第42話 神桜会
客間にて、会合が始まる。テーブルには、はまぐりの焼き物や、伊勢エビの刺身。鮑の蒸し物など、魚介類を使った料理が並んでいた。会長が日本酒好きということで三重県のプレミアム地酒である『爾今』も用意してある。
上座に座るのは、
眼鏡をかけていて、いかにもインテリヤクザといった風体である。顔には甘さも若さも残るが、その瞳の奥底には、極道特有の力強さが秘められているようであった。
「会長。ご無沙汰しております」
遙か年上であるはずの城島が、畳に手を置いて、深々と頭を垂れる。
「お元気そうでなによりです。城島さん」
「この度は、うちの元組員がバカをやらかしたようで、ご迷惑をおかけしました」
京史郎も、続いて頭を下げる。
「……榊原京史郎です。今回の一件は、堅気としてのビジネスでしたが、神桜会ならびに柄乃組の方々には大変ご迷惑をおかけしました。もうしわけございません」
城島が合図をすると、京史郎は鞄から包みを取り出した。神桜望の前へと置く。
「柄乃。おまえにも迷惑をかけたな」と、城島が言う。京史郎は、同席している柄乃の前にも包みを置いた。
「城島の緑。顔を見るからに、こっぴどく叱られたようだな」
先刻、城島が殴りかかってきたのは、こういう言葉を神桜望や柄乃から引き出すためである。城島の指示ではないという意思表示といったところか。また、ふたりの溜飲を少しでも下げようという狙いもある。だから、京史郎は甘んじて殴られた。
「この度の件は柄乃組長から窺いました。随分と派手にやってくれたようで」
神桜望が切り出した。
「おいらの教育が行き届かなかったからです。ただ、京史郎は極道としてではなく、あくまでビジネスのためにやったことで――」
神桜望が、掌を向けて言葉を遮る。
「そのことは結構。榊原京史郎の処分に関しては、一切不問となっています」
あまりに寛大な処置に、城島も驚いていた。
「は……それはいったいなぜ?」
「神桜会としては見過ごせぬ振る舞いですが、そちらの柄乃組長のがどうしてもというので、手打ちとなりました」
疑問に思う京史郎。これほどの件を手打ちにするには、相当の金を積んだであろう。果たしていったい、柄乃にそこまでする理由があるのか。
「では、会長はなぜ、ここへ……?」と、城島剛鬼。
神桜望は、控えている黒服に「持ってきてください」と、告げた。
アタッシュケースが運び込まれる。それを、テーブルの上。京史郎の目前へと置いた。
「開けてみろ」
神桜会長に言われるまま、京史郎はアタッシュケースを開く。すると、中には札束が詰め込まれていた。
「……おまえは、柄乃の姫夜叉を倒したそうだな」
極道の間で、柄乃夜奈は姫夜叉と呼ばれている。難攻不落の最凶のボディーガー
ド。柄乃達義の懐刀。本家神桜会も注目しているほどの逸材である。
「実力は当然、頭もいい。度胸もある。会社を興すだけの行動力もある。動画サイトの方も上手く行っているようだな」
「はい」と、静かに返事をする京史郎。
「堅気にしておくのは惜しい。本家神桜会で、榊原京史郎を預かりたい。――それは支度金だ。1億ある」
神桜望に続いて、柄乃が述べる。
「京史郎。おまえは堅気に向いてねえ。こっちの世界に戻ってこい。しかも、1億って言ったら、会長が夜奈に付けた値段と同じだ。もっとも、あいつはオファーを断っちまったがな」
この若さで、それだけの大金を手に入れたら、もはや勝ち組と言っていいだろう。金のため極道になった。金のために事務所を開いた。もし、これが京史郎という人間に付けられた価値だとしたら――これまでやってきた無茶も報われる。
「迷っているのなら、背中を押してやる」
神桜望が合図をすると、先程の黒服が、アタッシュケースをふたつ持ってきた。
「全部で3億。姫夜叉を倒したおまえに、同額というのも失礼な話だったな」
首を縦に振るだけで、すべてが京史郎のものとなる。果たして、義理や人情がこの大金に勝るのか。芸能事務所を続けるとして、これだけの大金を、将来ポケットに入れることができるのか。
――けど、京史郎の頭の中には、どうでもいい連中の顔がちらついて消えなかった。
京史郎は、深々と頭を下げる。
「大変ありがたいお話ですが、遠慮させていただきます」
「おい、神桜会の会長が、直々に言っているんだぞッ?」
柄乃にきつく言われるが、京史郎は頭を下げたまま続ける。
「もうしわけございません。城島の下で働いて、もう極道は懲りました」
肩を竦める神桜望。
すると彼は立ち上がった。
「……そうですか。ならば、私はこれで失礼します。柄乃さん、城島さん。今度、仕事抜きで食事にでも行きましょう」
「城島とですか? はは、気まずい食事会になりそうですな」
苦々しい笑いをこぼす柄乃。城島の方は嬉しそうに「いつでも声をかけてください。隠居生活は暇なので」と、告げる。
そして、神桜望は退室していった――。
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