第179話 アンヌの息子

 従業員寮を決めた次の日。

 俺はロジェとともに寮まで馬車で向かっている。アンヌとエバンは朝早くから引っ越しをして既に寮にいるので、今は一緒ではない。アンヌの息子さんとは寮で話をする予定だ。そして話をした後に、お昼ご飯を食べさせてもらう。


 実は昨日あの後、アンヌの息子さんについてもう少し詳しく聞いたんだけど、なんでも食べてる人を観察するだけじゃなくて、変な料理を考えるのも好きらしいのだ。

 料理の腕は良いので普通の料理も作れるんらしいんだけど、趣味で変な料理開発をずっとしているらしい。

 その料理はかなり手間がかかったり、一般的に受け入れられるような見た目ではなかったり、美味しいけど馴染みのない味だったり、普通に不味かったりと、流行るようなものではないとのことだ。

 ただ、たまには美味しいものもあるらしく、身内や仲間内では人気の料理もあるのだとか。そういう料理はお店で出したりすることにならないのかと思うけど、総じてかなり手間がかかるのと、一部の人にしか受けないものらしい。


 そんなことを言われたらすっごく気になって、今日は一番自信作の料理を振る舞ってもらうことにした。今からかなり楽しみだ。どんな料理なんだろうか。



 そうしてワクワクしながら馬車に揺られることしばし、俺は寮に到着した。

 ロジェと共に馬車から降りると、玄関前に三人が出迎えに来てくれていた。右端の人がアンヌの息子さんのようだ。小柄で黄緑色の髪に同系色の瞳で……、十八歳には見えないな。背が低いのもあるけど、顔も童顔で幼く見える。


 ……背が低い仲間ゲットだ。俺は密かにそう喜んだ。


 そうして三人に近づいていくと、アンヌの息子さんにじっと見られているみたいだ。興味津々な様子だけど、食べてる人だけじゃなくて普通に人間観察が好きなのかな? 

 ……確かにこの様子だと、貴族の使用人には向かないかも。俺はそんなことを思いながら苦笑を浮かべつつ、皆に声を掛けた。


「皆、出迎えありがとう。君がアンヌの息子かな?」

「はい! ティノと申します。よろしくお願いいたします」


 ティノはそう挨拶をしつつ綺麗な所作で頭を下げた。こういうところはしっかりと教育されてるんだな。流石アンヌの息子だ。

 だけど挨拶が終わったら、また好奇心旺盛な様子で俺のことを見てくる。なんだろう、子供が蟻の行列をキラキラした瞳で見つめているときの、あの顔だ。

 この表情がより一層ティノを幼く見せているのかもしれない。

 

 俺もそんなことを考えつつ、負けずにティノを観察していると、横にいたアンヌがティノの頭をガシッと掴んで無理矢理に下を向かせた。


「レオン様、足をお運びくださりありがとうございます。それから、息子が本当に申し訳ございません。今からでも雇うのをやめてくださっても構いませんので……」


 アンヌはそう言って、申し訳なさそうに謝っている。俺からしたらティノの様子は、別に咎めるほどのものではないんだけど、公爵家でメイドとして働いてたアンヌにとっては許せない態度なんだろう。


「アンヌ、別に大丈夫だからそんなに気にしないで。とりあえず中に入ろうか」

「かしこまりました」


 そうして場所を食堂に移して、俺はティノと向き合って座っている。目の前にはティノが座っていて、少し離れたところにアンヌとエバン、ロジェは俺の後ろだ。


「改めて、俺はレオン。ジャパーニス商会の商会長で、今度スイーツ専門店を開く予定なんだ。そこで従業員としてアンヌには働いてもらう。ティノにはここ、お店の従業員寮の料理人をしてもらいたいと思ってるんだけど、どうかな?」


 俺がそう聞くと、ティノは食い気味に頷いてきた。


「はい! この度は私に仕事の話をくださって、本当にありがとうございます。是非こちらで働かせていただきたいと思っています。ただ私は、自分が作った料理を食べている人を見るのが好きで、また料理を創作するのも好きでして……、それによって今までいくつもの職場をクビになってきました。それでも、大丈夫でしょうか?」


 ティノは前のめりで働きたいと言いながらも、少しだけ不安そうな表情でそう聞いてきた。

 やっぱりアンヌの息子だからか、言葉遣いや態度など凄くちゃんとしてる。なのにクビになってるってことは、料理のこととなると暴走するのかな。


「ここでの仕事は朝昼夜の料理をすることだけだから、それ以外の時間は自由にしてくれて構わないよ。だから料理を作ったら皆と一緒に食べても良いし、食べてるところを見ていても別に良い。でも、嫌がる人がいたらそこは配慮して欲しいかな」

「そこはしっかりと配慮いたします! 私は私の料理を食べて喜んでいる人を見るのが好きなので、嫌がられるのは本意ではありません」

「それなら良かった。あと、料理の創作も仕事以外の時間なら好きにやってくれて構わないよ。というか、上限は決めるけど材料費は支払うから、積極的にやって欲しい」


 実際、料理の研究が好きなだけで大歓迎なんだ。今はスイーツの研究ばかりだけど、料理ももっと発展させたいからね。

 いずれ醤油とか作ってくれたら嬉しすぎる。変な料理を作ってるみたいだし、そのうち発酵とかにも手を出してくれないかな?


