ファーザー・オン FURTHER ON(UP THE ROAD)

宝輪 鳳空

第1話 ダグラス

 一九四五年、エルドランド北部ノーザン。

 吹き荒ぶ雪が獣のように襲いかかった。

 ダグラスは汽車に乗り、窓から外を見つめた。

 こんな凍てつく恐ろしい夜に、彼は拾われた。



 ****



 さかのぼる十年前、とある町のスラムに銃声が轟いた。

 はげしい吹雪と地下からの蒸気に包まれ、その男は現れた。

 男の名はストーン・サンダース。

 黒いロングコートをなびかせ、暗闇から手を差し伸べる。

 背筋の張った裕福な出立ちで、見上げるダグラスの前に屈んでチョコレートを。


「遠慮するな少年」

 ダグラスの猜疑ある目つきと身なりと震える手。

 少年のボサボサに荒れた茶髪を撫でて頷き、俺について来いとサンダースは言ったが、ダグラスは突っ立ったまま後ろを振り向いて答えた。

「友達がいるんです」

「どこに隠れた。連れて来い」


 ボロを纏ったダグラスと同じような二人、ハリーとブライアン。

 物陰から、よれたワークキャップのハリーがブライアンの乱れた髪を撫でながら手を引いてくる。

 揃って鼻を啜り、悔し涙を流している。

 吐く息が白く熱い。


 サンダースは手招きし、通りに停めた車に乗るよう促した。

 異臭漂う冷たい夜、その時から彼らはスラムの残飯を放り捨てた。



 ****



 サンダースは金持ちで彼ら三人の子供を自宅に住まわせた。

 自宅は広く温かい屋敷で、他にも子供が大勢いるが、サンダースの実子ではない。

 ダグラスたちは熱いシャワーを浴び、生まれてこの方の汚れと屈辱を湯水で洗い流した。

 サンダースは微笑み、料理を振る舞い、住まわす代わりに家に尽くしてくれと彼らに言った。


「三人とも十歳くらいか。ダグラス。勇敢なお前にはステイヤーの名をやろう。我が気高い血族の名だ。ハリーは猛禽類のような目と高く尖った鼻が特徴だからイーグル。丘の上に逃げて泣くブライアンの姓はヒル。そんな感じでいいか?」


 何も文句はなかった。

 たらふく食わせてくれるこの男は神様だと彼らは思った。

 ただその代償は血生臭いものだった。



 彼、ストーン・サンダースは実はマフィアで、エルドランドで最大勢力の組織を束ねていた。

 すらりとした痩身から見下ろす眼は鋭く、指し示す手は威光を放った。

 友は近くに、敵はもっと近くに置けと裏社会で生き抜く教えを説いた。

 彼の交渉に同意しなかった者、裏切った者、礼を欠く者は消され、ダグラスたちはその後始末を手伝わされた。


 遺体を毛布に包み、山へ埋めた。

 コンクリートで固め、海へ沈めた。

 つらかったが、生きてゆく術はこれしかなかった。


「……お前らぐずぐずしてねえでさっさと運べ!」

「ご、ごめんなさいテシオの兄貴、二人とも車酔いで」

「かばってんじゃねえダグラス、こういう時ぁケツを叩くんだよほら、しっかり持て!」

「は、はい、すみません!」

「こいつらは肥やしだと思え。ドンの行く道は潤い、緑が茂る。埋めて唱えろ。これも世のため人のため」


 静まる夜の樹海の土をスコップで掘る彼ら。

 青ざめた顔のハリーとブライアンは血と泥に黒くまみれてゆく。

 何人もの兄貴分たちに囲まれながら、血を見ては吐くハリーをなだめ、隠れては泣くブライアンを慰め、ダグラスは歯を食いしばった。

 生きるためには割り切り、立場を受け入れ、ドンを守り抜く覚悟で臨んだ。



 そんな十七歳のある日、ダグラスはサンダースを訪ねて来たある男に出会う。

 長身の初老の男。

 黒縁眼鏡の、灰色の髪を後ろに撫でつけた紳士な男だ。


 不思議と目が合い、ダグラスは惹かれた。

 潮風が舞う、深い海を湛えた瞳。

 サンダースは彼を丁重にもてなした。

 ダグラスはその神秘に引き寄せられた。

 彼はある地下組織の指導者、名はベルザ。

 その穏やかな眼差しの奥には明確な目的があった。



 好転を願い人が集う場所、〝転換の街〟アナザーサイド。

 その日ストーン・サンダースはファミリーが経営するカフェレストRamonaラモーナでベルザと会った。

 同席するアフガンの貿易商とサンダースが契約を交わす。

 資金を援助するベルザが見届ける中、扉のアンティークなカウベルが鳴り、花屋の配達の男がそそくさと店に訪れた。

 ハンチングに髭面の中年男が薔薇の花束を抱えて。

 付き人のダグラスは迫る男をカウンターから見ていた。

 行きつけの花屋に勤めている中年男。

 ダグラスの若き血潮がたぎる、一触即発。

 花束に忍ばせた拳銃に飛びかかるダグラス。

 勢い床に押さえ込み、その銃口を男の喉に突きつけた。


「お前のことは知っている。クレイドルズから来たんだろ? 訛りも残ってる。スプンフルの者か」

 散った赤い薔薇の中で訊くダグラスに男は禿頭を晒し、自ら舌を噛み切った。


 サンダースはダグラスの手を握る。

「命拾いしたダグラス。ありがとう」

「以前話しかけた時からあいつの目は怪しかった。調べていたんです」

 見ていたベルザは顎をさすりながら目を光らせた。

「勇気がある。嗅覚も鋭い」

 貿易商の優男は震えながら神に祈りの手を合わせる。

「自慢の息子だ。ちょうどいい、我が警備団レギュレーターズを紹介しよう」とサンダースは言い、料理長クレメンザの仕出しの手伝いをしていたハリーとブライアンを呼んだ。

「この子たちは良きチームだ」

 ベルザに握手を求められ、三人は礼儀正しく応えた。



 組織の人材を求めていたベルザはダグラスの力を欲しがった。

 ダグラスには人望と求心力があった。

 それを見抜いたベルザはドン・サンダースに申し出て、彼と二人を授かった。

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