第伍拾伍話:急報

 長尾景虎の城主としての評価はまずまずと言ったところであった。道理を重んじ、今までの慣習を踏襲し、つつがなく本庄の代わりを務めあげる。

 まあ、引継ぎ相手が隣にいるので間違えることもないだろう。ゆえに出来不出来で言えば出来る、それぐらいの評価が妥当である。

 栖吉から離れると多少荒れ模様であるものの、長尾房景の眼が光っている内はこの栃尾に手が届くこともない。そもそも、栃尾盆地自体が少し奥まったところにあるため、栖吉含めた近隣にとっての詰めの城、と言う役割。

 まずここを攻めるなど悪手以外の何物でもない。

 栖吉を狙うならば、であるが。

「……おお、お殿様の座禅は堂に入っとりますのお」

「ほんにお美しいわぁ」

「年増が色目使うな」

「あんた今日飯抜きね」

 現在、景虎は栃尾城下にある瑞麟寺に訪れていた。如昴和尚監修のもと、座禅を行っていたのだ。普通と異なるところを言えば、座禅をしている様を寺に訪れた者たちに見られるような場所で行っている、と言うところであろうか。

 とは言え、雑念が入り込みやすい環境で、こうも見事に空と成る座禅を見せつけられたなら、和尚も何も言えぬだろう。

 まあそもそもこの瑞麟寺、為景の代に開山された場所であり、寺領を寄進したのは為景。古志長尾家、古志郡司不入の保護を設けたのも為景。

 ゆえに長尾為景の子である景虎にも縁がある場所なのだ。

「信心深いのだろうなぁ」

「本庄様が座禅されている所なんて見たことないものな」

「確かに」

 民の心無い言葉に近くで聞き耳を立てていた本庄はほんの少しムッとする。

「…………」

 景虎は栃尾にやってきた際、すぐさまこの瑞麟寺に訪れ、今後とも何卒よろしく頼む、といち早く和尚らと挨拶を交わした。父と同じようなスタンスである旨と、父以上に信心深いさまを見せつけるための行動である。

 そこに何の意味があるのか本庄にはわからないが、少なくとも彼は春日山から一貫して、寺院を貴ぶ姿を見せている。あの『葬列』に際しても、天室光育らを始め、数多くの僧侶たちとの深い繋がりを示し、菩提寺である林泉寺と長尾家の絆を強く万民に知らしめたと言える。

 春日山の悪たれがこうも変わるか、と本庄も驚いたものである。

「また修行させてもらっても良いか?」

「もちろんでございます」

「感謝する」

 禅を終え、長々と待たせた本庄と合流する景虎。

「頻繁に来られるのですな」

「武家が禅宗を貴ぶのは自然なことよ」

「それもそうですが……それにしても多過ぎるのでは?」

 本庄の疑問に、景虎はケタケタと笑い、

「今は種まきの時期じゃ。今にわかる」

 その行動が種まきと言い切った。景虎が見せる冒涜的な表情には、神仏を貴ぶような殊勝な色合いは微塵も垣間見えなかったのだが――


     ○


「よし、行くぞ持の字!」

「合点!」

「ちょ、待ちなさいよ! 馬鹿じゃないの⁉」

 ただ、腐っても長尾景虎、悪たれ小僧であった男が殊勝なままでいるわけがない。突然思い付いたかのように甘粕を引き連れ、田んぼに飛び出していったのだ。

 女装して。

「持之介の母でございます」

「母上です!」

「あらあら。こんなお美しい御母上がいらしたのね」

「持ちゃんも幸せ者ねえ」

「はい!」

 いつも以上に元気いっぱいの甘粕と美しい笑みを浮かべながら世辞を聞き流す景虎。自分が美しいなど何を当たり前のことを言っているのだ、このおばさん共は、などと思っていたとか思っていなかったとか。

 ちなみにやってきた理由は稲刈りの手伝い、である。

 まあ手伝いと言いつつ、田植は経験済みだが稲刈りはやったことないな、と思い急遽変装して田んぼに突入したのだ。

 本庄には腹痛で今日の公務はお休み、と文から伝えさせている。

 文は激怒していたが。

「俺の知る唄とは違うのぉ」

「田植と稲刈りは違う唄ですし、地方によってかなり違いますから」

「お、さすが詳しいの」

「……むふふ」

 頭を撫でられ相好を崩す甘粕。昔取った杵柄、地方の豪族であった彼はあの千葉氏ほどではないが、それほど格式ばった家ではなかった。ならば至極当然とばかりに一家総出で田んぼの手伝いなどもしていたらしい。