「本当ですか!? 今までの職場では、自分で材料を調達して料理をしていたのにも関わらず、匂いがキツイとか邪魔だとか見た目が気持ち悪いとか、色々と言われて結局禁止させられていたんです! ……レオン様が輝いて見えます。眩しすぎて直視できません。レオン様は、私の神だったのですね……」


 ティノはそう言って祈るように手を合わせ、本当に眩しそうに目を細めた。俺はそんなティノの様子を見て思わず吹き出してしまう。


「ふっ……ふふっ……、ティノ、めちゃくちゃ面白い、面白すぎる」


 真面目な様子とテンション上がってる時のギャップが凄い。さっきまでは完璧な使用人のようだったのに、急に神に祈る人になってるし。

 俺は込み上げてくる笑いを、何とか抑え込んで耐えている。急に笑い出したらティノに失礼だろうと思ったのだ。でも苦しい、腹筋が限界だ。何かツボに入った。これ苦しいやつだ。

 ティノはそんな俺の様子を見て、不思議そうに首を傾げた。そして心配そうな表情になる。


「レオン様、大丈夫でしょうか? 体調でも悪いのですか……?」


 ティノは俺がお腹を押さえて俯いているのを、体調が悪いと勘違いしたみたいだ。でも違う、体調は万全だから。これは笑いを堪えて苦しいだけなんだ。

 そう伝えようと思って、何とか顔を上げた。


「だ、大丈夫、なんか、ツボに入っただけだから、ごめんね。ちょっと待って……」


 俺ってツボに入ると、なんでも面白く感じるようになっちゃうんだよね。貴族の人達やその関係者って、笑っちゃうようなことがあってもポーカーフェイスを貫けるのは、本当に凄いといつも尊敬してる。俺はその能力身に付かないんだよね。頑張ってはいるんだけど、笑いには弱い。


 ――はぁ、もう苦しいから収まって!


 それからしばらくして、やっと笑いが収まった。もう疲れた、めちゃくちゃ疲れた。


「ティノ、本当にごめん。何の話ししてたんだっけ?」

「いえ、大丈夫です。また何か私が面白いことをしてしまったのでしょうか? 私が話しているとよく笑われるのです。……何故でしょうか?」


 ティノはそう不思議そうに言った。


「うん、ティノが面白いからだね」

「自分では面白いことを言っている認識はないのですが……。改善した方が良いのでしょうか?」

「ううん、ティノはそのままが良いよ。面白いのも才能だし。それに面白いことを言っているというよりも、全体で面白いって感じだから。ギャップが良いっていうのかな? 最初は笑っちゃうかもしれないけど、慣れてきたら微笑ましい感じになって、雰囲気を明るくする良いキャラになれるよ」


 ティノはムードメーカーになれる。ティノが一人いたら雰囲気が明るくなる、そういうタイプだ。そういう人って貴重だよね。


「それは、喜んで良いのでしょうか?」

「うーん、貴族の屋敷で働くのだと微妙かもしれないけど、ここや平民の食堂とかで働くのだとしたら良い能力じゃないかな?」


 俺がそう言うと、ティノは嬉しそうに笑顔になった。


「それならば、気にしないようにいたします」

「うん、それが良いね。じゃあ話の続きをしようか」

「かしこまりました。先程は仕事内容の話をしておりました。朝昼夜の料理をしっかりとすれば、他は自由時間で良いと。それから料理の創作の材料費も払っていただけると」

「そうだった、その話しだったね。じゃあ仕事の話に戻るけど、朝と夜はここの食堂で、昼はここで作ってお店まで運んで欲しいんだ。その仕事内容でよければティノを雇いたいと思ってる。ここで働いてくれる?」

「はい! 勿論です。断るなどあり得ません。本当にありがとうございます!」


 ティノはそう言って、また綺麗な所作で頭を下げた。本当に、ギャップが凄い。


「じゃあ、これからよろしくね。そうだ、ティノはここに住む?」

「よろしくお願いいたします。私もここに住んで良いのでしょうか?」

「うん。住んでくれた方がありがたいかな。朝ご飯はかなり早い時間になると思うから」

「かしこまりました。ではこちらに越してきます」

「ありがとう。できる限り早めに越してきてくれるとありがたいな」

「では、本日中に引っ越しの準備を整え、明日にでもこちらに参ります」


 それならアンヌとエバンの食事も心配しなくていいな、良かった。


「ありがとう。じゃあ早速明日から仕事よろしくね。仕事は毎日になるけど、休みが欲しければ言ってね。ティノが休んでる時は外で食べたり、他の料理人が料理をしたりしても良いから。それから何か足りないものがあったり、疑問点とかあったらいつでも言って。俺への連絡は……とりあえずアンヌにお願いしても良い? アンヌなら公爵家に来るのも問題ないだろうし」

「勿論でございます」

「じゃあよろしくね。そういうことだから、何かあったらアンヌに伝言頼んで」

「かしこまりました。明日からよろしくお願いいたします」


 そうしてティノを雇うことで話はまとまった。予想以上に礼儀正しいし、予想以上に面白い人だったし、良い人材を雇えて良かった。

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