卒業-Obverse-5

 

促されるまま着いてきたら、そこは学校のすぐ近くの喫茶店だった。

すぐ近くとは言っても、正門と北門のちょうど間辺りにあり、うちの学生らしき人は一人もいない。

『いつもの席、空いてます?』

どうやら片桐君はこのお店の常連のようで、客席の中でも一つだけ奥まったところにあるボックス席に案内された。

『ホットのカフェラテを二つお願いします』

落ち着いた調子で注文し、改めて私に言う。

『とりあえず飲みなよ。美味しいから。落ち着いたら、話せばいいから』

ありがとう。これも言葉にならない。とりあえず頷いた。

ここのカフェラテは、とっても美味しかった。お店の雰囲気も落ち着いていて、決して新しくはないけど、かと言ってボロボロな訳でもなく、むしろ古めかしい感じがいい味を出していた。

店内の温度も程よく保たれている。

どこから話したらいいか、整理しようとしたら、また涙が出てきた。なんでだろ。。

『考えすぎると、多分どんどん苦しくなるよ。まとまってなくてもいいから、まず言葉にしてみるといい。』

わかってるけど。。いや、やってみよう。

「あのね。。。」

 

私は、全てを話した。

自分が気に入って、せっかく受かったバイト先で好きでもない男の人にずっとつきまとわれていること。それについて恒星に相談したら、少し怒らせてしまったこと。また自分より忙しい恒星に助けを求めることもできずにいること。それどころか、会いたいという言葉も、言いにくくなってしまったこと。まだ店長に相談することもできずにいること。好きだからこそ、負担になりたくないので、ネガティブな話を避けていたら、いつの間にか苦しくなってしまったこと。

今日、改めて大久保さんからきたメールで、いよいよ耐えきれなくなってしまったこと。。

『なるほどね。その、大久保って人の電話番号わかる?』

え?なんで?

「わかるけど、なんで?」

『ちょっと見せて』

「うん、けど、なんで」

いきなり私から携帯を取り上げる

なにを。。

私は、取り返す元気もなくてただ呆然としてた。

片桐君が私の携帯を耳に充てる。

「ちょっと!なにしてるの?」

片桐君は、人差し指を自分の唇に当てて私の言葉を制した。。

なにする気なの?

『あぁ、もしもし?あんたが大久保さん?誰ってそりゃこっちのセリフだよ。あんたさ、俺がいるのわかっててさぎりを何度も誘ってるらしいな。さぎりを誰の女だと思ってそんなことしてんだよ。何度も断ってんのにしつこく連絡してきて、その上(俺のこと避けてない?)てバカか?避けるに決まってんだろうが!で、いよいよ本人じゃどうしようもなくなってるみたいだから俺が電話したわけ。あ?部外者?どこが部外者なんだよ。そもそも彼氏持ちの女に言い寄ってんのがおかしいだろうが!あんたが大人しく引き下がりゃ見逃してやろうと思ってほっといてやったのに、そうかい、それならもういいわ。おたくの店長に直接話しますわ。どうせさぎり以外にも声掛けまくってんだろ?こっちは明るみに出て困るような話はなんにもないんで。あ?今更謝ったっておせぇよ。どのみち今のバイト先じゃもうやってけねぇだろ。さぎりが黙っててもいつか誰かが言うんだから。大人しくやめとけよボケ』

。。。。

 

 

すごい。なに、この人。。怖い。。電話はしばらく続いた。。

話がどうなったのかは、よくわからなかった。

 

 

 

 

 

『ごめんな。汚い言葉使って。あと、また下の名前で呼んだわ。彼氏のフリだから、勘弁してくれ。』

 

 

だけど、優しい。名前?いいよ。呼んでも。

 

 

『まぁ、言った通り、明るみに出て困るのは向こうだから、こっちが強めに出ないとだめなんだよ。ごめん』

 

 

 

だからいいって。ありがとう。私の為に、悪者になってくれたんだね。。

私を庇ってくれて、ありがとう。。

 

『それとな、彼氏の言うように、ちゃんと店長に相談したほうがいい。本来なら、それを先にするべきだった。言い出しにくいのもわかるけど、もう先延ばしにはできないと思うぞ』

