悪魔との契約

 その時の唯依の様子は言い表せない。記憶が曖昧になっていた。物理的暴力こそ振るわれていないが心理的暴力の程度は容易に察せられる。


 ともあれ俺がまともな認識を取り戻したころには、3時間は経過していた。脚の感覚もない。気づけば正座していたようで、足を崩そうとしても崩れないほどだった。見かねた唯依に介護されながらソファに掛けた。

 人が変わったように唯依は晴れやかな表情を浮かべていた。


「あー……すっきりした。それで私に何して欲しいんだっけ?」

「小依先輩に聞いてくれ」

「えっとー……波止場小依先輩、でいいんですよね? あの」

「どの波止場小依かはわからないけど、よろしく。瞬君から話は聞いているよ。立花唯依さんだよね?」

「はい! 2年の立花です」

「うん。まあ年齢は下だけど、学年は上だから。瞬君なんかは照れちゃって先輩を外してくれないけど、立花さんはもっと気楽に呼んでくれて構わないよ」


 ズバズバと物を言う唯依と迂遠な言い回しを嫌いそうな小依先輩は相性が良いらしい。お互い親し気な雰囲気を出し始めたところで、唯依が凍り付いた。


「そ、そういえば……瞬が他人を名前で呼んでる……あたし以外を……瞬が」

「そりゃ人を名前で呼ぶくらいある」

「嘘だあ! だって瞬だよ!? 私の時は何年――」

「親しみやすさが唯依とは違うんだよ」

「ふぬぅ……」

「ま、まあまあ。それで話なんだけどね、立花さん」

「この度は申し訳ありませんでした! 命だけは許してあげてください!」

「いやぁ……はは。私ってそんな風な印象なんだね。そっか。そうなんだ」


 これは傷ついている時の声音だ。あとでフォローを入れておこう。小依先輩は心に怪我をしながらひとしきりの説明を終えた。唯依は顔を真っ赤にしたり軽蔑したり馬鹿にしたりと忙しかったが、最終的に憮然とした表情で俺をじーっと見つめ始めた。


「なんだよ」

「瞬を彼氏にするって想像つかないなぁーって」

「馬鹿にしてるのか」

「一応言っておくけど、今付き合っている人とか、気になる誰かがいるなら」

「それは大丈夫ですよ」

「あそう……それでどうだい? 私たちの問題に巻き込んでしまって申し訳ないとは思うんだけど、立花さんの助けが欲しいんだ。あっ他に案があるならもちろん――」

「特にないので瞬と付き合いますね」


 そんなわけで彼女ができた。何の嬉しさも感慨もない。だいたい付き合うのは腐れ縁の幼馴染である。女として認識するところから始めないといけないくらいだ。

 唯依にジト目で睨まれた。


「一応言っておくけど形だけだからね」

「わかってるって」


 無理だと承知の上で仮定に仮定を重ねて好みのタイプを言うのなら、もちもちした感じの女子が良い。薄暗い事情やネガティブさの片鱗もないようなふわっふわ生クリーム的な。

 つまり正論マシンで頭が四角四面角砂糖の唯依とは相いれない運命にある。


「今再検討したんだが、やはりお前に入れ込むことはない」

「それはそれでムカつくんだけど?」

「仮に惚れるならもっと早く惚れてるわ」

「それもそっか」


 良かった馬鹿で。

 だいたい恋心を抱くのなら小依先輩が先に決まっている。何を間違って恋の穂先を唯依なんぞに向けなくてはならないのか。俺は幸せになるべき人間じゃないが、唯依だって恋人との幸福を味わえる性格じゃない。

 こうして唯依から借りて読んだ少女漫画並みの巨大なフラグを立てながら、謎の縁談が結ばれるのだった。

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