第395話 カカオ農園

 豪華な馬車から降りてくるのは厳つい顔の陛下と無表情な第一王子殿下。いや、怖いから。もう少し愛想良くしてあげてください! 


 俺のそんな心の叫びが届いたのか、殿下は少しだけ頬を緩めて俺とマルティーヌに会釈をしてくれる。しかし陛下はそのままフェリシアーノ殿下の下に向かった。


 一国の王としては、周りに隙を見せないためにもこういう態度になるのは仕方がないのかもしれないけど……もうちょっと愛想良くした方が良いんじゃないかと思ってしまう。本当は良い人なのに。


「陛下、お待ちしておりました」

「待たせたな。これから見学か?」

「はい。農園主との対面は済ませてあります」


 フェリシアーノ殿下のその言葉に頷いてから、陛下は老夫婦の方に視線を向けて一歩二人に近づいた。


「此度は急に訪れて申し訳ない。我が国の民を支える薬となる原料の生産、感謝する」

「い、いや、こちらこそ……ありがたいことで」

「早速だが、案内を頼んでも良いだろうか?」

「も、もちろんですっ」


 陛下に促されて、二人は驚くほどの俊敏さで俺達を農園の中に案内してくれた。中は綺麗に整備されていて、予想以上に歩きやすい。


「こちらが、カカオの木です。今はちょうど収穫前で、実が生ってるところだ……です」


 男性が辿々しい敬語を使って説明を始めてくれたところに、陛下が軽く手を上げて割って入る。


「敬語は使わなくても構わない。我々は気にしないのでいつも通りに話してくれ。その方が説明が楽だろう?」

「それはそうだけど……良いの、です?」

「ああ、構わない」


 陛下がしっかりと頷いたのを確認して、老夫婦は互いに顔を見合わせた後、困惑しながらも頷いてくれた。

 敬語をちゃんと学んでない人が付け焼き刃の知識で敬語を話すのって、聞き取りづらいし話は進まないし良いこと無しなのだ。それなら潔くタメ口で話してくれた方が、こちらとしても聞きやすくて良い。


「分かった、ありがとう。じゃあ説明の続きだが、これがカカオの実だ。これはあと二週間ぐらいで収穫になる。収穫した実は基本的に薬師が買っていくんだが、一部は商人が買っていって、貴族様に売ってるらしい。果肉部分を食べるそうだ。あとは別の国に売られていることもたまにはあるな」


 男性が示してくれたカカオは薄い黄色だった。これがもう少し色が濃くなって、オレンジに近くなったら収穫目安らしい。


「カカオって簡単に育つもの? それとも難しいのかな」

「カカオは難しいぞ。まずこいつは直射日光に弱いし風にも弱い。農園の周りに背が高い木を植えてるのはそのためだ。あとは温度変化にも弱いな。特に寒いのがダメだ。前に他国の貴族が育てたいと言って苗を数本買っていったが、すぐに枯れたと聞いたことがある」


 マジか、カカオってそんなに育てるのが難しいんだ。大公家の領地には温室を作る予定だし、そこなら簡単に育てられるかと思ってたけど……そう上手くはいかないのかもしれない。


「俺が国に戻ってから育てたいって言ったら、苗を買うことはできる?」

「そうだな……数本なら売れるがたくさんは無理だ。俺らもダメになる木が出ることも考えて、苗は残しておきたい。それに二十年ぐらいで木は駄目にならなくても、カカオの実が取れなくなることは多いからな」


 カカオって二十年で実がならなくなるのか。そのスパンを考えて事前に入れ替えのための苗も育ててって考えたら、結構大変そうだな。温室を作るにしても、また人をたくさん雇わないとだろう。


「種から育てるのって難しい?」

「やり方を教えても良いが、かなりの数をダメにすると思うぞ。それから種の質も重要だ」


 ……うん、カカオ栽培は予想以上に難易度が高そうだ。輸入量を増やす方が良いのかな……でもここの現状を見ると、そこまで大量には輸入できないだろう。これから収穫量を増やしてもらう?

 でも、他国に依存しないとっていうのもできるだけ避けたい。この世界はいつ争いがあって、国同士の関係性が悪化するのか分からないから。


 やっぱり一番の理想は、俺が領地でできる限りカカオを栽培して、足りない分を輸入で補うことだ。……とりあえずはヴァロワ王国に収穫量を増やせないか聞いてみて、できる限り輸入させてもらってる間に、大公家の領地での栽培方法を確立するのが一番かな。


「いろいろと教えてくれてありがとう。とりあえず後で可能な限り売れるだけの苗と、たくさんの種、それから実を買わせてもらうよ」


 俺のその言葉に男性は少し呆れた表情を浮かべながらも、俺が陛下に連れられた賓客だからか素直に頷いてくれた。多分成功するわけないって思ってるんだろうな……逆に燃えてくる、絶対に成功させたい。



 それからも農園の中を回って収穫方法や保存方法などを教えてもらっていると、陛下が俺とマルティーヌの隣にやってきて口を開いた。今はちょうど移動中なので、話をしていても問題はない。


「使徒殿、マルティーヌ王女、我が国はどうだろうか」


 凄く答えづらい質問を投げかけてくるね……そう思って俺が言葉に詰まっていると、マルティーヌが完璧な微笑みを浮かべて陛下の顔を見上げた。


「民達は明るく娯楽を楽しむ余裕があり、食事はとても美味しい。素敵な国だと思います。我が国とは異なる文化の数々も、とても興味深いものばかりです」

「そうか。そう思ってもらえたのなら嬉しい。使徒殿はどうだ?」

「そうですね……私もマルティーヌと同じく、とても素敵な国だと思いました。特に水浴び場など、重要な文化を見極めて支援をしているのが素晴らしいと思います」


 これはお世辞ではなく本心だ。この国はかなり上手く回っていると思う。ラースラシア王国は、使徒という存在がいなければ崩壊していたも同然だった。

 この国はそんな強大な力は無しに上手くいっているのだから、実際ラースラシア王国よりも優秀だと思う。さすがにそんなこと口には出せないけど。


「使徒殿にそう評価してもらえるのは光栄だ。――使徒殿、ずっと気になっていたことがあるのだが……聞いても良いだろうか」


 陛下は突然雰囲気を深刻なものに変えて、俺にそう問いかけてきた。何か重大なことでも聞かれるのかな……回復魔法のこととか? 

 俺は一瞬で頭の中に色々な想像が駆け回ったけれど、それを一旦押し留めて頷いた。


「もちろん構いません」

「ありがとう。これは不敬な問いかもしれないが……、ミシュリーヌ様とは、本当にいらっしゃるのだろうか。いや、もちろん使徒殿の力は目の当たりにして実感している。しかし我が国は宗教とは距離を置いてかなりの時が流れており……民達も信じられぬと思うのだ。使徒殿に助力を賜る以上、ミシュリーヌ様にも感謝すべきと分かってはいるのだが、どのようにそれを民に伝えれば良いかと……」


 確かに、それも一理あるな。突然神によって救われましたとか言われても、普通の人達は意味が分からないだろう。

 ミシュリーヌ様からの神託もなしに信じろっていうのは難しいか。ミシュリーヌ様、神域外に神託をする神力は余ってるかな……


「ちょっとミシュリーヌ様に確認してみますので、少しお待ちいただけますか?」


 カカオ農園の案内も終盤で、あとはカカオの実を実際に食べてみる体験を残すだけだったので、俺は一言断ってから少しだけ皆の輪から外れた。そしてミシュリーヌ様に呼びかける。

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