そう、だよね。

「うん。ありがとう。今日、ちょうどバイト休みだから、行ってみる。」

『そうだな。後、悪いんだけど連絡先教えてくれる?今回のことでなにかあったら、ちゃんと知らせてほしいから。』

いいよ。もちろん。

「うん、わかった。心配かけてごめんね。」

ここまでしてもらったんだから、もう逃げていられないな。

今までは、なにをどうしたらいいかまるでわからなくて、本当に苦しかったのに。。

あそこまで汚い言葉は使わなかったとしても、同じ意味のことを、私が言わなきゃいけなかったんだってわかってる。。

でも、言えないよ。怖くて。

だから、きっと、私はどこかで、恒星に言ってほしいと思ってたんだと思う。

『俺の彼女に手を出すな』ってあの大好きな声で。そして、その後、私に優しくしてほしかった。。

もう、遅いけど。いや、そうしてほしいって、はっきり言わなかった私も悪いから。いいの。もう。

今は、次にどうするかを考えなきゃ。

ここからは、私が自分で頑張らなきゃいけないところだ。

 

 

店長に電話したら、お店が込み始める18時より前ならいいとの事。

私は、今日は5限までなので、ちょうどよかった。

 

『相談があるって、どうしたの?』

もうここまできたら、ちゃんと話すしかない。

「あの、ちょっと言いにくいんですけど。。」

頑張れ、私。

『もしかして、大久保のことか?』

え?

「なんで、ですか?」

『違うのか?』

いえ、まったく

「違わない、です。」

『やっぱりな。なんとなくそんな気はしていたよ。最近、山本が大久保を避けているようにも見えたしな。事情までは知らないけど、今日はそれを話にきたんだろう?どうしたんだ?』

事情は、知らないんだ。。

「実は、バイトに入ったばかりの頃から、個人的に食事に誘われるんです。私は、その、彼氏がおりますから、それも言ったんですけど、それでも、あまりにもしつこく誘われるので、困るっていたんです。」

『あぁ、なるほどなぁ』

店長は何か考え込んでるみたいだった。私は言うべきことは言ってしまったので、店長の次の言葉を待つしかない。。

これ、結構気まずい。。

『言うべきか迷ったけど、山本も、勇気を出して話してくれたからな。俺の考えも話そう。確証はないから、このことは他言無用にしてくれ。いいか?』

「...はい」

『大久保は、たぶん同じようなことを他の人にもしていたんじゃないかと思う。』

え?それじゃ、片桐君の言う通り...

「なんでそう思うんですか?」

『俺の目から見て、他にも何人か、大久保を避けているように見えるからな。』

...

「そうなんですか?」

『うん。理由はわからなかったし、大久保は、まぁ仕事はまじめにやってたからな。確証もないのにどう声をかけていいかわからなくてな。』

まぁ、そうですよね。

『今日、山本の話を聞かなかったら、わからないままだった。ありがとう。後、もっと早くに声を掛けるべきだったな。悪いな。』

いや、それは

「いえ、店長のせいではないです」

店長は、低く唸った。

『このことについて、大久保とは直接話したのか?』

なぜ?それなら私がここに来る理由は?

『というのも、さっきその大久保から電話があってな』

は?なにそれ

「どういうことですか?」

また低く唸る。

『それがな、急で申し訳ないけど昨日まででやめさせてくれと言うんだ。』

なんと...

『あまりにもタイミングが合いすぎてるから、もしかしたらと思ってな。何か話したか?いや、別にいいんだ、悪いのは大久保の方だからな。ただ、大学生と言っても、大久保もまだ親元にいるからな。場合によっては、保護者の方から問い合わせがくることもあるかもしれない。そうなった時に、俺が何も知らないわけにはいかないからな。話してないなら、いいんだ。』

店長の言葉を聞きながら、それでも私は店長に正直に言うべきか悩んでいた。

いや、だめだ、言わないと。

「あの、私、ではないのですが.. 」

 

私は、さっきまでのことをすべて話した。

すっごく怖かった。絶対怒られると思った。

でも、意外にも店長は感心していた。

『そうか、彼氏が追い払ってくれたのか!すごいな、お前の彼氏!』

ややこしくなるので、電話をしたのは彼氏ということにした。

『よし、後のことはまかせろ。お前の彼氏がそこまで頑張ってくれたんだもんな!若いのに骨のあるやつだな!もし親御さんが出てきても、俺がちゃんと説明するから大丈夫だ!』

