第36話 アイドル事務所は極道よりも大変

「ほな、殺ろ――かッ!」


 夜奈が踏み込んだ。十五歩あった間合いが十に詰まる。京史郎は再度トリガーを引いた。二回。これもあてるつもりはなかった。だが、それもやはり余裕綽々と斬られてしまう。


「殺すんが怖いんか! いつからそんな臆病になったんや! 見損なったで!」


「極道じゃねえから、務所入ってくれる替え玉がいないんだよ!」


 ――くそっ。和奏の奴が、代わりに入ってくれさえすれば! けど、あいつには完璧なアリバイがあるッ!


 刀の間合いに突入する。剣閃。京史郎は拳銃で防ぐが、一刀両断されてしまう。地面を蹴って距離を取る。


「鈍いで、京史郎! 身体、鈍っとるんちゃうか!」


「ちっ!」


 京史郎はポケットからお手製のボールを取り出し、全力で投げつける。ひとつめはひょいと避けられた。ふたつめは両断される。だが、その時、中から赤い粉が一気に舞い散る。


「な。なんや、これはッ! がっ、ゲホッ、はッ――」


「熊も卒倒する、お手製の目潰しだよ」


 ハバネロのパウダー。風に舞いやすいように乾燥させ、粒子化してある。吸い込めば器官をやられるし、目に入れば激痛でしばらく開けることはできないだろう。


「おかわりいるかぁッ?」


 夜奈の足元めがけて、叩きつけるように目潰しを投げつける。今度は火薬も混ぜてある。破裂したそれは派手に赤煙をまき散らし、夜奈を包み込んだ。


 ――奴の視界はゼロ。やるならここだ。精密な夜奈の剣術も、この状況では使えまい。


 京史郎は大きく一歩踏み込んだ。刀の間合いから拳の間合いへと突入する。いかに夜奈がバケモノとはいえ、肉体は所詮女子大生レベル。顔面に強烈なのをお見舞いすれば、それで仕舞いだ。そう、京史郎は思ったのだが――。


 バギィンッ! 夜奈の一閃が、京史郎の左肩から右横腹にかけて迸る。身体が、沸騰しそうなほど熱くなった。


 ――斬られたという感触があった。


「ぐ……あッ……!」


「ちぃ! この音ッ、鎖帷子くさりかたびらかッ!」


 夜奈との戦いは避ける予定だったが、どこで鉢合わせるかはわからない。ゆえに、京史郎は服の中に鎖帷子を仕込んでいた。ハバネロ球も同じ理由だ。


 彼女は、ジェイソンと同じである。遭遇即ち死。ならばと、万全の体制を整えていた――ハズだったのだが――。


 夜奈の剣術は鋼鉄の鎖すらも切り裂き、京史郎の肉体にまで刃を届かせる。


「浅いッ? けど、これで仕舞いや、京史郎ォッ!」


 彼女は両の眼を開いていた。兎のような紅い瞳になりながらも、彼女のベクトルは完全に京史郎抹殺へと向けられていた。


 柄乃夜奈は、正確無比な突きを繰り出す。京史郎の眉間めがけて。


「本当にッ――殺す気かよッ!」


 もう、極道からは足を洗った。もう、命の張り合いなんてないものだと思っていた。普通の経営者として、真っ当な商売をやるつもりだった。


 京史郎の人生は金から始まった。金が欲しいから、強くなった。金が欲しいから、極道になった。極道をやるには、他人の力が必要だった。他人の力を借りるには、信頼が必要だった。信頼を得るためには、義理人情を大切にする必要があった。義理人情を貫くためには、命を懸ける必要があった。金が欲しいだけの人生だったのに。


 ――それを手に入れるために、必要な物がどんどん増えやがる! 守らなければならない人やプライドが、不必要なほど増えやがるッ!


