閑話 安堵の夜(フェリシアーノ視点)

 私は第二王子として父上と兄上を支えるため、騎士団で地位を得て日々国のために働いている。あの日もいつも通り騎士達と訓練をこなし、午後は執務室で書類仕事に精を出していたのだ。

 しかしそんな穏やかな日常が、ある一報で一変した。


「殿下、大変ですっ!」

「何だそんなに慌てて。それにいつも言っているだろう、殿下ではなく役職で呼ぶようにと」

「そ、それどころではありません! 先程早馬が来まして、魔物の森への前線の街が巨大な魔物に襲われていると……」


 私はこの報告を聞いた時、しばらく事態を飲み込むことができなかった。確かに魔物の森は脅威ではあったが、魔物が街を襲うことなどなかったのだ。

 それから急いで騎士団を率いて現地に向かい……そこで目にした光景は、今でも脳裏に焼き付いていて忘れることはできない。


 壊されて瓦礫と化した建物、燃えている木造家屋、踏み荒らされた農作物、そしてそこかしこで倒れている民達。

 遠くに見えた魔物は厄災か何かだと思うほどに、強大で恐ろしく一目見ただけで戦意を喪失した。あれには勝てない、そう思った。


 それからは無我夢中で民達の避難を優先して、逃げることしかできなかった。そして何を思ったのか魔物が森の方に帰って行き……恐怖の時間は終わった。


 それから私は数人の忠臣を連れて、すぐに王宮へと帰還した。そして陛下と兄上に使徒様と呼ばれている人物への助力を提案した。使徒様のことはラースラシア王国から来る旅人や商人を通じてヴァロワ王国内でも噂として広がり、王族である私の耳に入るほどになっていたのだ。

 使徒様は全ての属性魔法に加え、使徒様しか使えない魔法も操る最強のお方。魔物の森の最奥で強大な魔物を倒したお方。他にもさまざまな噂が流れてきていた。


 しかし私はこの噂を半信半疑で聞いていたし、陛下はもっと信じていないようだった。ミシュリーヌ教は我が国であまり流行っていなかったし、使徒という存在が実際にいるなど信じられなかったのだ。

 ただ我が国まで噂が届くのだから強い人物であるのは確かなのだろうと思い、一縷の望みにかけて助力を願おうと決意した。そして陛下と兄上もそれに賛同してくれて、私がほとんど休む間も無くラースラシア王国へと馬を走らせることになったのだ。



 ラースラシア王国に着いてからは驚きの連続だった。まず驚いたのは突然訪れたにも関わらず、翌日には謁見が認められたことだ。一週間は先だろうと思っていたので、ラースラシア王国側の配慮に感謝した。

 そしてその謁見でまず驚いたのは、陛下の近くに大きな獣がいたことだ。ただ歴史上では熊をペットとして側に置いていた王族の話も聞いたことがあったので、驚きを顔に出すことはせずに何とか耐えることはできた。


 しかしその後で聞いた衝撃の事実には、さすがに顔を歪めてしまった。なんと陛下のペットだと思っていたのは神から遣わされた神獣様で、その隣にいる世話係だと思っていた少年が使徒様だというのだ。


 私はさすがに信じられずにその事実をうまく飲み込めなかったけれど、ここまで優遇してくれているラースラシア王国側に使徒様である証拠を見せて欲しいだの、どのぐらいの強さなのかお手合わせ願いたいだの、そんな図々しいことを言うことはできなかった。

 

 だから内心では本当にこの子供に我が国を救うことができるのかと疑っていたけれど、それは表に出さずに話を進めた。しかし私はこの後の会議で、一度でも疑ってしまったことを心から悔いることになる。


 会議が始まってすぐに使徒様が、我が国を襲った魔物に見当がつくと仰ったのだ。ファイヤーリザードという魔物で一度戦って倒したことがあると。そしてさらに神獣様にも意見を求められて……なんと、神獣様が言葉を発された。


 私はその言葉を聞いた瞬間に理解した。このお二方は本当に特別な存在なのだと。ミシュリーヌ様の使徒様と神獣様とは、架空の存在ではなくて実在しているのだと。


 お二方に助力に来ていただけるなど、どれだけ幸運なことか。これで我が国の民達がこれ以上理不尽な危険にさらされることはなくなる……本当にありがたいことだ。使徒様に、神獣様に、そしてミシュリーヌ様に感謝をしなくては。

