雨といえば読書でしょ?

忍野木しか

雨といえば読書でしょ?


 厚い雲の静かな薄明かり。校庭を濡らす雨粒。雨音のもたらす静寂が文学部の部室を優しく包み込む。

 窓辺で文庫本を読む岸本瑞香はドキドキと次のページに指を掛けた。勉強の休憩に開いた小説。書店で見つけたサスペンススリラーの新刊は佳境に入る。

 ーーマキは人形の顔に金槌を叩きつけた。何度も何度も鉄の塊を振り下ろす。頭蓋骨の潰れるような鈍い音。鋭い絶叫。殻の混じった卵を噛み締めるような不快感が口に広がった。その時、濁った脳みそと共に人形の目玉が眼孔から転がり落ちる。マキは驚いて金槌を離した。黒い血と埃の蠢く床でジッと此方を見据える栗色の瞳。マキは浅い呼吸を繰り返した。その瞳に何処か見覚えがあったのだ。恐る恐る視線を下ろすマキ。乱れる黒い髪。潰れた顔面から飛び散る肉。砕けた歯に混じる銀。それは……。

「こんにちはー!」

 篠田彩子の甲高い声と共に部室の戸がガラリと開いた。ギャっと鋭い悲鳴をあげた瑞香は文庫本を放り投げる。

「も、もっと静かに入りなさいよ!」

 怒鳴り声を上げる瑞香。彩子はそれを無視して、文学部部長の久賀啓太に歩み寄った。机で熱心に本を読み続ける啓太。喧騒を全く気にしていない。

「部長、こんにちは!」

 彩子はスッと啓太の隣に座った。ページを捲る手を止める啓太。

「やあ、篠田さん、久しぶりだね」

「お久しぶりですぅ! いやぁ、雨のせいでテニス部休みになっちゃって、久しぶりにゆっくり本でも読みたいなぁって、来ちゃいました!」

「そうなんだ、ゆっくりしていってね」

 啓太は微笑み返すと本に視線を戻した。その横顔を上目遣いに見つめる彩子。瑞香はイライラと鼻息荒く立ち上がった。

 部員の少ない文学部の部室は常に開放されていた。旧校舎の静けさと香ばしいコーヒーの匂い。読書場を提供するという名目で存続を保っている文学部には、時たま、本を読みに他生徒が顔を出す。特にそれを気にしない瑞香だったが、テニス部の篠田彩子は別だった。彼女が本を読まないことを瑞香は知っている。

 瑞香は文庫本を拾い上げると、彩子の隣に立った。

 うっとりと啓太の横顔を見つめる彩子。瑞香は、そのレイヤーボブの膨らんだ茶髪に焦げ目をつけてやろうと瞳を燃やす。

「ちょっと彩子さん、この本知ってる?」

 瑞香は文庫本を机に叩きつけた。

「部長、何読んでるんですかぁ?」

 徹底的に無視する彩子。

「探偵小説よ」

 瑞香は素早く答えると、ズイッと手に持つ単行本を彩子の前に掲げる。彩子は鬱陶しそうにその手を払い除けた。

「ちょっとぉ、貴方、キウイさんでしたっけ? 読書に集中できないので廊下に出てくださります?」

「キシモトですけど! てゆーか、本なんて読んでないでしょ!」

「読んでますけど? 部長の読んでる本を読んでますけど?」

「はい、それ嘘!」

「……静かにして貰えるかな?」

 流石の啓太も顔を上げた。だが二人の歪み合いは止まらない。啓太はため息をつくと立ち上がった。

「ねぇ運動しよっか?」

「え?」

「元気有り余ってるようだし、外で運動しよう」

 瑞香と彩子は、啓太を見上げた。

「でも啓太くん、外、雨だよ?」

「そうよぉ、こんな日に運動なんて、雨の日は読書でしょ?」

「関係ないね、そんなの。読みたくない時に本を読んでもしょうがないよ。ほら、部長命令だ、外行くよ」

 暗い空に雷鳴が鳴り響く。打ち付ける雨粒。寒々しく濡れる人けの無い校庭。

 顔を見合わせる瑞香と彩子。運動など絶対にしたくない。

「……あの、本が読みたいです」

 彩子はおずおずと右手を上げた。瑞香もコクリと頷く。啓太は腕を組んだ。

「本が読みたいの?」

「はい」

「じゃあ、静かにしようね?」

「はい、ごめんなさい」

 啓太はニッコリと微笑むと、山下利三郎の探偵小説選を彩子に手渡した。

「読みたかったんでしょ? お先にどうぞ」

 啓太は満面の笑みを浮かべた。苦笑いする彩子。一ページ目を開いた彼女は、うっと目を眩ます。彩子が開いた初めての小説だった。

 ほくそ笑む瑞香。その顔を啓太は睨みつける。

「岸本さんは勉強でしょ?」

「……そうでした」

 瑞香はショボンと視線を落とすと、本を閉じた。

 

 

 

 



 

 

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