第222話 新しい工房
「あっ、このドアは外に繋がるところだよ。基本的にはここから出入りするんだ」
「そうなの?」
「うん。さっき入ってきたところはお客さん用の入り口になるんだ」
「そうなんだ。開けてもいい?」
「いいよ」
俺がそう言うと、マリーは嬉しそうに鍵を開けてドアを開いた。そして外の景色を興味深そうに眺めている。
「こっちにも道路があるんだね!」
「こっちは裏通りだよ。そっちの横にも路地があって、さっきの大通りと繋がってるからね」
「そうなんだ。あのおうちは?」
そうしてマリーが指差したのは、マルセルさんの工房になる予定の建物だ。うちの玄関を出て裏通りを挟んですぐ目の前にある。
「あれがマルセルさんの工房になるんだ」
「そうなの!? 見に行きたい!」
マリーはそう叫ぶと、突然玄関から道路に飛び出してしまった。
「マ、マリー! 危ないからダメ!」
俺はそんなマリーをすぐに追いかけ、お腹に手を回して後ろから抱き上げる形でマリーを止める。
「マリー、道路に飛び出しちゃダメっていつも言ってるでしょ。馬車が通れない細い道路も馬が通ってるかもしれないんだよ。馬に蹴られたりぶつかられたら、マリーなんて吹っ飛んじゃうんだからね。馬だけじゃなくて荷車を引いてる人がいるかもしれないし、他にも危ないものは沢山あるんだからね」
俺は心を鬼にして厳しい声と口調でそう言い聞かせる。するとマリーの顔は段々と歪んでいき、目に涙が溜まってきた。
うぅ……泣かれると罪悪感が……。それにマリーの涙には弱いんだ。
「……マリー、怒っちゃってごめんね。でもマリーの為なんだ。突然道路に飛び出さないで周りを見てからだよ」
「……うん。わかった……ひっ……ひっく……」
「ま、待って、泣かないで」
マリーが本格的に泣きそうになってきたので、俺はマリーを慌てて地面に下ろして目線を合わせた。そして周りに誰もいないことを確認し、アイテムボックスからヨアンが作ったスポンジケーキを取り出す。一口サイズに切ってあるものだ。
「マリーごめんね。はい、これ食べたらまた新しいおうちを見て回ろう? まだ二階見てないでしょ?」
俺がそう言ってスポンジケーキをマリーに差し出すと、マリーは一気に瞳を輝かせた。
……急に明るい顔になったな。
流石スイーツは凄い。そして、やっぱりマリーは大人っぽいけどまだ子供だな。俺はそんなことを考えて少しだけ苦笑を浮かべながら、マリーにスポンジケーキを渡した。
マリーはそれを受け取ると、さっきまでのことはなかったかのように嬉しそうにスポンジケーキを食べている。
「レオン、マリー、どうしたの?」
そうしてマリーのご機嫌をとっていると、家の中から母さんが顔を出した。
「お兄ちゃんから甘いのもらったの!」
「あら、良かったわね。でもレオン、甘いものはあげすぎてはダメよ」
「わかってるよ。緊急事態だったんだ」
「そうなの?」
母さんはそう言って首を傾げながらマリーの顔を覗き込んだ。そしてマリーの瞳が涙に濡れているのに気づいたらしい。マリーの顔に伝った涙をさりげなく指で拭いながら、涙には気づかないふりをしつつマリーに笑いかける。
多分泣いてることを指摘したら、またマリーがその出来事を思い出すと思ったのだろう。
「凄く美味しそうね」
「うん! 美味しいよ!」
「じゃあマリーは先に中に入ってなさい。マルセルさんに一口あげたら喜ぶわよ」
「本当? じゃあ、あげてくる!」
そうしてマリーが家の中に駆けて行くのを見送って、母さんが俺の方を振り返った。
「何があったの? またマリーが何かやらかしたのかしら?」
母さんはもう、俺がマリーに何かをしてマリーが泣いたって選択肢は全く考えてないらしい。まあ、俺がマリーを泣かせるようなことはしないんだけどね。この数年でその信頼は確実なものになっているようだ。
「マリーが周りを見ないで道路に飛び出していったから怒ったんだ。そしたら泣き始めちゃって……でもスポンジケーキをあげたらすぐに泣き止んだよ」
「そうだったのね。レオンいつもありがとう。マリーにはまた言い聞かせておくわ」
「うん。結構反省してたみたいだから優しくしてあげてね……?」
「わかったわ。じゃあ私たちも中に戻りましょう」
「うん!」
そうしてマリーもすっかりご機嫌に戻ったので皆で家の見学を再開し、それに満足したところで荷物を整えることにした。
「じゃあ、荷物を次々に出していくね。大きい荷物は指定の場所に出すけど、小さいものは机に載せちゃうから皆よろしく。俺は荷物を出し終えたらマルセルさんの工房に行くから」
「わかったわ」
「じゃあいくよ」
そうして、まずはリビングに机と椅子を出した。そしてその上にリビングに置くための木箱や棚、その他細かいものを取り出して行く。
よしっ、これでリビングは全部かな?
