06 気配


 流れゆく時間を呼吸で測っている時だった。

 はじめは耳を疑った。独りで居続けるうちに幻聴をきたしてしまったのだと思った。時間の計測を再開させようとすると、再びその音を耳が捉えた。私は吸いかけた息をウッと止め、確信する。廊下からだった。それはパパのものではなく、他の誰かの声だった。初めて聞いたその音に、私は生唾を呑み込んだ。

 鉄の扉に吸い付き、耳をそばだてる。乱れる呼吸を無理やり抑えこむ。風を切る扉の向こうで、また声が生まれた。今度ははっきりと聞こえた。それは、女の子の囁き声だった。それも私と同じ子どもが持つ、特徴的な甲高い声だった。私はまた出そうになった声を、喉に力を入れて押し殺した。

 部屋の前を二つの足音が通り過ぎていく。女の子の小さな声は風切り音にかき消され、内容までは聞き取れなかった。遠のいていく足音が私の胸を強く叩いた。胸の奥にある何かが反応して、ぎゅっと光った気がした。

 私とパパ以外に人がいるなんて——それも、女の子だ。

 あの子も「私と同じような女の子」なのだろうか?

 足音はやがて、遠くで閉まった扉の音とともに聞こえなくなった。私が扉に張り付き続けても、夜がやって来ただけだった。

 私は弾かれるように机に向かい、この衝撃的な出来事を日記に書いた。電灯をつけることすら忘れていた。月の光を灯りにすることも考えず、薄暗闇でおぼつかない手元の中、ひたすら事の顛末を書き殴った。今の私の思いも全て紙にぶつけた。さらに想像は羽を広げ、私はその女の子がどんな子なのかを予想した。また、その子と会って何がしたいかを書いた。内容の半分以上は妄想で埋まった。

 書いている間、私から奪われようとしている「箱庭」が戻ってきているような気がした。

 文字で思いの丈を書き起こしたあとに、日記を窓の縁に持っていった。薄光に照らすと案の定、私の書いた文字は紙の上で糸虫が暴れたような形をしていた。

 今度はよく見える状態で、絵を描くことにした。

 あの女の子はいったい、どんな姿をしているのだろう?

 目が大きくて、まつげが長くて、眉は少し垂れていて、唇は厚くて、鼻はすっとしていて、髪の毛は長くて、それを耳にかけていて、輪郭は丸くて、首が細くて、腕も足も細くて、手は木の枝のようで、指は触れたら折れてしまいそうで、胸が私より大きくて、お腹がまっすぐになっていて、それから、それから——。

 髪の毛先を描き終えてから全体図を眺めた。それは私の理想を詰め込んだような絵になっていた。鏡を見たときにいつも思っていたこと、こうなりたいと思っていたことが絵に現れており、私の願望そのものだった。

 私はページを開いたまま、その絵をそっと胸に抱いた。紙の感触はなめらかで心地よかった。心臓の音が聞こえてくる。それは私の音が日記に反響しているだけなのに、まるで絵の中から聞こえてきているようだった。

 彼女に会いたい。彼女に触れたい。彼女と話がしたい。笑いたい。涙を流すところを見つめたい。綺麗な瞳を眺めたい。目と目を合わせたい。ずっと、ずっと。太陽が昇って月と交代するその時まで一緒にいたい。身体を寄せ合いたい。体温を共有したい。月光の雨の中で頬と頬を合わせたい。ずっと、ずっと——思えば思うほどに、会いたい気持ちは強くなっていった。

 私は日記を抱いたまま、ベッドに横になった。そして、叶うことのない『メメの魔法』を、目を閉じる前に強く願った。


「どうか、あの子に会えますように」


 ゆっくりとまぶたを閉じる。夜とは違う暗闇がやってくる。

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