外伝 頁-弐

@I-my

1

1月23日午後0時47分 59


「………なあ」

「どうかしたの?」

「この辺って何があるんだよ」

「外に出る前に聞いてくれると嬉しかったわ」


曇天の下、深花の家から出て、近くを歩いていた。

何となく出かけたくなったのだ。

ここの所外に出ていなかったし、たまには運動するのも悪くない。

そう思って深花と外に出た。

服は深花のものを着た。というか、着させられた。

幸い彼女は、あの肩が露出されたニットワンピースを、俺にあてがわないだけの良識を持ち合わせていたらしい。


………最も彼女は名残惜しそうな様子だったが。


深花はあのパーカに薄目の外套を重ね、いつものマフラーを巻いていた。


「散歩なんて無計画な方が楽しいだろ?」

「この辺住宅街よ?」

「………悪い」

「歩くだけのデートもそんなに悪くないとは思うけど」

「デートなのか?」

「じゃ逢引?」

「散歩が妥当だな」

「どっちでもいいよ」


手を繋がれ、引っ張られた。


「お、おい?」


深花は俺の指を絡めたまま自分の………そもそもは俺のパーカのポケットに入れた。


「ねえ、手が何の為に在るか知ってる?」

「嫌いなやつに中指を立てるためか?」

「そうじゃないし、その中指をへし折るためでもない」

そういって俺の手は更に強く握られた。

少し怖い。

「なら、世界に作用するためだ」

「正解は2つ」

微笑み。

「ひとつはこうして繋ぐため」

「もうひとつは?」

「ゲームするため」


………?


「……そうなのか?」

「知らなかったの?

ゲーセン行こ」


引っ張られる。

反対意見は特にない。

この辺だと広陽町のが1番大きいだろう。

「好きなのか?」

「貴方の事?

大好きだけど」

「…………ゲームの話だ」

「ええ、多分貴方より上手いわよ?」


かなり意外だった。

が、よく考えてみれば、彼女の趣味だとかプライベートについて俺はほとんど知らない。

せいぜい、成績を含め頭が良い事や、口笛が吹けない事くらいだ。


「よし、行こうか」


冷たい風が吹くものの、寒くはない。

むしろ熱い。

心理的理由からだろう。

時折吹くその風が、彼女のマフラーを舞わせている。

バスの時間を調べるとあと暫くで来るようだった。

10分程バス停まで歩き、ベンチに座る。

その間特に会話は無かったが、それでも良かった。


「ね、」

「何だ」

「貴方はゲームとかやるの?」

「ん……まあそれなりに」

ストレスの発散には丁度良く、家にも何台か機体が置いてある。

「上手い?」

「そこそこだと思うが」


「何か弱そう」

自覚的か、無自覚的かこちらの自尊心に触れてきた。


「………ほう、挑発のつもりか」

「違うわ、つもりじゃない」

「分かった、一戦やろう」


バスが丁度やって来る。

カードを出そうと、彼女のポケットの中で繋がれた手を離そうとするが、出来なかった。

「二人分」

深花は俺の前に出ると、空いた右手でカードを取り出した。

「悪い」

客は誰一人としていない。

そのまま深花に引っ張られて1番奥に座った。

「ありがとね」

「?

何がだ」

「連れ出してくれて」


その台詞は、俺のもので有る様に思えた。

「こっちこそありがとな」

「え?

…………え?」

「拉致してくれて」

「………」


目を逸らし、思い切り指に爪をたててくる。

痛い。


「手は握るためにあるんじゃなかっ」

力が強くなった。

これ以上刺激するのは良くない。



思えば、俺から深花を誘ってどこかへ行くのは初めてかもしれなかった。

窓の向こうを覗きながら駅前に着くのを待つ。

とはいえ、そこまでの時間はかからない。

バスを降りる。

「んーっ」

深花が伸びをしていた。

「もう疲れたのか?」

「んーん。大丈夫」


駐車場と広場を通って構内へと入った。

広陽までは渚陽線で20分ほど。

路線図を一応確認していると、深花がおっかなびっくりといった様子だった。


「どうした」

「……」

「おい?」

「ねえ、大神くん」

「何だよ?」

「あのアミダくじは何?

