第43話 踊る阿呆に歌う阿呆。いちばん阿呆は笑う阿呆

 大物がいなくなった料亭の一室。麻思馬市の龍と虎がテーブル一枚挟んで対峙する。


「いやあ、神桜会長も大物だね。こんなチンピラに3億だとよ。んで、てめえのとこのお嬢ちゃんは1億か。おいらの勝ちだねぇ」


「往生際の悪いジジイが、ぬけぬけと……。なあ、城島。実のところ、おめえが京史郎をけしかけたんだろ? 恨み晴らすためによぉ」


「その気だったら、てめえは生きちゃいねえよ」


 文句の皮肉の言いあいのようであったが、ふたりの口元には笑みが残っていた。


「本題はここからって感じだな。――柄乃。なんで神桜会相手に京史郎を庇った? 少なくとも、こいつを半殺しにしなきゃ、メンツが立たねえだろ。大金を積んだんじゃねえのか?」


 柄乃は、腕を組んで難しい顔をする。


「……ま、どうせ俺も会長に詫びなけりゃならなかったからな」


 京史郎ひとりに組をかき回されたという事実。柄乃組の恥は本家の恥でもある。泥を塗られた柄乃は、謝罪をしなければならなかった。どうせ金を払うのなら、京史郎も救ってやりたいと考えたようだ。


「京史郎の死体を土産にも包むこともできたろ」


「それもアリだな。しかし、こいつには利用価値がある」


 これを大きな貸しにして、裏で京史郎を操ろうというわけか。さすがに、屋敷での一件ですべてを精算するわけにはいかないようだ。面倒なことになったと京史郎は思った。


「なにかお役に立てることでも?」


 社交辞令的に窺ってみる京史郎。


「順を追って話そうか……。――まずは、ライブハウスの件だ。あそこは暮坂が買い取った。もう組とは無縁だ。好きに使えばいい」


「暮坂が買い取った……? あいつにそんな金があるんすか?」


「借金だよ。ま、こっちも買い取ってもらったほうがありがたかったもんでな」


 あの場所は柄乃組の汚点となっている。柄乃のシマを京史郎に荒らされたというのも格好が悪いので、処分してしまいたかったそうだ。


「暮坂なら返済できるだろう。おまえのところのアイドルも評判がいいらしいな。売り上げに貢献してやれ。良いウイスキーが揃っているぞ」


「俺の利用価値ってのは、それだけっすか?」


 黙り込む柄乃。どうも歯切れが悪い。立場が上なのは柄乃である。神桜会から京史郎を庇ってくれたのだ。言いたい放題のハズだと京史郎は思った。


「緑。……城島から『約束』の話は聞いたか?」


「約束?」と、繰り返す京史郎。


「さっき言ったろ。『何があっても笑うな』って。ちゃんと聞いとけバカ」


 城島に叱られる。


「ええ、聞きました」


「約束を破ったら、切り刻んで魚の餌だからな? 絶対に笑うなよ?」


「はい」


「おまえは俺に借りがあるな? 神桜会から救ってやったよな?」


「はい」


「ライブハウスも暮坂に明け渡した。うちのシマで仕事し放題だ。至れり尽くせりだな?」


 なんだろう、この子供じみた念の押し方は。まさか、人には言えないような恥ずかしいことを言うのではないだろうか。動画を見てシュルーナのファンになったので、心音とデートしたいとか、そんな感じの。


「なら、俺の頼みは断らんよな?」


 相当、面倒な頼み事をされるらしい。しかし、ここまで上手く話が運んでいるのであれば、多少無理な願いでも叶えなければならないのだろう。


「……実はな、おまえのとこの事務所で、女をひとり世話してやってほしい」


 柄乃の愛人か? はたまたキャバクラで仲良くなった夢見る年増か? 縁故での採用は拗れる。厄介な話になってきた。


「そいつは、おまえの噂も、バランタイナの件も知った上で志望している。特別扱いする必要はないし、実力がなければクビにしたっていい。ただ、チャンスを与えてやって欲しいんだ」