「多分これで全部だよ」
「ありがとう。じゃあ母さんはリビングを片付けるわね」
「ロアナありがとう。じゃあ僕は厨房を片付けるよ。レオン、次は厨房でいいかい?」
「もちろん!」
そして厨房に、細かい調理器具から大きな棚や台まで取り出して設置していく。
「とりあえずこれだけかな……凄くいっぱいだけど、大丈夫?」
机に載り切らないほどたくさんの調理器具が積み上げられている。たくさんの調味料などもある。
「大丈夫。逆にやる気が出るよ」
父さんは楽しそうな顔でそう言って、腕まくりをした。かなりのやる気みたいだからここは任せても大丈夫だろう。
「じゃあマリーとマルセルさんと、食堂に机と椅子を設置したら二階に行ってるね」
「よろしく」
「うん。じゃあマリー、まずは食堂に行こうか。マルセルさんも手伝ってもらえますか?」
「うん!」
「もちろんじゃよ」
そして二人と食堂を整えて、それから二階に向かった。二階には四つの部屋があり、一つは父さんと母さんの部屋、一つが物置部屋、そして後の二つがそれぞれ俺とマリーの部屋になった。
俺の部屋は一応整えることにしたのだ。なんだか嬉しい。転移する時も部屋に転移できるし便利だろう。
「お兄ちゃん! 私のベッド出して〜」
「はいはい。……よしっ、ここでいい?」
「ううん、こっちがいい!」
「こっちね。はい、これでいい?」
「うん! じゃあ次は棚ね。棚は……ここ!」
俺はそうしてマリーの指示に従い、ひたすら荷物を出したり入れたりを繰り返した。マリーは自分の部屋を持つことが殊の外嬉しかったようで、かなりテンション高く時間がかかった。
やっとマリーの部屋が整った時には、母さんと父さんが一階をほとんど整え終わったほどだ。
「あら、まだマリーの部屋しか終わってないの?」
「マリーが凄く張り切ってたんだ」
俺が顔に苦笑を浮かべてそういうと、母さんは事情を察したのか俺と同じような表情を浮かべた。
「見て! 私のお部屋だよ!」
マリーは母さんと父さんが来たことに気づき、二人に部屋を紹介している。
「あらあら、凄く良い部屋じゃない」
「そうでしょ!」
「じゃあ私はマリーのお部屋を見せてもらうわ。レオンとジャンは他の部屋をお願いね。マルセルさんも他をお願いします」
「わかったよ」
そうして母さんがマリーに付き合ってくれたので、俺とマルセルさんと父さんは、その間に他の部屋を最低限整えた。
「父さん、ベッドはこっちでいい?」
「うん、そこでお願い。あとは机と椅子と棚を出してくれたら、他はとりあえず机の上に全部置いてくれればいいかな」
「わかった。じゃあここに出しておくね」
「ありがとう。あと物置部屋に入れる荷物は、とりあえず部屋の床に全部置いておいてくれるかい? それも後で片付けるから。それが終わったらマルセルさんの工房に行っていいよ」
「はーい」
「マルセルさん、長々と手伝ってくれてありがとう」
「良いんじゃよ」
そうして俺は持ってきた全ての荷物をとりあえず部屋に入れて、マルセルさんと工房に向かった。
「マルセルさん、手伝ってくださってありがとうございました」
「別に良いんじゃよ。わしも楽しかったからな。それよりも、この建物がわしの工房か?」
「はい。前の建物と同じぐらいの広さです。広すぎても掃除が大変だと言っていたので……」
「そうじゃな。この大きさが一番じゃ」
「それなら良かったです!」
そうして話しながら工房の入り口に辿り着いた。するとロジェがマルセルさんに鍵を渡す。
「ロンコーリ様、こちらが工房の鍵でございます」
「ありがとう。そうじゃ、わしのことは家名ではなくマルセルで良いぞ。もう家とはなんの関係もないからな」
「かしこまりました。ではマルセル様と呼ばせていただきます」
「ああ。じゃあ開けるぞ」
