第六章 終わらせない意志

炎の交錯


 その時、新九郎しんくろうの視界は赤で染まった。


 果たしてその赤は炎によるものか。

 それとも、父の体から流れる命の色によるものであったか。


 呼吸が浅くなり、全身の感覚が消える。


 母の身より生まれ落ちてから今日まで、新九郎はここまで強大なに身を委ねたことはなかった。


 その感情。その名は怒り。


「うわあああああああああああああああああ――――ッッ!」


 光が満ちた。


 江戸城本丸御殿を焼き尽くし、平らげようとしていた炎。それら全てが新九郎の放った怒気に恐れを成したかのように弾けて消える。


「くっ……新九郎……いかん……っ」


 刹那。すでに新九郎の姿は倒れ伏すなぎの隣から消えていた。


 崩落した謁見の間に真空の領域が一直線に形成され、その道の上を蒼い虹を迸らせた新九郎が駆ける。

 それはまっすぐに将軍の――――父である家晴いえはるの横に立つ男。真の勇者エッジハルトの心の臓を穿ち抜く、一切の容赦なき突撃だった。しかし――――!


「その虹……そうか、君がエリスの娘だね。驚いた、どこから見ても彼女の光そのままだよ」


「ッ!?」


 しかし、あと一歩の踏み込みで新九郎の超光速の刃がエッジハルトに届くというところ。先ほど現れた赤毛の少年がその手に持った光刃の剣で新九郎の突貫を阻んだ。


 新九郎と少年の激突はそれだけで周囲の大気を押し出し、すでに崩落の始まっている江戸城の構造そのものを大きく揺るがす。


「……似ているね。何もかも――――感情的になると我を忘れるところまでそっくりだよ。でもね、エッジハルトを恨むのは筋違いだ、のは彼じゃ――――」


「どけ――――……」


 新九郎の放つ圧倒的力の奔流を見てもなお余裕を崩さぬ少年の言葉。

 しかし少年の発したその言葉は、新九郎の収まらぬ怒りによって遮られる。


「そこをどけええええええええええ――――ッッ!」


「へぇ……?」


 凄絶なまでの怒り。その新九郎の怒りはまるで、感情だけで全ての物を破壊し尽くしかねないほどの強さだった。

 新九郎の小さな体から蒼い虹の光が四方へと放たれ、それを見た少年がその余裕の笑みを消した。


 新九郎と少年。


 未だ動かずにその場に立つエッジハルトの眼前で、二者はその刃を最上段と下段とに構え、互いの力を解放して凄絶な打ち合いへと移行するかに見えた。だが――――。


「――――残念だよ」


 新九郎の輝き、そしてその二刀は少年に届くことはなかった。


 至高へと到達した勇者であれば誰しもがその身に纏う虹の輝き。だが新九郎の蒼の虹と対峙した目の前の少年は、その身から


 にも関わらず、怒りに任せて斬り掛かった新九郎は即座に理解する。

 自分と少年の間に存在する絶対的な力の差。


 少年の光はのではない。

 あまりにも強大すぎる少年の力を、新九郎はのだ。


 虹の光を纏って振り下ろされた新九郎の究極の刃が、少年の手前で砂塵のように跡形もなく崩壊する。


 勝てない。新九郎がそう気づいた時には遅かった。


 勇者の力に目覚め、超光速の事象を認識可能な今の新九郎には理解できた。



 次の瞬間――――と。



「駄目だ――――! 新九郎――――っ!」


 

 だがその時。光が奔った。


 新九郎と少年、そしてエッジハルトと鮮血に沈んだ家晴。


 その場にいる四者全ての尽くを照らし出したその輝きは、死地にあった新九郎の体をしっかりと抱き留めて飛翔。


 更には少年が繰り出した黄金の刃すら容易く弾き返すと、傷ついた家晴の体すらもその輝きの中に確保し、離れた凪のすぐ横へと舞い降りる。


奏汰かなた……さん…………っ」


「う……っ。奏汰……良かったのじゃ……無事だったのじゃな……」


「みんな下がってろ――――! 新九郎は凪を――――は将軍様を頼むっ! 将軍様はッ!」


 それは超勇者奏汰――――すでに彼の手の中に剣はない。


 ただ奏汰の周囲に寄り添う八つの光だけが新九郎や凪を守り、癒やすように煌々こうこうと輝き、更には淡い緑と銀の輝きが片腕を失った家晴の周囲でその命を繋いでいた。そして――――。


「ほほ……さすがはつるぎ様。気付いておりましたか。しかしご安心を、大君たいくんの命はここにいるぬえが心血注いで癒やしております故――――」


「いたあああああああああああい!実はこの名無しのごんべは間一髪この男が斬られる寸前にのですよ完全には守り切れなかったが俺の事は気にせず遠慮せず何を憚ることもなく先に逝けええええええええええええええええ!(ガクッ)」


 少年が放った一撃から新九郎を庇い、傷を負った凪の周辺の空間から染み出すようにして現れたのは不滅の大妖怪、玉藻前たまもまえ


 そして致命傷を負って倒れる家晴の鮮血から奇声と共に現れる白と黒の流動体。無貌むぼうなるおぞましき正体不明――――ぬえ


 時間差はありつつもその場へと馳せ参じていた至高の人外二人は、すでに各々が守ると決めた者の傍でその牙を研いでいたのだ。


「ははは――――なるほど、君がだね? 初めまして。僕の名前はアナム・ベル・イルナダーム。昔はこれでもって呼ばれててね」


「俺は剣奏汰――――! 超勇者だッ!」


 アナムと名乗ったその赤髪の少年は屈託のない眼差しを奏汰へと向ける。それはまるで、遙か昔から知っている旧友と再会したかのような穏やかな表情だった。


「俺としては不本意な結末となった――――のであれば、俺たちの目的完遂もまた阻まれたと言うことだな」


「そう焦ることはないさ。僕たちはこれまでずっと待ってたんだ。今さら少しくらい伸びたってどうってことない――――それに、どうやらこの最後の最後で、とても面白いことになってきたみたいだからね?」


 赤髪の勇者――――アナムはそう言って奏汰と、その周囲に集った彼の仲間たちの姿に眼を細める。


 士気高く泰然たいぜんと構える者、今にも泣き出しそうな者、傷つき倒れ伏す者など、彼らの姿は様々だった。だがしかし、最強の勇者アナムには見えていた。


 本来、勇者だけが持つはずの虹の輝き。


 それが今や奏汰の光を通じ、凪にも、新九郎にも、玉藻や鵺、致命傷を負った家晴にすらその光が伝播し、その身に虹の輝きを宿らせていることを――――。


「いいね――――それは僕たちの中の誰一人として辿り着けなかった境地だ。楽しみだよ――――この地獄を抜け出して、あの傲慢で悪辣あくらつのがね」


「将軍が命を繋ぎ、目覚めたならば伝えて欲しい――――とな――――」



 灰燼かいじんと化した江戸城。


 

 その身に閃光を宿した奏汰と対峙した二人の勇者はそう言うと、共に勇者の証である虹の輝きを灯してその場から消えた――――。 


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