第450話 家令候補

 ジェロム達と話し合いをしてから昼食をとって午後。俺はまた応接室にいた。今度の面会相手は、アルノルの紹介で会うことになった家令候補の男性だ。


 応接室に入ると男性は頭を下げて待っていて、俺が部屋の中に入るとそのまま跪いた。そして震える手を隠すようにギュッと拳を握りしめている。


 この様子だけで、どれほど今までの環境が酷かったのか理解できるな……本当に敵対貴族って碌な家がなかったんだな。今も本当に酷かったところ以外は残ってることを考えると、何かしら改善策を考えた方が良いのかもしれない。


「こんにちは。ソファーに座って良いよ」

「あ、ありがたき幸せ……」


 男性が青白い顔を上げてソファーに腰掛けたのを見て、俺は怖がらせないように注意しつつ口を開いた。


「初めまして、レオン・ジャパーニスです。君のことはうちの執事であるアルノルから紹介してもらったんだ。自己紹介をしてもらっても良いかな?」

「かしこまりました。……私はティエリと申します。下働きとして三年、その後は従者として五年、従者頭として三年、そして下働きとして一年働いておりました。お屋敷でのお仕事について、基本的なことは把握しております。また計算が得意ですので、経理仕事も可能です。……よろしくお願いいたします」


 ティエリは怯えた様子ながらもしっかりと挨拶をして、自分のアピールポイントも述べた。しかしこの発言で俺が怒る可能性を考えているのか、瞳が不安に触れている。


 さっきから怯えながらも動きは完璧だし、従者としての仕事に加えて人をまとめる立場も三年経験していて、経理もできる。それならもっと自信があっても良いはずなのに、やっぱりずっと叱責されて虐げられるような環境で働いていると、自信もなくなるのかな……


「ありがとう。今回は君を家令として雇うことを考えているんだけど、そのことについてはどうかな」

「……正直、今まで経験がない仕事ですので、最初から完璧には務められないと思います……が、私なりに精一杯頑張ろうと思っております」


 できないことを安易にできると嘘もつかない。うん、アルノルは良い人材を紹介してくれたかな。


「じゃあティエリ、君を正式に雇いたいと思う。正直今の大公家には全く人手が足りなくて、君みたいな優秀な人間を雇わないって選択肢はないんだ」


 俺が苦笑しながらそう伝えると、ティエリは瞳をぱちぱちと瞬かせた。まだ雇われたことが信じられないのかもしれない。


「最初から完璧にできる人なんていないし、最初は失敗しつつ学んでくれれば良いよ。俺も手探りだから、一緒に頑張って欲しい」


 そこまで話をして俺が右手を差し出すと……ティエリはその手をどうすれば良いのか本気で迷ったらしく、数秒後に俺の手の前に頭を下げた。


「……えっと、それはどういうやつ?」


 今度は俺が困惑して首を傾げると、ティエリは焦ったように顔を上げて泣きそうな表情になる。


「も、申し訳ございません。お手をどうすれば良いのか分からず、頭を叩かれたいのかと……」

「いやいや、俺は使用人を叩いたりしないからね!? 使用人の皆も家族であり大切な仲間だと思ってるから」


 ティエリが今まで雇われてた貴族家、どんだけ悲惨なところだったんだ。これはアルノルが不憫がるのも当然だよ。


「あっ、も、申し訳ございません……とんだ勘違いを。で、では、お手を洗われるのでしょうか……?」

「いやいやいやいや、ここで手を洗わせるとかめちゃくちゃおかしなやつじゃん!」


 俺はティエリの発言に思わず吹き出しそうになり突っ込んでしまった。なんでこんな話し合いの最後に手を洗わせるんだ。


「普通に握手をしようと思っただけだよ。これからよろしくねって」

「……あ、握手など、大公様と、良いのでしょうか……」

「良いの良いの。うちはかなりフレンドリーな感じだから。ティエリもこの雰囲気に慣れてね。ロジェなんて、たまに一緒に食事もしてくれるよ?」


 俺がそう言って斜め後ろに立つロジェを示すと、ロジェは少しだけ嫌そうに顔を歪めて口を開いた。


「それは、レオン様がしつこく懇願されるからです」

「ふふっ、でも結局は一緒に食べてくれるんだから、ロジェは優しいよ。ね、ローラン?」

「はい。ロジェさんはとてもお優しい方だと思います! ただレオン様が少々強引だというのもまた事実かと……」

「え〜、ローランまでそう思ってたの? まあ良いや、とにかくこんな感じだから……」


 俺が二人との会話を止めてティエリの方に向き直ると、ティエリは口をあんぐりと開けたまま固まっていた。今のやりとり、そんなに衝撃だったのかな。


「え、だ、大丈夫!?」


 ティエリ、突然泣き出したんだけど! ちょっとアルノル、この人大丈夫だよね!?


「も、申し訳ございません……このような、素晴らしい職場が実在する事実に、感動してしまいました……」

「……そっか。これからはティエリもその職場の一員だからね」


 俺が笑顔でそう声をかけると、ティエリはまた涙を溢れさせたけど、俺はそのままにしておいた。落ち着くまで待ってた方が良いかな。そうだ、甘いものでも食べたら落ち着くだろうか。


 そう思ってティエリにもケーキを出したら、またその事実に感動して泣かれ、ティエリとの初対面はなんだかよく分からない雰囲気になった。でもまあ、ティエリは何かが吹っ切れたみたいだから良しとしよう。


「じゃあティエリ、これからの話なんだけど、ティエリにはさっそく領地に行って指揮をとって欲しいんだ。ただ最初から一人では無理だろうから、しばらくはアルノルと一緒になるかな。とりあえずこの後はアルノルのところに行ってくれる? アルノルから色々と教わって、他の使用人にも挨拶をして欲しい」


 ティエリは俺のその言葉に深く頭を下げてから、「かしこまりました」と頼もしい表情で頷いてくれた。

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