」


「恐縮です。ほんでですね、坂口さん。実は藤原たっての願いで、僕らは市内に殴り込みをかけることにしたんです。装備もある程度は、この本田に用意させました。

 でも今回のこの奇怪きっかいな事件は、ホラー映画その物です。人間が石になって徘徊してるんです。僕らの頭でいくら考えても、理解の範疇を超えててどない対処していいのかさっぱりなんです。

 そこでです。ホラー専門で長年漫画を描かれている坂口さんに、是非協力して頂きたいんです。僕らは体をはります。坂口さんに、僕らのブレインになってもらいたいんです」


 健太郎の話を、目を瞑りじっと聞いていた坂口は、やがて静かにうなずいて言った。


「……なるほどなるほど、そうう事か……いやな、僕もテレビで見てたんやけどな、ありゃ何か臭いなと思てたんや」


「え……何か、何か気になる事でもあるんですか」


「うん。何か政府は悪戯やテロやうとるけどな、どんだけ頭のええやつがおったとしても、流石に携帯取ったら石になってまうやなんて事、出来るやつがおるとはとても思えん。

 僕らが納得できる常識の中で答え考えるより、コメンテーターらが鼻で笑っとる魑魅魍魎や超常現象の方が、よっぽど説得力のある答えを出してくれてると思うんや。まして僕は、嘘でも何十年もホラー一筋に生きてきた人間や、そっちで考えた方がしっくり来る。そっち側からの意見でなら少しは力になれると思う」


「是非お願いします!僕も坂口さんの解釈が正しいと思てます。だからこそ今、ここにいてるんです」


「そか、分かった……まぁ君らもよぉ知っとると思うけどな、日本にも妖怪はようさんおる。天狗、鬼、河童らメジャーどころは勿論、それこそ雑魚妖怪まで入れたらかなりの数や。そやけど今回の手口は日本やない、西洋や。

 西洋の代表的なモンスターうたら吸血鬼、フランケンシュタインのモンスター、ミイラ男に狼男、半魚人、透明人間らがおるけどな、僕がニュース見て一番初めに浮かんだんはゴーゴン三姉妹やった」


「ゴーゴン三姉妹……」


「あの姉妹はな、君らも手口を聞いたらよぉ知っとる筈やで。あいつらの能力はこれや」


 そう言って坂口が、人差し指を顔に向けた。


「顔を見る、すると体が石になる」


「ああ、知ってる知ってる。それって、メデューサってやつですよね、髪の毛が蛇のやつ」


「うん、彼女も三姉妹の一人や。あいつらはギリシア・ローマ神話に出てくるモンスターなんや。まぁ説明したらながなるから簡単に説明するけどな、とにかくあいつらはおとろしい顔しとったらしいわ。顔を見ただけで恐怖の余り石になってもうたらしい。


 今藤原君がうた様に、パッとメデューサが出てくるんは、退治された時の話がドラマチックで有名になったからやと思う。

 ある時ペルセウスっちゅうやつが退治しに行ったんやけどな、そん時ペルセウスは姿が消せるハデスの帽子っちゅう反則みたいなアイテムをかぶっとったんや。ほんでアテナからもろた磨いた盾、まぁ簡単にうたら鏡の盾かなぁ、それを持って寝込みを襲いよったんや。アテナの盾にメデューサの姿を映して、後ろ向きに歩いていった。直接見んかったら大丈夫やったらしいわ。ほんでヘルメスからもろた鎌で一気に首を叩っ斬って殺した……そん時あとの二人が起きて怒り狂ったんやけど後の祭り、なんちゅうても相手はハデスの帽子をかぶってて見えへんかった……とう訳や。


 しかしな、僕がどうも合点がいかんのが、携帯使って一斉に石に変えとるところや。まあモンスターの類も、もしこの現代まで存在しとるとうことやったら、人間の文明・科学を取り入れて進化しててもおかしないんやけどな」