どこにも当たりが無いようなのだけど」

「あれはアミダじゃない、路線図だ」

「おかしな冗談言わないで、大神くん。

あんな複雑なの、人に扱いきれる訳ないでしょう」


彼女の言う事が真面目に言っているのか、冗談なのか、やっと少しづつ理解できる様になってきた気がした。

これは真面目に言っている。


「……あれを見てみろ」

「………元気そうな子供達ね。

10歳も越えていないようだけど」

「奴等は保護者も連れず奴等だけで改札を出てきた。

これがどういう事か解るか?」


深花は考え込んでいる。

普段の頭の回転は、この特殊な日常風景によって酷く損なわれているらしい。

やがて重要な事に気付いたように、大きく眼を見開いた。


「まさか……迷子!?」

「違う、そうじゃない」


子供たちは元気に駆け抜けていく。

俺の知る限り深花は聡明な女だった。

だったんだが……


「まあ……何だ、俺に着いてきてくれればそれでいい」

「…ありがとう」


言い終わってから何かからかわれるかと思ったが、無言のまま彼女は俺について来た。

むず痒い感覚に襲われる。


上にある時計を見ると、電車の到着時刻までもう間もなくだった。

これ以上残念な話をしている場合じゃないな。

「後5分もしない内に来る、急ぐぞ」

改札を通り、人の群れをすり抜けて階段を駆ける。

エスカレーターを使っている暇はない。

軽く息を吸い、走る。

間に合うか……

「ちょ……ちょっとタンマ……」

「どうした?」

「息が……」


上がっていた。

辛そうな様子だが、ここで止まるわけにはいかない。

電車の到着を伝えるメロディが響いていた。


「悪い」

深花を無理矢理引っ張りながら、なるべく急いで駆け上がる。

さて、間に合うか……


必死で階段を上りきり、電車へ走ろうとする。

だが。

電車の姿はもうなかった。


「間に合わなかったな、電車」

「はーっ………はー……」

「大丈夫か?」

「………この鬼!鬼畜っ!変態っ」

「ちょ、おい」

「待ってって………はぁ………言ったじゃん!」


公衆の面前で、変態だとか言わないで欲しい。

あと鬼と鬼畜って一緒だろ。


走ったせいか、彼女の頬は赤く上気していた。


「落ち着いてくれ」

「………馬鹿」


深花はうつむいて、左手を眺めている。


心地よい風が吹いた。

そちらを向くと、線路の先にいつもの街並み。

あの中に、俺を解るやつは多分もういない。


「次のは10分くらい待つ」

「………」

「深花?」


彼女は黙りこんでいた。

何か考え事でもしているのだろうか。

10分は短いが、ただ黙って過ごすには少し長いのだ。

かといって、端末を開くのも憚られた。

どうしたものか。


……ただの10分すら、何かやることを探そうとするというのも、どこか空しく思えるが。


背後から轟音が響く。

少しづつ、小さくなってやがて消えた。

アナウンスが響き、到着を伝えるメロディが鳴る。

だが、人が出入りするような気配は全く感じなかった。

まあこんな所だ、誰も来なくとも不思議なことでもない。


………本当にそうだろうか。

いくら何でも、人の動きがないのはおかしくはないか。


「っ………」


何だ、今のは。

頭痛?

よく分からない感覚が頭に表れ、直ぐに消えた。

背後が気になったのに、振返ってはいけない気がした。


何故?

理由の分からないそれを無視し、後ろを向く。


誰もいなかった。

電車に乗ろうとする奴も、出ようとする奴も。

そして、車内にも。

少なくとも、ここから見える限り、誰もだ。

考え込んでる間に皆降りたのか?

ここで?

絶対に有り得ない訳じゃない。


だが、


「………リの不足か、歪すぎる」


深花も電車の方を向きながら、何事か呟いた。

先程までとは、雰囲気が違う。

俺と同じ事を考えているのだろうか。


「ぐ…………あっ………」

「大神くん?