 我が国は国教を定めておらず、宗教の力はかなり弱い。しかしこれから先は、ミシュリーヌ教を国教とすることも考えた方が良いのかもしれないな。助けていただいてそれっきりなど……そんな不義理なことをしてはいけないだろう。国に帰ったら陛下と兄上に相談しなければ。


「殿下、ご準備が整いました」

「ありがとう。では行こう」

「はっ」


 今夜は夕食会に招待されているので、準備を整えて会場へ向かう。使徒様と神獣様は参加されないようだが、国王様や宰相様をはじめとした、重鎮の方々が揃って御出席されるらしい。気を引き締めなくては。



「フェリシアーノ殿下、心配事も多く気が休まらないとは思うが、少しでも楽しんでもらえたら嬉しい」

「お気遣いありがとうございます」


 夕食会が始まってすぐの挨拶で、アレクシス陛下がそう声をかけてくださった。ラースラシア王国の国王様は気遣いもできるお方なのだな……我が国の陛下も王としてどっしりと構えた頼り甲斐のある方だが、気遣いという点では少々無神経なところもある。

 国に帰ったらアレクシス陛下の様子をお伝えして、もう少し柔らかい雰囲気も身に付けてもらうように進言してみよう。怖がられることも王としては重要だが、それだけではダメだからな。


「レオンのことは貴国にまで広まっているのだろうか?」

「はい。噂程度ですが、とても強く様々な魔法を使いこなすお方がいると」

「そうなのだな……ミシュリーヌ様の使徒であるという事実は、あまり知られていないのか?」

「……お恥ずかしい話ですが、我が国では宗教というものが発展していないのです。したがって使徒様という名前を聞いたとしても、ミシュリーヌ様と結びつける者は少ないかと」


 私は第二王子として宗教の情報が一通り頭に入っているので、使徒様と聞けばどの宗教だろうと疑問に思い、情報を集めてすぐにミシュリーヌ教、ミシュリーヌ様の使徒様であることがすぐに分かった。

 しかし我が国の民達は、そもそも使徒様という名前を聞いても宗教と結びつけて考える者は少ないはずだ。そう呼ばれている強いお方がいる、ほとんどの者はその認識止まりだろう。


 今回のように国の危機に陥った場合は、宗教が民達の心を支えることもある。これから先の国家運営を考えても、やはり宗教の力が必要なのかもしれないな。



 それからも話をしながら食事は進んでいき、最後に果物を食べて夕食は終わりとなった。


「楽しんでいただけただろうか」

「はい。とても美味しい料理の数々に皆様との有意義な会話。素晴らしい時間を過ごすことができました」

「それならば良かった。では最後に一つだけ、使節団の出立はいつ頃が良いか希望はあるか?」


 こちらの希望を聞いてくださるのか。ここまで優遇してもらえると、何か裏があるのではないかと疑いたくなってしまうな……これは王族に生まれた宿命か。とにかくまずは疑いから入ってしまう。


「できる限り早いとありがたいです。魔物がまたいつ我が国を襲うか分かりませんので」

「分かった。リシャール、最短でいつ出立可能だ?」

「そうですね……二日後ならば可能かと」

「では出立の予定は二日後としよう。それで良いか?」


 二日後なんてどれだけ急ピッチで準備を進めるのだろうか。私も組織の上層部にいるから分かる。使節団を二日で編成して出発準備までするのは……よほど優秀な組織で、尚且つかなり無理をしなければできないだろう。


「なぜ、そこまでしていただけるのでしょうか」


 思わずそんな疑問が口から溢れてしまった。するとアレクシス陛下は苦笑を浮かべて口を開く。


「せっかく動くのなら最大限の効果を得られるように、そう考えているからというのが理由の一つ。ただ一番の理由は……レオンならばそれを望むと思うからだ。レオンは使徒として強大な力を持っているにも関わらず決して驕らず、自分が手を伸ばせる範囲にいる者はできる限り助けたいと望んでいる。もしあと数日早ければもっと大勢の者を助けられた、そんな事態になったらレオンは自分を責めるだろう。そうならないために、私はできる限りの助力をしたいと思っている」


 使徒様はそのように素晴らしいお方なのか……私もその心意気に応えられるように、全力で事に当たろう。


「ありがとうございます。では二日後に出立でお願いいたします」


 そうして夕食会を終えた私は与えられた客室に戻り、明日からの忙しい日々で万が一にも倒れることがないよう早めに眠りについた。

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