そうして入った工房の中は、前の工房とあまり変わらない作りだった。もちろん部屋の位置などは変わっているけど、部屋数などは同じだ。
「良い家じゃな」
「気に入っていただけましたか?」
「ああ、年甲斐もなくワクワクするわい。じゃあ荷物を片付けるかのぉ」
「はい! 荷物を出していきますね。工房は、この部屋ですか?」
「そうじゃな」
そうしてマルセルさんの工房も、俺とマルセルさん、それからロジェの三人で整えた。
「よしっ、これで最後です!」
「ふぅ〜。すぐ終わるかと思ったが意外と重労働じゃな」
「工房は細かいものも沢山ありましたからね」
「よしっ、ではレオンの家の方に戻るとするか?」
「そうですね。このまま戻らなかったらマリーが拗ねますよ」
そうして三人で俺の家に戻ると、家の片付けは既に終わったのか、三人はリビングで休憩中だった。
「レオン、工房の片付けはもう終わったの?」
「うん! 完璧だよ」
「それなら良かったわ。休憩したら手伝いに行こうと思っていたのよ」
「もう大丈夫だよ」
「じゃあ、これで今日は終わりかな?」
父さんは少し疲れた様子でそう言った。
「食堂の片付けが終わったなら、とりあえず終わりかな?」
「食堂はとりあえず終わったわ。でもまだ二階とか細かいところは片付けてないから、これから数日かけて家を片付けて、できる限り早めに食堂を始めたいわね」
「そうだね。イアンも明日から来てくれるし、できる限り早く始めたいかな」
そう、イアン君は今まで通り、食堂で従業員として働きつつ護衛をしてくれることになったのだ。影からも護衛できるけど、やはり近くにいる方が守れる確率も上がるらしい。俺としても凄くありがたいことだ。
「そういえば、教師の方はいつ来てくれるんだったかしら?」
「毎週風の日だよ。風の日の午後二時に来てくれるからね」
「そうだったわね。ちゃんと覚えておかないと」
「紙に書いて貼っておく? 曜日と時間なら少しは読めるようになったんじゃない?」
「……確かにそうね。じゃあそうしてくれるかしら?」
「うん!」
家族皆には、公爵家の使用人の方が一人教師として礼儀作法や敬語、読み書きなどを教えてくれているのだ。公爵家を出てからも週に一回授業を続けてくれることになっている。もちろんその分の費用は俺が公爵家に払う予定だ。リシャール様にはいらないって言われたんだけど、流石にそれはダメだろう。感謝も込めて少し多めに支払いたいぐらいだ。
皆はこれからの人生に必須だからか、かなり真剣に学んでいて少しずつ上達している。でもやっぱり、母さんと父さんは結構苦戦しているみたいだ。マリーの方が子供だからか飲み込みが早い。
「じゃあ、とりあえず大丈夫かな? 他に何か気になることある?」
「うーん、まだ住んでみないとわからないわ。また何かあったら連絡するわよ」
「そうだね。じゃあ何かあったらイアン君に言ってね。あとは直接公爵家に来るのでも母さん達なら入れてもらえるし、俺も頻繁にこっちにも来るよ。夜とか突然来るかもしれないけど驚かないでね」
「わかったわ。来る時はレオンの部屋にしてちょうだい」
「お兄ちゃん、たくさん来てね!」
「マリー……、もちろん、たくさん来るよ!」
マリーにそんなこと言われたら、毎晩でも帰ってきちゃいそうだ。
「じゃあ、俺は公爵家に戻るね。また来るから」
「ええ、わかったわ」
「レオン、いつでも帰ってくるんだよ」
「お兄ちゃんまたね!」
「うん! マルセルさんもまた工房に行きます」
「ああ、いつでも良いぞ」
「ありがとうございます。じゃあまたね」
そうして家族とマルセルさんの引っ越しを終えて、俺は公爵家に帰った。結構疲れた……
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