「ありがとうございます」

店長は、それからもずっと私の"彼氏"を褒めていた。私は、だんだん居心地が悪くなってきたので帰ることにした。

今頃になって自分のしたことがどういうことか実感した。

 

 

 

 

私、嘘をついたんだ。

店長にも、大久保さんにも。片桐君が悪いんじゃない。

自分一人で解決できなかった私が悪い。いや、自分でどうにかできないなら、私が頼るべき人、唯一頼っていい人は恒星なんだから、こうなる前に恒星に頼るべきだった。

恒星は、お願いしたら絶対やってくれたと思う。助けてくれたと思う。だから、これは言わなかった私が悪い。

色々なことが変わって、色々なことが始まって、沢山悩んで、苦しくなって。どうしていいかわからなくなって、何もできなかった。結果、片桐君を巻き込んでしまった。

それに、私はこれから、恒星に嘘をつかなきゃいけない。

いや、全部を話したっていいのかもしれない。でも、それこそ怖くてできない。自分でどうすることもできずに男友達に頼んで彼氏のフリをしてもらったなんて絶対言えない。。

恒星、ごめんね。ごめんなさい。

 

 

片桐君からは連絡なかったけど、ひとまず区切りがついたので、私から報告することにした。

メールで済ませるのもどうかと思ったので、近々授業の空き時間はないかどうか聞いてみた。

【来週の金曜2限なら。どうだ?】

なんとまぁ、ぶっきらぼうな返信。別にいいけど。

【わかった。この間の喫茶店は?】

またすぐ返信

【校外に誘ってもらえるとはね。了解。11時には行く】

何その返信?どういう意味?

 

 

 

 

もちろん恒星にもちゃんと電話で報告した。

片桐君が彼氏のフリして電話してくれたということ以外は。

恒星は、相変わらず疲れているみたいだったけど、安心してくれたみたいだった。

ごめんね。。

『そうか。それならよかった。その人がバイトをやめたのはちょっと意外だったけど、自業自得だろうし。これで安心して働けるね!よかったな』

ありがとう。ごめんなさい。

「うん」

私に元気がないことを感じ取ったのか、恒星はずっと明るくいてくれた。

『その人が辞めてしまったことを、さぎりが気に病むことないよ。自業自得だと思うから』

違うの。私が気に病んでいるのは。。

「うん」

結局何も言えない。

 

 

 

 

 

 

『さぎり?』

「ん?」

『どうした?』

ぼーっとしてた。。

「あ、ごめん、なんでもない」

『いや、何でもないじゃなくてさ、いつ行く?』

え?なにが?

「え?ごめん、聞いてなかった。」

ごめん。。

『大丈夫か?』

「うん、大丈夫、えっと、なんだっけ?」

『ならいいけど。無理するなよ?えっと、さぎりが働いているお店にご飯を食べに行きたいって話ね』

全然聞いてなかった。ごめん。

「あ、うん、ごめん。えっと、水木金は空いてるよ。」

『お!じゃぁ木曜日にしよう。俺もバイト休みだから』

恒星、ごめんね、嘘ついた上に気を遣わせてしまって。。

 


私は罪悪感と安心感の間に挟まれて、しばらくは苦しかったけど、大久保さんとの問題が解決したので、前向きに考えることにした。

もちろん嘘はよくないけど。。


 

 

木曜日、駅の改札で待ち合わせた。

『学校はどう?』

「うん、ちょっと、資料に目を通し忘れたり、うっかりしちゃうことが多くて。。」

『そっか、バイトでのこともちょっと大変だったしな。あんまり力になれなくてごめん。』

いや、それはもういいの。。

「んん、私こそ、もっと早くに店長に相談したらよかった。」

嘘をつくって、重いことなんだな。。

『これからは、お互いに相談に乗れるように、少し余裕を持ちたいな。俺も、ちょっと忙しくしすぎてた』

ありがとう。恒星がそう言ってくれるなら

「うん、そうしよう。私、もっと恒星に会いたかったんだ。」

素直に言えるよ。もう、絶対嘘なんかつきたくない。。

『そうだったのか。まぁ、実は俺もだけどな。なんか、俺達にしては、話し合いをしてなかったかもね。これからは、今日みたいにご飯に行く日を作っていこうか』

ありがとう。その言葉だけで充分なくらいだよ。

 