どうしたの?」


まただ、頭が………痛い………


「大神くん? 大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だ」


今度は痛みが完全に消え、すっきりとした。

何だったのだろうか。


「………」

「そんなに心配するな、問題ない」

「……ねえ、」

「何だ」

「あの電車、おかしいと思わない?」


深花がじっとこちらを見つめながら、そう訪ねてきた。

いつもの柔らかな視線ではなく、少し真剣さのようなものを感じる。

何故かは知らないが。


「何がだよ?」

「…どうして誰も人がいないのか、とか」

「何もない所だからな」

「でも、この時間帯に誰一人いないなんて」

「まあそんな事も有るだろ」

「ここから乗ってくお客さんもいないのよ?」

「変な話かもしれないが、事実誰も乗ってないんだ。

ま、向こうに全員乗ってるのかもな」


「………そう」


そうしていると、また轟音が響く。

待っていた電車が来たようだ。

もう10分経ったらしい。

「行くぞ」

車両が止まり、扉が開く。

先程と同じメロディーが鳴った。

「深花?」


聞こえていない様子だった。

仕方無い。

無理矢理引っ張る。

「あ……」


席に彼女を押し込み、隣に座った。


「ホームで考え事なんて愚者のする事さ」

「時間に縛られる方が愚かだと思うけど」


どうやら今度は聞いてるらしい。


「愚者の言い分にしては一理有るな」

「反論しないの?」

「まあだが、少なくとも縛られたくないのなら、電車はお勧めしかねるがな」

「それもそうね」


多分、あの電車について考えていたのだろうと思うが。

視線の先の車窓、その先の街並みが振動と共に流れていく。

揺れる電車の中は暖房で暑かった。


「なあ深花、ゲームが好きって言ってたが」

「ん、」

「他には何が好きなんだ」

「……言わせたいの?」


軽く呆れたような声。

数刻経って意味を理解する。


「いや、そうじゃなくてだな」

「無理しなくていいんだよ?」

「………お前の趣味の話だ」

「そ、そんな……性癖だなんて……」

「趣味だ趣味」

「同じでしょう?」

「似て非なるものだ」

「そうね………旅行とか?」

「意外だな」

「そう?」

「いや……電子遊戯を好む者は日光を嫌うのかと」

「唾棄すべき偏見ね」


そう言うと、彼女は頭を俺の肩にもたれかけた。

手を握ったまま。

柔らかな香りがする。

車内には誰もいなかった。


「あの空の向こうに………何があるのか、私は知らない。

翔ぶための翼もない。

でも歩く事は出来るから。

地平線の先くらいなら、確かめに行ける」

「霧崎みたいな事を言うな?」

「そうかもね。

この世界は………狭苦しいわりに、酷く複雑で、そして理不尽。

理不尽である事に気付けないほどに。


だからせめて、もっと知って理解出来るように、自分自身で確かめるの」


旅行の話にしては仰々しい。

だがしかし、いつものような冗談でもなさそうだ。


「今までどんな所に行ってきたんだ?」

「色んな所に行ったわ。

この世界も、他の所も」

「他の所?」

「この世界の外に、何があると思う?」


深花は優しい笑顔でそう訪ねてきた。

「外」。

なら内は何なのか。

この世界とは何なのか。

俺の知る、この地球という惑星とやらか。

今なお拡大し続けているらしい宇宙の事か。

車窓の向こう、流れる街。

それとも、俺が見ているこれか。

今まで何度も考えた。

答えが出ない限り、それは無駄を積み重ねる行為と言えた。


「以前、俺は」

「?」

「この世界は俺の妄想なのだと考えた」


肩の上の彼女が、少し動く。

「どうして」

「それを否定できないから」

「理解させようとする気の無い文章は嫌い」


少し考える。

思い出していく。


「僕らは、いや僕は存在しないものでも視る事が出来る。

幻覚、妄想、夢。


なら、この世界もそうじゃないのか。

俺の意識が、俺の意識に見せている幻想なんじゃないのか。

ホントは何も、どんなものも存在していなくて、無の中に俺の意識が有るだけなんじゃないか」


僅かな沈黙。

その間、自分は電波を流したのではないかと後悔する。


「………1つ、明らかに違うところ」


驚き、尋ねる。

「何だ」

「有るのは貴方の意識じゃなくて、私の」


…………………………少しして、彼女が理解している事を理解した。

腹を抱えて笑う。

そりゃ深花からすればそうなるのだ。

少し嬉しかった。


「落ち着いた?」

「ああ、悪いな」


軽く息を吸い、吐いた。


「でだ。

この考えなら世界の外は無だ。

或いは俺の意識を有している別世界」


「貴方は………」


肩から離れ、こちらを見つめている。

驚いている様に見えた。

正解なのだろうか。

いや、何故彼女が正解を知り得るのだ。

だが、そのような口調だった。


「………知りたい?」

「ああ」


直ぐにそう答える。

何か考えたりする間も無く、そう答えたのを不思議に思った。


「うん、わかった。

ゲーセンより先でいい?」

「頼む」

深花は確実に、はっきりと俺を導こうとしている。

そう見えた。


アナウンス。

「次は重音谷、重音谷です」


「ん、降りるよ」

彼女がそう言う理由は分からなかったが、従う事にした。

………にしても。

何故急に教えてくれる気になったのか。

たまたまそういう会話の流れになったからだろうか?

多分違う。


「どこに行くんだ」

「世界の果て」


開かれる扉、通り抜ける風、響くメロディ。


「ついてきて」


理由を分からないまま、階段を上る彼女の背中を追う。

世界の果て、それはどこで、一体何なのか。

もしくは比喩なのかもしれない。

改札へと歩く。

気分の高揚を感じる。

一体この先に何が有るのか。

この不快な世界がどんな造りなのか、ずっと考えてきたけれど。

やっとそれを解れるのだ。

否応なく昂る。

深花がカードを使って改札を抜けた。

端末を忘れたのだろうか。

後に続く。

端末を取り出し、発光部へかざす。

前が開く。踏み出す。

改札を越える。


途端、溢れる光が視界を覆う。

何も見えない。


興奮だけが、世界にあった。

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