第66話 オカンと竜と青嵐 ~2~


「孵化はどれくらいかかるん?」


 千早は遠目に見える竜を眺めながら、楽しそうな顔で笑う。


 網を修理していた手を止めて、漁師は同じように竜のいる海を眺めた。


「そうっすね。春の始めから夏の始めくらいですかね。孵化しても、しばらくは此処等にいます。ちっこいのが親の背中に乗ってて、自力で泳ぎ、餌が捕れるようになったころ、ここの海から離れていきます。ただ......」


 漁師は軽く眼をすがめる。


 日焼けした体躯と海風にさらされ色の抜けた茶髪。如何にも海男といった隆々な筋肉を持つ男は名前をミゲルと言う。

 レゲエっぽい髪を少し高い位置で一つ結わきにし、赤いバンダナ、赤いシャツ。帽子があればマドロスさんな出で立ちの男を、幼女は不思議そうに見つめた。


「たいてい何時も五匹くらい生まれるんですが。他のモンスターに襲われて、一匹か二匹。下手したら全滅とかなったりもしますね」


 大海原には多数のモンスターが棲息している。当然、弱肉強食。ひ弱な子竜など格好の獲物。

 子竜を失った親竜の悲痛な叫びは、聞いていて堪らない切なさがあるとミゲルは険しく眉を寄せた。


「あんな広いとこじゃなく、もっと狭いとことか他のモンスターが入れない岩場が一杯なとことか、子育て場所を変えたら良いと思うんですがね」


 確かにそうだ。ミゲルの呟きに幼女は首を傾げる。

 あそこでなくてはならない理由があるのだろうか。しばし思案し、そして後方にあるディアードを振り返った。

 何度か交互に振り返り、あっと眼を見開く。


「海底火山だ。あの辺は水温が高いんだよ。竜の孵化には温度が必須なのかも」


 以前、湯殿を作る際に千早は火山脈と源泉を探した。こちらの地下に伸びている火山脈の元となるはずの海底火山があの辺りにある。


 理由は分かれど何とも出来ない。せめて子供が孵化してからでも安全圏で子育てしてほしいものだが。


 切なげに竜を見つめる幼女の横で、ミゲルが網をバサッとひろげる。修繕が終わったようだ。


「漁には出られないんしょ? 網で何やるん?」


「小舟なら近海は平気なんですよ。竜が入れない浅瀬で暫くは小物を狙います」


 にっと白い歯を見せて笑うミゲル。

 聞けば貝やエビの採集など、沖には出られなくても、やる事はいくらでもあるという。


 なるほど。すると、ここらの春の味覚は貝などの浅瀬に棲息する甲殻類か。


 幼女の顔が、みるみる喜色で彩られる。

 千早は跳びはねながら、斯々然々と端午の節句や桃の節句の話をミゲルにした。

 子供の成長を願い、ことほぐ御祝いと聞き、ミゲルは快く海産物を確保し、明後日の五日に孤児院へ届けてくれると約束した。


 上機嫌でスキップしつつ、幼女はディアードの街へ戻る。


 すると、街の入り口で口論する人々がいた。

 数人は見覚えがある探索者だ。タバスの部下のはず。あと数人は知らない輩である。


 見知った顔はディアード近辺を警護する自警団。タバス直属の探索者が、リカルド筆頭に週代わりでボランティアしていた。


 しかし、なにやら不穏な空気。


 千早は隠密を発動して、彼等に近づいた。


「少しくらい良いだろう? こないだ皆で食べていたじゃないか。お金はちゃんと払うよ」


「これは妹様が管理している養蜂場だ。素人が下手な事をして蜂らに何かあったら、どうするっ」


 どうやら蜂蜜が原因らしい。厳めしい顔つきで、探索者らが数人の男らを睨みつけ、諭すように話していた。

 養蜂場の基本的な管理は蜜専門の探索者らに任せてある。

 その一人であるナーシャも困惑顔で立っていた。


 ふむ。


 千早は隠密を解いて姿を現し、事のしだいを聞く。


 話によれば、ナーシャが作業に訪れると数人の男らが養蜂箱を外し、右往左往していたらしい。

 声をかけると、蜂蜜が欲しいのだが採集の仕方が分からないと宣う。

 勝手に採集されては困る。蜂の巣が壊れたら一大事。採集し加工されたらそのうち売りに出るだろうから待ってくれとナーシャが説明するが、男らは、自分達だけ美味しい思いをする気かと逆切れ。

 結果、ナーシャは自警団を呼び、今に至るらしい。


「なら見習いとして手伝いに入るかい?」


 何の気なしな幼女の呟き。


 彼等はハルベシューア区画の職人達で、前回振る舞われた蜂蜜祭りの味が忘れられず、少しばかり分けてもらおうとやってきたと言う。


「ここじゃ基本、初収穫は皆で分かつんだ。それ以降はお買い上げいただく事になる。大事な街の資金源だからね。まあ、半端な物や品質が悪い物は安価で働き手が優先的に買える。見習いになれば、それを狙えるなり」


 働かざる者、食うべからずだ。


 職人らは、それぞれ仕事を持っている。今更、見習いなどなりたくはない。


「職人がその職種系で優遇されるのは当たり前なり。皆同じ。養蜂家にならないなら、商品になるまで待っておくれ。そんなに時間はかからないから」


 職人らは話を理解すると、顔を見合わせて頷き、諦め良く帰ってくれた。

 あからさまな安堵の息をつき、ナーシャが幼女に頭を下げる。


「ありがとうございます、妹様。手を出す訳にもいかないし、どうしようかと思いました」


 キャラメル色の短い巻き毛の少女は、眉を潜めながら笑った。

 彼女は元蜜専門の探索者。原生林を徘徊し、魔獣らから蜜を奪い取るハンターだ。

 先ほどの職人らはナーシャを少女と見て侮っていたのだろうが、下手をすれば腕の一本や二本、さっくりもがれる強者である。

 卵にしろ蜜にしろ、野獣、魔獣と相対する専門探索者らは総じて強者だらけ。

 大事な仕事を任し、さらに警護も兼ねられる貴重な人材達だった。


「なんくるないさぁ。初めての蜂蜜に、ちょいと理性のタガが外れたべさ。似たようなの来たら、こっちに来るように話すと良いなり」


 にかっと笑い、千早は頭を下げるナーシャや自警団らに見送られ、ディアードの街に帰った。




「と言う訳で、明後日は端午の節句やるぜいっ、桃の節句も兼ねて、ちらし寿司や御馳走つくるぜいっ」


 わーっとはしゃぐ子供らを微笑ましく見つめ、アルス爺がパンパンと手を叩く。


「さぁさ、妹様の祖国のお祭りです。皆で盛大にやりましょう。貴方達子供らのお祭りなのですから、食材確保は頼みましたよ」


 にっこり笑うアルス爺に、子供らは元気良く返事をした。皆、満面の笑顔だ。


 ミゲルら漁師が持ってくる海産物にワクワクしながら、千早は異世界初の端午の節句がどんな催しになるか、楽しみで仕方なかった。


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