第37話 柄乃組の若頭

 同時刻。バランタイナ。


 店先には派手なシャツのチンピラや、スーツを着た強面の男衆が集まっていた。店の中では、すでに襲撃が始まっているのだが、満員の会場には、入れる数も決まっている。警察などの介入に応対するためにも見張りがいる。結構な数の人間が表で待機していた。


 学生相手の仕事ゆえに、連中の態度も弛緩していたのだが、ある男の登場によって、現場は一瞬にして緊張に包まれる。


「カ、カシラ! お疲れ様です!」


 怖い顔した連中が、一斉にお辞儀をする。


 ――現れたのは柄乃組の若頭。伊南村だった。


 顔には青痣。青いスーツはには、おびただしいほどの黒い染みができていた。


「……京史郎はきてるか?」


「いえ。……あの、カシラは今までどこに行ってたんごふぁッ! すす、すみませんッ!」


 八つ当たりと言わんばかりに殴りつける伊南村。誰もが視線を落として震え上がっていた。


 伊南村は、憤懣やるかたないといった様子で、ライブハウスへと入っていく。


 ――京史郎が立ち去ったあと、すぐに伊南村のもとへ助けが来た。


 事情は聞いた。聞いて、さすがは柄乃の親父だと感心した。京史郎が夜奈を挑発し、倉庫に呼び寄せようとした。だが、それを罠だと察した柄乃組長は、夜奈を屋敷に待機させたのだ。


 現状、伊南村に指示は与えられていない。これも親父なりの教育方針。自分で考えろということなのだろう。屋敷に夜奈がいるなら、伊南村の出番はない。


 ならばと彼はライブハウスへと向かうことにした。京史郎は、アイドルの連中に惚れ込んでいる。確保すれば、奴も身動きできないだろう。


 ――だが、このタイミングで柄乃の親父から連絡が入る。


「カシラ、親父からお電話です」


 若頭補佐の新沼が、背後から呼び止める。


「……なんだって?」


「は、ライブハウスの件は仕舞いだとかなんとか……カシラに電話を替われと」


 ――どういうことだ? 


 凄まじく難解な状況である。


 考えられるパターンはふたつ。夜奈が京史郎を始末し、もはやアイドルのことなどどうでもよくなったケース。もうひとつは、京史郎が親父に話を付けたケースである。


 だが、新沼は『親父からの電話』と、言った。放任主義の親父が、直接命令するというのは不自然である。夜奈が健在なら、彼女が直接連絡するはずだ。


 少し考える伊南村。


 とにもかくにも、この電話は受けてはいけないと思った。親父が、電話の向こうで『終わり』を告げようとしているのである。電話を替わったら仕舞い。京史郎との因縁を終わらせることになる。


 伊南村はスマホを受け取ると、すぐさま通話を切った。そして、床に落として踏み砕いてしまったではないか。


「ちょ、カシラ! それ、俺の大事な――」


 伊南村が睨む。すると、新沼は表情を青くし、すぐさま視線を落とす。


「親父からの連絡は受けるなよ? 全員のスマホをぶっ壊しとけ。何があっても、俺に取り次ぐな。言ってること、わかるよな――?」


 これで問題ない。親父の命令は伊南村に届かない。ならば、伊南村は自分の采配で好きにすればいい。

 


「はあ……はあ……」


 ステージの上には血まみれの少女がいた。肩で激しく呼吸をしており、身体は前傾姿勢でいつ倒れてもおかしくなさそうだった。しかし、その瞳は力強く、向かってくる者を威嚇するように睨みつけている。


「……アイドル、だよな?」「何人倒したんだ?」「倒れてるのは二十人だけど、あいつ一人で半分以上倒してるぜ」「あっちの子たちも強くね?」「若様、やっぱりちんちんついてるんじゃ……」「なんで誰も警察呼ばねえの?」「呼んだらヤクザに殺されちまうだろ」


 またひとり、極道が和奏に向かっていく。金属バットを振り回される。和奏は、それを軽やかに回避。腕を掴んで軽く捻る。


「ぐッ! あ、がいだだだだだだッ!」


 バッドが床に落ちると、和奏はヒザを顔面へと叩き込む。


「いったい何人いやがんだよ! こんちくしょうめ!」


 またひとり、極道が和奏に向かっていく。またひとり、チンピラが和奏に向かってくる。またひとり、暴走族が和奏に向かってくる。向かってくる、向かってくる、向かってくる、向かってくる、向かってくる、向かってくる向かってくる。襲いかかってくる。