 要するに、ほんの少しでいいから試してみてくれということか。乗り気ではないが、これを断るとなれば――それこそ、義理人情に反するのだろう。


「俺は、一切口出しせん。極道との縁はないものと思っていい」


「どんな奴なんすか。会ってみないことには――」


「そうか! 呼んでいるから、会わせてやるぞ!」


 身を乗り出すかのように喜ぶ柄乃達義。件のアイドル候補は、ふすまの向こうに引かえさせているらしい。便宜を図ってもらった対価としてなら安いか。仕方あるまい。


「おい、入れ」


 柄乃達義が声を張ると、ふすまがスッと開いた。そして、組長ご推薦のアイドル志望者が姿を見せる。


「…………」


 そいつは、黙ったまま京史郎を睨みつけていた。


 ポニーテールの着物の女性。傍らには木刀。正座にてのお披露目であった。柄乃の姫夜叉とか呼ばれていた女。柄乃夜奈その人である。


 京史郎はポカンと口を開いて動かなくなる。城島も驚いていた。気まずい空気が流れる中、柄乃が、京史郎に聞こえるぎりぎりの小声で言った。


「笑ったら殺すぞ。拗ねるあいつを説得して、なんとかここへ連れてきたんだから」


 紛う事なき柄乃の娘である。京史郎と死闘を繰り広げた最凶の女子大生だ。あまりにシュールな登場に、城島の方は笑いが込み上げてきたようだ。そっぽを向いて、小刻みに肩を振るわせている。


 京史郎は、なんて声をかければいいのかわからなかった。なので、とりあえず――。


「ひ、久しぶりだな」


「……京。顔が引きつっとるで。うちがアイドルやりたいいうんが、そないにおかしいんか?」


 ――こいつ、本当にアイドルをやりたかったのか? いつから? 本気か? いや、思い返せば――。


 ――京史郎は合点がいった。


 初めてバランタイナを訪問した時。あの場に夜奈がいた理由だ。経営に興味があるとは思えない。ライブが趣味なわけでもない、暮坂とも仲が良さそうにも見えない。そんな奴が、なぜ新進気鋭のライブハウスを訪問したのか?


 おそらく、暮坂に『ステージに立たせてくれ』と、交渉しに行ったのだ。


 極道の娘というプライドの高い立場だ。勇気のいる行為だったのだろう。しかし、京史郎が介入してしまった。アイドル志望だと知られたら、恥になると思った夜奈は、何事もないかのように振る舞った。


 だが、邪魔をされた彼女の怒りは凄まじい。鬱憤晴らしにシュルーナのデビューライブに難癖を付けて、全力で邪魔してやろうと考えたのである。


 悪い意味で、かわいすぎるバカ。そうなると、伊南村ほどの人間が、夜奈のお守りをしていたのも説明がつく。


 この件が上手く行けば、夜奈は普通の女の子だ。伊南村としては、組長への義理も果たせるし、自身も若頭としての権力を確固たるものにできる。夜奈が極道のままでは、どちらがボスかわからないからだ。


 柄乃達義も親バカだ。暮坂をスカウトしたのも、バランタイナを建てたのも、娘の新たな門出のため。夜奈のような人間を、極道の道から切り離すためには、中途半端な真似はできなかった。


 しかし、京史郎の登場によって、それらすべてが破綻する。その後、一悶着あるも、京史郎を味方に付ければ、夜奈をアイドルにできるかもしれないと考え、暮坂にライブハウスに売り払い、神桜会に金を払ってでも京史郎に貸しを作ったのである。


「ぶはっ! ひゃひゃひゃひゃひゃひゃッ! アイドル? おまえがッ? マジかよ!」


 色気のない関西弁の暴力女がアイドル! なんと滑稽なのだろう! 


「おい、緑! 夜奈は本気で言ってるんだぞ!」


 いや、本気で言っているからこそ、笑いが止まらないのだ。


「おまえが歌ぁ? 演歌ですかぁ? コブシを利かせて歌うアイドルですかぁ! ひゃひゃひゃ。アイドルじゃなくてネタだろ? おまえを採用するなら、アイドルじゃなくて、お笑い芸人としてデビューさせてやるよ、ひゃひゃひゃ――」


「ぬああああああぁぁぁぁッ! おとん! やっぱ、こいつの事務所なんか入られへんッ! 人がマジになっとるモンを笑うんやない! 殺したるわぁあぁあぁぁぁッ!」

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