 

 

お店についたら、店長の奥さんが迎えいれてくれた。

「いらっしゃい!ゆっくりしていってね。」

客席の奥の方に案内してくれて、おかげでゆっくりできた。

大学のこともたくさん話せたし、今までのコミュニケーション不足についても。具体的にどのくらいのペースでなら会えるか、とか。

すごくいい感じで話ができて、(よかった、これならまた恒星と仲良くやっていけるかも)って思ったんだけど。。

 

『おぉ、山本、きてくれたんだな。はい、デザート。これは俺のおごりだ!』

店長、やけにテンションが高い。。私は嫌な予感がした。。

「ありがとうございます」

『ありがとうございます』

ちょっと、店長。お願いだから

『お!君が彼氏か!聞いたよ、大久保から山本を守ったんだってな!人によってどう思うかは違うと思うけど、俺は好きだぞ!ありがとな!これからも、山本をよろしくな!』

。。。やっぱり。

恒星の頭に疑問符が浮かんでる。

『えっと、どういうこと?』

そうなるよね。もう、覚悟を決めなきゃ。

「ごめん、ここではちょっと。デザート食べたら、公園にいかない?」

私が何かを隠しているとわかると、途端に真剣な表情になった。ごめんね。

それでも、店長や奥さんには笑顔で接してくれた。むしろ私の方がひきつった笑顔になっていないか心配だった。。

 

お店を出たら、完全に黙ってしまった。たぶん、私から話し出すのを待ってるんだ。。

覚悟を決めよう

これは、バチがあったんだ。嘘は、いけないって、神様が教えてくれたんだ。

「あのね。」

何も言わない。でも、聞いてくれてるよね。

「私、春休みってもっと恒星と遊べるものだと思ってて。。でも、確かに大学生にもなってバイトもしないんじゃ、だめだよなって思って、私も頑張ろうと思って、バイト始めて。恒星がすごく素敵な指輪をくれたから、なにかお返ししたいっていうのも、あって。そしたら、あっという間に春休みは終わっちゃうし、大久保さんはホントにしつこくて私、何度もちゃんと断ったんだよ?でも、恒星に話したら、ちょっと怒らせてしまって、でも自分じゃどうにもできなくて。。苦しくって、話したかったけど、大変なのは、皆一緒だし。。恒星は、私よりずっと忙しい中頑張ってるの、知ってたから。何も言えなくて。いっぱい考えてたら学校でも、大事な書類を見落としてたり、ちょっと空回りしちゃって、でも、恒星には、心配かけたくなくて。。会いたかったけど、いつの間にか言えなくなちゃってて。。

また苦しくなって。そしたら、たまたま通りかかった友達の男の子が、どうしたんだって、聞いてくれて、でも、断ったの、話してもしょうがないって、これは、私が何とかしなきゃいけないからって。そしたら、そのタイミングで、また大久保さんからメールきて、それで、すごい怖い顔してるって言われて、それで、全部話したら、もう涙が止まらなくなっちゃって。そしたら、いきなりその子が大久保さんに電話し始めて、かなりきつい言葉で、追い払ってくれて。。」

もう何も言えなかった。泣きながら話していたから、恒星には聞き取れてないかもしれない。。恒星は、何も言わずに背中をさすってくれていた。。なんだろ、この感じ。。

しばらくそうして泣いていたら、少しずつ落ち着いてきた。

『落ちついた?』

恒星は、怒ってないみたいだった。穏やかな声。

「うん、取り乱してごめんね。」

『いや、俺こそ。追い詰めてしまってごめん。』

「違うよ、これは、私が」

『いいんだよ、そんなに自分を責めなくていい。たまには俺にぶつけたっていいんだよ。そりゃ、確かに忙しいけど、さっき、すこし二人の時間を大事にしようって話したばかりだろう?だから、これからは、もう少し俺にも頼ってくれ。』

「うん。うん」

もう、それしか言えなかった。

恒星は、その後もずっと私をやさしく抱きしめてくれていた。

耳元でずっと、『ありがとう。よく頑張った。ごめん。』って私を褒めて、なだめた。

ずっとこうしてほしかった。ずっとこうしててほしいと思ったら、また涙が出た。また止まらなくなった。

ありがとう、恒星。大好きだよ。。

離さないでね。。

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