第2話 元の世界に帰還はできるけれど……。


 パッと見て思ったのは、教会のような場所だということだった。


 白というよりは、灰色のタイル作りの床。丸い柱がそこから伸びている。

 壁も同じ色で、天井近くの高いところには、七色のガラスでできた窓のようなものがあり、そこから陽の光が差し込んでいた。


 そんな建物の中に俺たちは気づいたら立っていた。周りには騎士のような鎧を着た格好の者たちが十数人立っている。同じ数だけ、ローブ姿の人物もいる。


 そして目の前には、頭には王冠、手には杖といった50代ほどの白い髭を蓄えた男が立っている。


「ようこそ、異世界の者たちよ。この度は、英雄召喚の儀に答えてくれて感謝至す。ここは召喚の間。異なる世界より、英雄たちを召喚する場所である」


「「「異世界……!?」」」


 ざわつく。

 ここにいるのは教室にいた生徒。数は33人。

 突然、この空間にやってきていたことで、動揺が走っていた。


「……これは、異世界転移!?」


「知ってるんですか、先生……?」


 一番、動揺を見せていたのは、クラスの担任の教師だ。

 20代の男性教諭。友達のような距離感で接してくれると、一部の生徒たちから言われている教師である。


「ああ……知っている。これは異世界転移だ。昔から、物語なんかではよくあるお約束のようなものだ。異世界に危機が訪れたから、別の世界からそれを打破する者を召喚したんだ。そうですよね。国王様」


「うむ。その通りだ」


「「「先生、詳しいんですね……」」」


 50代ほどの男、どうやら国王様だったらしく、担任の教師の言葉に首肯していた。


「ああ……今日まで頑張ってきてよかった。……教師になってからというもの、うちのクラスにはいじめがあるし、ほんと、最悪だなって思ってたんだよな」


 そう言いながら、俺の方を見る担任の教師。同じように、この場に転移している例の四人組の方にも目を向けている。

 わざと聞こえるように言ったのだろう。俺の耳には入っていた。あの四人組の方にも聞こえているのだろう。


「急な召喚をしてしまいすまないとは思っている。しかし、どうか、我らの話を聞いてはもらえないだろうか。この国は王都デレクトルという国である。そして近年、この世界では魔物の増殖と、魔人という存在が確認されており、人々の平和を脅かしているのだ」


「王都デレクトル……。確かに、元の世界では聞いたことがない名前の国だ。じゃあ本当にここは異世界なんですね」


「うむ。英雄召喚という魔術によって、お主らを王城にある召喚の間に呼び出したのだ。造りは教会と似ておるが、別物だ。しかし信奉しておる神は同じゆえ、今この時も、神、スリストス様が召喚に答えてくれたお主らのことを歓迎しているだろう」