 実際に中々手際が良く、百姓連中に褒められていた。

「長尾家名代の持之介です!」

「母でございます」

 経験者の甘粕。器用で物覚えが良い景虎。

「こりゃあいい戦力だ」

「んだんだ」

 すっかり溶け込む二人の親子。ちゃっかり長尾景虎の評価を上げることにも余念がない。塵も積もれば山となる、である。

 文にはあとで物凄く怒られたが。


     ○


 ところ変わって――

「へくし」

「ん、今男の子の声が?」

「うふふ、まさか」

 尾張では女性の格好をした少年がお祭りで踊っていた。女踊りと言われる輪の中に飛び込み、姿かたちは違和感がない。踊り自体も達者なもの。

 だが、男である。

「吉法師さま! どちらにいらっしゃいますか⁉」

「探せ探せ、見失えば殿に殺されるぞ!」

 そんな家臣らを尻目に日頃の鬱憤を発散するかのように踊るは、織田吉法師。のちの織田信長である。天下に名を馳せた英傑が一人。

 ただ、今は女踊りに興じている――男である。


     ○


 そんなこともありながら年も明け、天文十三年三月、栖吉の古志長尾館には長尾家重臣、本庄実乃が訪れていた。長尾景虎の名代、と言う形で。

「……何故本庄殿と顔を突き合わせねばならぬのか」

「……私が聞きたいですな」

「儂の可愛い景虎は?」

「……禅の修行があるとのこと」

「其の方が座禅をして、景虎がこっちに来るのでは駄目だったのかのお?」

「そもそも平三殿を呼びつけ過ぎです」

「……老い先短いんじゃから許して欲しい」

「まだまだ意気軒高、ご安心ください。死ぬ死ぬ申す者がすぐさま死んだ試しはありませぬ。殿はまだまだ生き永らえるでしょうな」

「なら、もっと景虎に会えるのぉ」

(この、クソジジイ)

 さすがに自称仏の本庄であったが、この男の好き放題っぷりは目に余るようである。ただこの好々爺も現役時にはそれなりの目利きであった。元々古志長尾家と本家と成った三条長尾家(為景の家)、そして上田長尾家の三家は対等であり、守護代の職を三家で回していたのだが、三条長尾家が独占し始め三家は割れた。

 未だ上田長尾とはしこりが残る中、古志長尾家は為景の流れだと判断するや否や、すぐさま彼に鞍替えし、愛娘を差し出して下に付いた。

 結果として古志長尾は三条長尾、本家筋と上手くやっている。

 その流れを作った男がこの長尾房景なのだ。

「おとらも出家してもうたし、儂寂しい」

「戻られなかったのですね」

「うむ。歳の差もあり、政略でもあったわけじゃし、こっちに戻っても角は立たぬと言ったのだが、自分の夫は先代一人だと言い切ってのぉ」

「剛毅ですな」

「儂に似ての」

「…………」

「なんか言えよ」

「ソウデスネ」

 今じゃ立派な古だぬき。ぽこぽこのお腹はとても戦場に出られるようには見えない。まあ、この男の真骨頂は為景とは真逆、戦場に出ない才なのだが。

 そうして特に用もないのに呼び出したことで、生産的な会話もなく初老の男とおっさんが顔を突き合わせ続けていると――

「失礼いたします!」

 突然、栖吉の兵が彼らの部屋に飛び込んできた。

「なんぞ?」

 房景が問う。

「急報でございます! 栃尾城近郊に武装した軍勢を発見したとのこと」

「「栃尾城⁉」」

 予想すらしていなかった報告であった。栖吉一帯を狙う上で、栃尾を目指す意味はない。あそこを取ったとしても、逆に袋の鼠となるだけ。

 栖吉が兵力をかき集め、包囲されるために来るようなもの。

 ならば――

「……狙いは」

「景虎か」

 房景は顔を歪める。今、あそこを狙うのであれば目的は一つしかない。土地ではなく、人。長尾景虎と言う新参者しかありえない。

 そしてその理由は――

「すぐに兵を集めよ! 本日中に出られるものだけで構わぬ!」

 長尾房景の指示が飛ぶ。

「はっ!」

 部下が下がると、房景は頭をわしわしとかく。

「本庄殿はどこの誰が相手と思う?」

「……直接的にはそれほど大きな勢力ではないと思います。ただ、裏にいる者はそれなりの相手、ではないかと。確証がないので、口には出せませぬが」

「……傀儡か、過去に縋る名門か」

「もしくはその両方か」

「阿賀北の可能性は?」

「彼らなら静観しそうな気もしますが……その辺りは達者ですので」

「なるほどのぉ」

 予想外の急襲。狙いは明らか、長尾景虎を用いて長尾家の面子を潰すことにある。若き景虎が入った栃尾城を襲い、彼が城から出てこなければ城下を荒らした上で臆病者と誹り、出てきたとすれば野戦にて討ち取る。

 本命はおそらく、後者。

「栃尾の戦力は?」

「百姓らをかき集めて精々三百が限度です」

「今回は少ない方が良い。打って出ぬことが肝要じゃ。下らん風聞は過ぎ去るのを待てばよいが、死ねばそこで終わりゆえにの」

「その辺りは弁えておられるかと」

「……若さに飲まれねば、の」

 敵の狙いは若く血気盛んな景虎を引き出し、討ち滅ぼすことにある。これが果たされたなら、間違いなく長尾家の評価は地に堕ちることとなるだろう。

 ただでさえ荒れ模様の越後で、この一敗は死活問題となりかねない。

 長尾景虎の選択次第で、越後が揺らぐ。

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