 壁際に佇む老人が、誰に聞かせるわけでもなくつぶやいた。


「……弱いな」


 それは、やられゆく極道に対しての評価ではなかった。


 秋野和奏。この場で誰よりも強く勇ましく戦っている彼女に対しての評価。そんな老人に向かって、別の老人が声をかける。


「助けないんですかい?」


 顔も名前も知らない謎の老人だった。彼は、さらに言葉を繋げる。


「――あんた、秋野道場の大和さんだろ?」


「……人違いでは?」


 大正解だが、大和は知らぬ存ぜぬを貫く。


「いやあ、間違いないよ。地元じゃ有名だからな。テレビで何度も見たことあるもん」


 謎の老人は、嬉しそうに笑った。大和は大和であるコトをしらばっくれていたが、謎の老人は本人だということを前提に、会話を続ける。


「あの子、あんたの娘だ。秋野和奏ちゃんだろ? 助けなくていいのかい?」


 大和は、表情を変えずに答える。


「あの程度の怪我など、日常茶飯事だ。そもそも、わしの娘ではない。助ける義理などない」


 これは京史郎とかいう悪党の罠だと、大和は思っている。先日、彼から大和宛てに手紙が届いた。入っていたのはライブのチケット。


 親の理解を得るために、社長自らがきっかけを作ろうとしたのだろうと思ったが、実際はこの有様。要するに、京史郎なる人物は大和をジョーカーとして用意したのだ。


 考えていることは悪くない。実の親を招待すれば、和奏を守ってくれると思ったのだろう。だが、それは絶対にない。これは和奏の選んだ愚道だ。完膚なきまでに叩きのめされ、己の過ちに気づくべきである。


「厳しく育てるねぇ」


「わしの娘ではない」


「はは、そうか。――でも、あんたの顔、どこか嬉しそうだ」


 酷い勘違いだと大和は思った。真に心中穏やかではない。バカな娘が、バカな活動を始めた結果、大勢の人に迷惑をかけて、バカバカしい怪我をしているのだから。


「おいらにもわかるぜ。我が子が必死になって打ち込んでる姿を見るってのは、胸が熱くなるもんだ。うちのガキもな、ただの喧嘩バカだったんだが、最近になって真面目に仕事を始めてな。いやあ、子供の成長を見るってなぁいいもんだねぇ」


「出演者の身内か?」


「まあ、そんなところだよ。おいらが行くって言うと嫌がるだろうから内緒でな」


「お子さんの活躍はどうだった?」


「ははは、それがドタキャンしたみたいでな。きてねえんでやんの」


 なんだそれはと秋野大和は思った。


「羨ましいぜ。あんな立派なお嬢さんを持ってよ」


「……ただのバカだ」


「いいや、立派だよ。目を見りゃわかる。おいらの大好きな目だ。なにかを信じてる。絶対にあきらめないと覚悟してる。うちのガキと同じ目をしてんだな、これが」


 どこの馬の骨かわからないあんたの息子と一緒にするなと言いたかった。そもそも、ライブをドタキャンしたのではないのか。ロクデナシではないか。


「あの娘は……人生を舐めている」


 誰もが、自分の思う人生を歩みたいと思っているのだろう。だが、それを成しえるのは、一握りの選ばれた人間だけである。夢を抱いても、挫折するのが当然の社会。結果、誰もがやりたくもない企業の歯車となって人生を送り、その中で生きる意味を見出すのである。


 だが、和奏はそれら歯車と違って、使命を背負っている。


 道場の跡取りとして生まれた責務。己の望まぬ人生かもしれない。だが、他人から望まれている人生なのだ。伝統を守るということは大勢の期待の上に成り立っている。


 歯車となっている連中は、他人に望まれることはない、代わりの効く消耗品。彼女の置かれた立場はそういった大勢とは違う恵まれた環境。だからこそ身命を賭すべきであるのに、このような遊びにうつつを抜かしている。だから、秋野大和は苛立ちを感じている。


 きっとそうだ。決して、娘が――和奏がどこまでやれるのかを見たいわけではない。


「素直じゃないね。意地になってんのかな? それとも、自分の娘がどこまでやれるのかを見たいのかな?」


 もう一度、確認するように心の中で宣言する。


 ――娘が、どこまで意地を張れるのかを見たいわけではない。


 きっと。おそらく。たぶん――。

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