6月12日(土) 12:00〜 『撮影開始』

「よし、これで全員揃ったわね」

「はい。監督」


 監督……。

 そう呼ばれたのは、さっき俺の足元にサッカーボールを転がしてきた女性だった。

 あの人監督だったのか……。ん?監督ってなんだ?写真撮影にも監督なんているんだな。


「あの、氷室さん」

「はい」

「今日ってさ、何の撮影?」

「そうですね。そろそろ、始まりますし、言ってもいいころですかね」


 氷室さんは一瞬、監督を見て、俺のことを見た。

 そして、耳打ちしてくる。


「実は、今日は映画の撮影なんです」

「え……」

「驚きましたか?」


 氷室さんは、うふふ、といたずらっぽく笑った。

 マジか……。

 予想していなかった返答に俺は驚きすぎて何も言えなかった。


「じゃあ、撮影始めるわよー!」

「王野さん、私、行ってきますね」


 氷室さんは監督に呼ばれて行ってしまった。

 俺はその後ろ姿を呆然と眺めていた。

 映画撮影……。 

 そういうことか。いろいろと納得した。

 大量のサッカーボールもユニフォーム姿の人達も氷室さんの言葉も。


「あれはそういうことだったんだな」

「何がそういうことだったのー?」

「ゆ、唯香さん。ビックリさせないでくださいよ」

「ごめん、ごめん。それで、何がそういうことだったの?」

「いいじゃないですか、なんでも」

「ふ~ん。まぁ、いっか」

「で、何か用ですか?」

「特に用はないよ~。私がどこにいてもいいでしょ?」

「それは、そうですね」


 唯香さんは氷室さんのマネージャーだ。だから、どこで、氷室さんの様子を見守っていようと、それは唯香さんの勝手だ。

 俺の隣である必要はないと思うけどな……。

 唯香さんは真剣な眼差しで氷室さんのことを見つめていた。

 

「ところで、彼氏君、姫香ちゃんの役は何か聞いたかね?」

「彼氏じゃないですよ。聞いてないですね。何役なんですか?」

「サッカー部のマネージャー」

「へぇー。そうなんですね」

「なんだか、興味なさそうだね」

「そんなことはないですけど」

「じゃあ、そんな彼氏君が興味が出そうなことを教えてあげよう!」

「だから、彼氏じゃないですって」

「まぁまぁ、そんな細かいことはおいといて、実は、姫香ちゃん……」


 そこで一回ためを作る唯香さん。

 まるで、俺のことをもてあそんでいるようだった。

 

「あそこにいる主演とキスするんだよ」

「え……」

「どう?興味出たでしょ?」

 

 唯香さんは小悪魔な笑みを浮かべていた。 

 氷室さんが、キス……。 

 氷室さんが、キスをする……。

 なんだろう、そう聞いて胸の奥がモヤモヤとした。


「彼氏君としては複雑な心境だろうねー」

「だから、彼氏じゃ……」


 そう。俺は別に氷室さんの彼氏ではない。それなのに、なぜだろうか。こんなに胸の奥がモヤモヤするのは。


「あ、撮影が始まったみたいだよ」


 俺の視線の先では、ユニフォームを着た人たちがサッカーボールを追いかけて右往左往していた。その様子はさながら、サッカーの試合をしているみたいだった。つまり、ユニフォームを着た人たちは選手ということか。

 そんな選手を、どっちのチームかは分からないが、氷室さんは応援していた。おそらくは、さっき唯香さんが言っていた主演の男がいる方だろうな。

 それからしばらく撮影は続いた。

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