旅人生
今井杞憂
人生是即チ旅ナリ。旅是即チ人生ナリ。
乗車記
【乗車記】青い大蛇
えー皆様、突然ですが「トロッコ列車」なるものをご存知でしょうか?
一般の鉄道車両には、勿論窓がついていますね。これは自明です。
鉄道のトロッコ車両には、その窓がついていないのです。
トロッコとは元々、鉱山などで使われる簡易的な車両及び鉄道のことなのです。簡易的ということで、窓のついていないものが多かった。そこから転じて、現在では客を乗せるもののうち、窓がついていない車両を「トロッコ」という訳です。概して地方にあることが多いです。
「え? それじゃ寒いじゃん」と思ったあなた。または「地元の人はそんなモノにいつも乗ってるの?」と思ったあなた。勿論、定期列車ではほぼ使われません。
使われるのは臨時列車やイベント列車などです。あとは、団体で貸し切って使われることもありますね。一般の列車として運行するときは、ほぼほぼ全車指定席になります。
理由は人気があるから。特に近年は冷房や換気の技術も向上して窓の空かない車両が多くなっており、自然の風を浴びられる車両はあまり残っていません。だからこそトロッコ列車が、現代日本の観光資源の一つとして成立しているのです。
ここまで聞いてなお「面白くないだろうし乗りたくなんかない、そもそも車社会だし鉄道なんて(略)」という方は、どうぞ回れ右をして頂いて結構です。ここから書いてあるのは大半がトロッコ列車のことですので。
それでは残っていただいた皆様、ありがとうございます。本題に入りましょう。
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9月12日午前8時、私は島根県の
お目当てはこの駅から出るトロッコ列車〔奥出雲おろち号〕。土日祝日を中心に運行している列車で、座席は全席指定。勿論指定券は購入済みだ。
8時45分の発車予定だが、改札口で駅員にのりばを聞くと、もう入線しているという。高架上のホームへ上がってみると、白と青のカラーリングが施されている3両編成の列車が停まっていた。これが奥出雲おろち号で、1両目が機関車、2両目と3両目が客車になっている。
ちなみに「客が乗れば全部『客車』っていう括りになるんじゃないの?」という方もいるかもしれないので説明すると、鉄道での概念としては機関車に引っ張られる車両を特に「客車」と呼び、自分で走れる車両は客車とは呼ばずに「電車」「気動車」などと、もっと細かい区分で呼ぶ。
写真を撮っている間に時間が来て、出雲市を定刻に発車。途中の
30分ほど、かの有名な紀行文作家・宮脇俊三氏が「偉大なるローカル線」と称した「本線」をガタゴト行き、9時17分に宍道に着いた。ここから更なるローカル線である木次線へ乗り入れるのだが、そのためには逆方向に進まなければならないので、10分ほど停車する。
接続する普通列車からの乗り換え客を待ち、7分ほど遅れて発車。木次線に入る。
線路を見比べてみると、曲がりなりにも幹線である山陰本線との差は一目瞭然で、向こうは特急用にがっしりした線路が敷かれているが、こっちは二本の線路の間が草
車掌が観光案内を始める。宍道から木次までに停車するのは
車窓をよく見てみると、田んぼの片隅に上屋のようなものがひっそりと建っている。住居でもなさそうだが何なのだろう。収穫した農作物の置き場なのだろうか。
木次に着くと、地元でプリンや牛乳を製造・販売している業者がホームまで売りに来ていた。遅れている影響で買う時間は無いかと思っていたが、予約も含め購入する人が結構いる。迷って財布を出しかねている間に「発車します」とのアナウンスが入り、結局買いそびれた。小銭は減らなかったが楽しみが減る。
乗務員が交代し発車、木次からは終点の備後落合まで全ての駅に停車していく。しかし
退屈しかけていると、
次の
木次線沿線は神話の里というのをアピールしており、この奥出雲おろち号の名も「
列車は、駅舎の石州瓦が鮮やかな「
その代表例が出雲坂根にある「スイッチバック」という登り方だ。これは、一気に登るのはとても無理なので、あえてジグザグに線路を敷いて、行ったり来たりしながら山越えのための高度を稼ぐ手段である。
そこを列車はゆっくりと、出雲坂根駅を眼下に見ながら登って行く。次の三井野原はJR西日本で最も高いところにある駅で、標高は727メートルある。その辺りまで行くために、時間と距離が長くなろうともこうしているのである。ちなみに三井野原の愛称は「
スイッチバックを抜けて短いトンネルをくぐりながら走っていると、右側に道路が見える。これは「奥出雲おろちループ」と呼ばれる道路で、道路でもかなりの急勾配になるから、ぐるぐるとまわりながら高度を稼いでいく。てっぺんの辺りには赤い大きな橋が架けられていて、これが「おろちループ」を象徴する施設になっている。
だが、この道路の開通で木次線は大打撃を受けたのだ。前は、自動車ならば細い道を曲がりくねりながら行くしかなかったのだが、こんなものが出来ては太刀打ちできない。こちらは昭和12年に開通した単線の鉄路である。車内放送でもおろちループを案内しているが、実態はただの商売敵である。
こうして見ると、車社会である日本の構図が良く分かる。道路に金は出しても、線路には金を出さないのだ。国がやっていた鉄道事業が民間の手に渡った瞬間、後は自分たちで勝手にやってね、と半ば体よく切り捨てられたのである。整備まで全て民間で請け負う鉄道と、国が整備費用を出してくれる国道。しかも鉄道の方が鈍足とくれば、地元住民がどちらを選ぶかは明らかである。
色々言っても仕方ないのかもしれない。私は生まれていないから知る術もないが、昭和40年代ごろまでは、鉄道網が日本全国に張り巡らされ、なくてはならないものだったという。しかし時代は変わった。地方への新幹線の開業、大都市圏への人口集中、少子高齢化……。さらに昨今の新型コロナウイルスで、鉄道そのものへの存在意義が問われるまでになってしまった。
そして、この〔奥出雲おろち号〕も、2023年度での廃止が予定されている。木次線自体の廃止論はまだ出ていないが、トロッコ列車が無くなるということは、地域の観光資源が一つ減るということである。
それはつまり、この地域に訪れる観光客の減少を意味している。書いたように、途中の駅で大勢の人が出迎えてくれたり、弁当やスイーツをホームで売ってくれたりした。普通列車は窓が開かないから、そういうことが出来ない。この奥出雲地域の先行きは明るいとは言えない。
それでも、前向きな姿勢を崩さずにおもてなしの心を持って旅行客に接してくれる地元の皆様と木次線の乗務員の方々には、感服するばかりである。
列車は三井野原を過ぎて下りに入る。分水嶺を越え、水の流れが変わる。今までは列車と逆の方向に流れていたのが、列車が進む方向へ流れるようになるのだ。
最後の停車駅である
そして最後の一区間を噛みしめるかのように、青い
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いかがだったでしょうか? 私見が多分に含まれていることは、何卒ご容赦願いたいです。
今回乗車した〔奥出雲おろち号〕は、現在も運行中です。ただ、毎日運転している訳ではないので、キチンと調べてから行ってみてくださいね。また、印象は旅行時のものなので、実際に乗ってみた結果「書かれていたことと違う!」という苦情は受け付けません。
この木次線に限らず、そしてJR・私鉄を問わず、経営の苦しい路線は全国に存在します。助けになるなどとは毛頭思っておりませんが、言うだけで何もしないのも違うと思ったので、稚拙を承知で文章に書き綴った次第です。次回(があるかどうかは気分次第ですが)はこの続きというか何というか、そんな感じのを書くつもりでいます。それではまた。
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