 その国王様の言葉に、周りがざわついた。

 英雄、や、教会、や、神、という言葉で、いよいよ異世界という言葉がしっくりき始めたからだと思う。


「あ、あの!」


 そこで、声を上げたのは一人の女子生徒だった。

 大人しめの、確か図書委員をしている子だ。


「うむ。なんでも聞いてほしい」


「元の世界に帰れるんでしょうか!?」


「それは当然の疑問だな。もちろん帰れる」


「今すぐにでもですか!?」


「うむ。今すぐにでもだ。実際に試してみよう」


 国王様がそう言うと、手に持っていた杖を床に叩きつけた。

 ジャラン、というやけに耳に残る音が部屋に響き渡り、頭上に巨大な水晶のようなものが現れた。


 その水晶に映っているのは、見覚えのある風景。


 そう。

 俺たちが元いた場所、教室の風景だった。


「これが現在の、お主たちの世界の風景だ。時の流れは同じだ。恐らく、転移の現象に元の世界の者が気づけば、騒ぎになるだろう」


「「「そんな……」」」


 水晶の中に見える壁掛けの時計は、普通に時を刻んでいる。

 今は一時間目が始まる前の時間だった。午前9時前だ。だから、一時間目の授業の担当の先生が来たら、すぐに気づくことになるだろう。


 どちらにしても、大騒ぎにはなると思う。

 この場にいる生徒たちの様子は、不安を抱いているものが半数、喜んでいる者も半数いる。


 間違いないのは、生徒の一部でもあの教室に戻らなかったら、大騒ぎになってしまうということ。


 そもそも、まだ本当に元の世界に戻れるのかという保証もどこにもない。


「先生は戻らないぞ。というか、もう先生じゃねえわ。誰がこんな面倒な生徒たちのおもりをするかっつーの。教師なんて、やめだやめ」


 担任の教師が、こっちを一瞥しながらそう言った。


「特にオメーだよ、オメー。おい、紫裂。オメーが一番面倒くせーんだよ」


 俺の方にやってきた担任の教師が、舌打ちをしながら俺の顔を指差した。


「今朝もオメーは、泥水を頭から被せられたんだってな。もちろん知ってるぞ。なんたって俺は、担任なんだからな。俺はお前らみたいなガキじゃなくて、大人だ。大人には色々あるんだよ。だから、面倒を起こされると困るのはこっちなんだわ。ほんと、勘弁してくれよ。どうせ、泥水を被せたのはあいつだろ。親が権力者のやつ」


 担任の教師が、今度は例の四人組の中のリーダー的存在を、顎でしゃくって指し示す。


「でも、お前が悪いんだよ。お前が悪いから、そういうことをされるんだろ? まったく、こっちの身にもなってくれよ。ほんと、お前のことは目障りなんだと思ってたんだよなぁ……!」


「なに……あれ」


「先生……性格クズじゃない……?」


「……素の性格があれなんじゃない」


 担任が踏ん反りかえって高笑いをする。

 その反応に、クラスメイトたちが眉を顰めていた。


「ほっほっほっ。担任の教師とやらわ、実に愉快な性格をしておるようだな。異世界という場に来たことで、本性が出ておるようじゃ。うむうむ、そういうものこそ、ふさわしいだろう」


「はっ、ありがたきお言葉!」


 国王様のそばへと向かい、姿勢を正す担任の教師。


「ラッキー。王様、さまさまだぜ! ここで、この王様に取り入れば、俺の人生パラダイスだ!」


「聞こえておるぞ、担任の教師とやら。お主も悪よのお……。しかし、ちょうどよい。試しに向こうの世界への帰還を行う。稀に失敗する危険もあるため、注意が必要なのだが……まあ、そうもいってはおれんだろう。帰還の方法が不確かだと、お主たちも気が気ではないだろうからな」


 そうして国王様は実際にやってみることにするらしく、何やら唱え始め、手に持っている杖が光り始めた。


「では、帰還を発動する」



 ……そして、次の瞬間だった。



『……え?』


 担任の教師の姿が消えていた。

 そして水晶に見える教室の中に、担任の教師が一人だけ帰還していた。


『はああああああああああ!? なっ、なんで俺が元の世界に帰ってるんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 そこにあったのは、ついさっきまで「元の世界になんて戻らないぞぉ!」と言っていた担任の姿。

 つまり、担任はあっちの世界に、元の世界に戻されたのだ。


 そして、それだけにとどまらず、変化が現れる。


「おや、帰還に不備があったようだ」


「「み、見てあれ……!?」」


『……は? ……ンギイイイイイイィィィ!?!?!?!?!?』


 水晶の向こう側で、変質する担任の体。

 肌がボコボコと膨れ上がり、人の姿を変えて、まるで全身から芋虫のようなものが湧き出るみたいになっている。

 その状態の担任は、首をかきむしり、苦しみ始めていた。


『ぎゃああああああああ! ぐるじいいいいいいいぃぃぃ!!! うぎゃあああああああああああああああ!』


 床をのたうちまわり、全身の毛穴という毛穴から緑色の液体を吹き出して。


『いぎゃあああああああああああああ! なんで、俺があああああああああああ! なんで、俺だけがこんな目に”””いいいいいいいいいいいいいいい!』


 時間が経つにつれて、状況が酷くなり、もがき苦しむ担任の教師。

 それが止む気配はない。


「ううむ……申し訳ない。どうやら帰還に不備があって、失敗してしまったようだな……。しかし、じきに収まるだろうとして、今見てもらったのが、帰還の術だ。こうして帰還の術で戻ってしまえば、もうこちらに来ることはできない。これで、帰還については安心してもらえたと思う」


 国王様が水晶を見ながらそう言っていた。


「「「…………」」」


 その言葉に、この場にいた生徒たちは、誰一人として頷いてはいなかった。絶句だ。


 その間も、水晶の向こう側では、ずっと担任の教師が叫んでいて。


「嫌だアアアアアアアアアアアア!!! もう、ごろじでぐれれええええええええ!!!」


 死ぬこともできず。

 髪が抜け落ち、歯も抜け落ち、もう原型すらとどめてはいなかったのだった。


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