「三姉妹の仕業……それも、進化しとる未知の力……」


「そやから助けに行くと|言(ゆ)うても簡単やない。それに石像の弱点も分からん」


「それは藤原が実際に体験してます」


「ほぉ、藤原君、どないやった。ヒントになりそうな事あったか?」


「いえ……とにかくやつらは、頭を粉々に砕いても再生する能力を持ってましたから……弱点なんてあるとは思えません」


「そうか……頭を叩き潰してもか……ゾンビみたいな訳にはいかへんのか……」


「う~ん」


 部屋に重苦しい沈黙がのしかかってきた。


「そやけどまぁ、破壊したら復活するまでの間、多少の時間は稼げるやろ。その隙に助け出す。今回の目的はあくまで救出であって殲滅やないからな」


「石像共の足止めに関しては俺らに任せてください。武器担当の本田に、ダイナマイトや銃を用意させました。僕の車に乗せてあります。後で坂口さんにも見てもらいますけど、結構役に立つもんがあると思います」


「そか。後は僕の知識をどんだけ生かせられるかか……分かった。その話、僕も乗ろう。少しは役に立てると思う」


「ほ、ほんまですか、ありがとうございます!ほら藤原、お前も頭下げぇ。なぁ見てみい本田、この人は何にも関係ないのに、こない気ぃよぉ承諾してくれはって……ちっとはおのれの根性のなさを恥じぃ」


「……」


 本田が黙ったままうつむいた。


「坂口さん、ほんまこの通りです、感謝します!」


「あぁそうや、もうすぐ直美が来る。直美にも話しょうか?」


 その言葉に健太郎が身を乗り出した。


「それですねんて坂口さん。僕らはその事も含めてお願いにあがったんですわ。直美ちゃんやったら石像の十体や二十体、破壊するなんて朝飯前でっしゃろ」


「まぁな。あいつもまた最近、だいぶ鬱憤たまっとるみたいやからな、丁度ええタイミングや。たまには発散させてやらんとな……

 あいつをメンバーにするとせんでは戦力が桁違いやしな。よし、武器は……本田君やったな、君が手配してくれるんやな、分かった。ほんだら僕はと……とりあえずモンスターが嫌がりそうなやつを集めるか。どんなやつかも分からんからな、オーソドックスなやつも持っていくとしよう。お札、数珠、聖水、十字架、ニンニク、銀の弾、火炎瓶」


「火炎瓶?」


「うん、怪奇映画の定番やで。モンスターが最後に火に包まれて死ぬパターンはわりかし多いからな。そうや藤原君、一つ聞いとく事があった。石像と戦った時、やつらの動きはどうやった?やっぱりゾンビみたいにゆっくりやったか?」


「……ですね、決して俊敏とは言えなかったと思います」


「そうか、なら助かる。下手に動きの早いやつやと戦い方も変わるからな。ちなみに可動部分の作りは分かるかな」


「と言いますと」


「間接部分の仕組みや。あいつら全身石なんやろ、普通に考えたら動かれへんと思うんや。伝説でもメデューサが石化したやつらを操ったやなんて話は聞かんからな」


「間接部分……ですね、よく見た訳じゃないから自信はないですが、その部分は柔軟に動いていたと思います。ですがそこも石。何か矛盾してますが、そんな感じだったと思います」


「そか……やっぱり未知って感じやなぁ、今回の敵は……そやみんな、一つうとくけどな、石像は構へんけどな、そいつらを操っとるやつの顔だけは絶対見るなよ。石にされる可能性が高い」


「ほんだらどないして戦うんですか」


「映画でよくあるんは、背後から首を叩き落すパターンやな……そやけどそない都合よく背後に回れるとは思えんから、みんなこの安眠マスクを持っといてくれるか。もし親玉と戦う事になったら、これ着けて戦ってくれ。相手の動きも見えなくなるけど、まあそれは心眼っちゅうやつで戦うしかないやろ。大丈夫、なんちゅうても僕らは日本男児のはしくれ、サムライの末裔やからな」


 その時玄関から、不機嫌そうな女の声がした。


「お客さん?」


「おお入ってこい直美。ちょうどええタイミングや」


 坂口が声をかけた。ドアが開き、声の主が中をうかがった。


「何や兄ちゃん、マスクかぶってへんやなんて、何か拍子抜けるやんか……友達?」


「おぉ、山本君以下三名や。害になるようなやつはおらん。まぁ入れ」


「うん」


 入ってきた直美に、藤原と本田は落雷を受けた様な衝撃を覚えた。

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