第10話:カエデ
翌朝
「おはようございまーす。あれ? 扉は?」
倦怠感を感じながらも修練所にやってきたフィリだったが、どうも修練所の様子がおかしい。
まず、扉がまるで爆発魔術を喰らったかのようにひしゃげている。良く見れば扉の外側に、足の形をした跡が残っていた。
「ん? 誰だ?」
そう言って出てきたのは、全身に痣だらけになったダラスだった。だがその顔からは邪気が抜けており、どこか晴れ晴れしたような表情を浮かべていた。
「あ、ダラスさん。フィリですよ」
「あん? いや初対面だと思うが? まあいいや、悪いが修練所は今やってなくてな。っていうのも俺以外の奴が全員倒れちまって。ったく情けねえ。誰か知らんがまたにしてくれないか」
まただ。昨日あれだけ一緒に訓練したのに、なぜか自分のことを忘れている。フィリは、今朝からまたレギナの姿が見えないところも、ガルド達の時と同じだと感じていた。
「まさか……何かに襲われたんですか?」
「その通りだよ。狐耳のおっかねえ女でな。狐獣人って言うのかね? とにかく、俺達全員がボコボコにされちまってな。んでよ、気付いたら居なくなってたし、何か言っていた気がするんだけどいまいち覚えてなくてな」
「狐獣人……ガルドさんの時と一緒だ」
「あん? ガルド? Aランクのいけ好かねえあいつか?」
ダラスがそう聞き返そうとした時、風が吹いた。フィリが気配を感じ、振り向くと――
「おそらくガルドの坊やを襲った奴と、うちを襲撃した奴は同一人物だろうな。私のいない時に来るとは、やれやれ……運の良い奴だ」
そこには青髪を後頭部で結った女性が立っていた。布を使った独特の衣装――遙か極東に位置するとある島国の伝統衣装――を着たその女性は腰に差した細く湾曲した剣に左手を置いており、興味深そうにフィリとダラスを見つめていた。
フィリはその女性の柔らかな物腰の中に、どこか抜き身の刃のような鋭さを感じていた。
この人……多分強い。フィリはそう感じずにはいられなかった。
「か、カエデ……さん、こ、これは!」
ダラスが必死に言い訳しようと口をパクパクさせるが、
「おう。どうしたダラス。まるで憑きものが落ちたみたいな顔をしているぞ。まさか性根まで叩き直されたってか? あっはっは!」
その女性――この修練所のトップであり、Sランク冒険者かつ王国一と名高い剣士であるカエデが、大笑いしながらダラスの肩にポンと手を置いて、そのまま中へと入っていった。
「お前は見たところ新人冒険者だろ? 今どきわざわざ修練所に来るなんて変な奴だな。面白いからあたしが見てやるよ。ほれ、入んな」
カエデはそう言って、入口でどうすればいいか分からず佇んでいたフィリを手招きした。
「えっと……僕はフィリです。まだFランクですけど……強くなりたくて」
「私はカエデだ。で、こっちがダラス。他にも男衆がいるが全員ロクデナシでな。まあ私が面倒を見てやってるんだがお行儀がすこぶる悪くてなあ。迷惑かけるかもしれんが、それもまた冒険者だろ? あっはっは!」
バンバンと背中を叩かれて困惑するフィリだったが、カエデはお構いなしに会話を続けた。
「で、お前は短剣使いか。しかも二刀流。それに……ふーん。面白いな。いや面白くない。嫌いだな。うん、嫌いな感じだ。ダラス!」
「は、はい!」
「ちょっと稽古付けてやれ。実戦形式で。手を抜くなよ」
「うっす!」
「あ、じゃあまた木剣借りますね」
そう言って、フィリが鎧を脱いで木剣を借りようとすると――カエデがそれを制止した。
「いや、その腰の武器を使え。鎧もそのままでいい。ダラスも真剣使え。あん? 剣がない!? 折られた、だあ!? 馬鹿かお前! ちっ、もういい、私がやる」
カエデがダラスを足蹴にしてどかすと、模擬戦スペースにいたフィリの前に立った。
「さて……まあ心配せずとも殺したりはしない。だけど――
「は、はい!」
目の前の女性からただならぬ殺気を感じ、フィリが目を見開きつつ短剣を抜いた。昨日使った木剣よりも重いが、逆に手に馴染む感じがあった。
その様子を見て、ゆらりと流れるような動きで腰の剣をカエデが抜き、構えた。それは花びらのような刃紋が走る、細く長く反りが入った剣で、持ち主同様に美しかった。
ただ相手が構えただけなのに、なぜかフィリは圧倒されていた。嫌な汗が背中に流れる。
昨日のダラスとの訓練とは比べ物にならないほどの恐怖を感じた。だがふと隣に気配を感じると、いつの間にかレギナが側に立っている。
それだけで、フィリは自然と笑顔になれた。
「良い表情だ。では、虎天流師範……カエデ・キサラギ――いざ、推して参る」
それが、訓練開始の合図だった。
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