「嗚呼ぁあああぁぁぁぁぁぁあぁぁらぁッ!」


 京史郎は動いた。というよりも身体が勝手に動いていた。


 夜奈の一撃と同時だろうか。京史郎の脳と身体に染みついた生への執着心が、彼を無意識に動かしたのだろう。気がつけば行動は終わっていた。


 神速で突き出される白刃の閃光。それを、京史郎は両の掌で受け止めていた。


「し……白刃取りやと……」


 夜奈の真っ赤な瞳が丸くなっていた。


「はあ、はあ……案外……見えるもんだな」


 嘘だ。見えてなどいなかった。身体が勝手に動いた。運の要素も含めた、不確かな一動。


 夜奈は刀身を引き抜こうとする。だが、京史郎は離さない。最初で最後の勝機だ。死んでもこの刃を渡すつもりはなかった。しかし、京史郎の方も深刻だ。斬られた傷口から、じくじくと血が排出されていく。


「はあ、はあ……おるぁッ!」


「ごはッ!」


 夜奈の腹部に蹴りを食らわせる。だが、それでも彼女は刀を放さない。そして、当然京史郎もだ。刀を離せば、敗北が決まるのだから。


「ケケッ、てめえの負けだ。ここからは地獄だぜ……」


 京史郎は、矢継ぎ早に蹴りを入れていく。だが、それでもお互い刀を離さない。


「う……ぐッ! このっ、ドチクショウがッ!」


 夜奈も蹴りで反撃する。だが、華奢な彼女の身体では、京史郎を怯ませることはできなかった。京史郎は、容赦なく靴底を叩き込む。普通の奴ならば、一撃で戦意を喪失するレベルの蹴りである。


「へっ……強がるなよ。このままじゃ死ぬぜ?」


「は……ぐ……や、やってみいや」


 すでに夜奈は満身創痍。どう足掻いても彼女に勝ち目はない。


「刀を放したら仕舞いや。けど、うちが握っとるうちは、負けや……ない、ぐばッ!」


 さらに一撃。下腹に蹴りを入れる。


「バカか。ライブハウスの一件なんざ、おまえらの組からしたら、気まぐれで始めたサイドビジネス――遊びみたいなモノじゃねえか。そんなのに命懸けやがって」


「おどれこそ、やッ! アイドルなんてガキの遊び。それに命かけとるなんて、滑稽やでッ!」


 ググッと、刀身を引き抜こうとする夜奈。だが、絶対にこの状況は覆らない。これが生命線である。死ぬまで離さない。


「もうやめろ。死ぬぞ、夜奈ッ!」


「殺す度胸もないやろうがッ!」


「けど、殺さなきゃ殺されるってんなら――!」


「やってみろや! 京ぉッ!」


 京史郎は全力で蹴ることにした。夜奈の顔面めがけて、ライフルの如きシャープな一撃。刀を放さなければ、確実に首の骨が折れるだろう。生を分かつ最後の一手だった。


「うおおおらぁぁッ!」


 バギャリと、靴底が夜奈の顔面を通過する。派手に仰け反った。お互いが理解する死の予感。だから、手を離してしまったのだろう。


 ――榊原京史郎は。


「くばッ! ……はぐッ……グッ」


 玉砂利の上を滑って、そのまま横たわる柄乃夜奈。彼女とて、意固地になれば死ぬとわかっていたはずだ。けど、それでも彼女は得物を離さなかった。


「く、くく……はは……」


 笑いながら、刀を杖代わりによろよろと立ち上がる夜奈。目は紅く、顔は血に彩られ、まるで夜叉のようであった。


「あ、甘いな……京しろ……これで、うちの勝ちや。もう、二度と刀を掴まれるような……真似は、せんで……」


 勝敗を分けたのは『殺しの覚悟』であった。どちらかが死ぬまで終わらない。殺らなきゃ殺られる。なのに、京史郎は殺さずに済めばいいと思ってしまった。いや、最後の一撃ならば、例え刀を放したとしても、立ち上がれないと踏んでいた。


「クソが……。ゾンビか、おまえは」


 白刃取りなど、奇跡に等しい。狙ってできるモノではない。死の淵に追いやられた人間の、走馬燈に近い感覚による偶然の産物に過ぎない。


「……企業の社長ってのは……大変なんだな。極道やってた時の方がマシだ」


 京史郎は構える。もはや策はない。あとは、この肉体だけが頼りである。


「は……ぐ……こ、殺したるで……京」


 ふらふらと、ふらふらと、刀をぶら下げながら、夜奈は玉砂利を踏みしめ、一歩。また一歩と、京史郎との間合いを詰める。


「こいよ。楽にしてやる、柄乃の姫夜叉」


「ああ。ああ。……くくっ。あの日と同じや……おまえと初めて会った……あ…………」


 言葉を連ねながら、進んだ。――だが、そこで夜奈はゆらりと倒れてしまう。静かな屋敷の庭園。玉砂利が彼女を優しく受け止めた。


「京……しろ……」


 わずかにも動かなくなる夜奈。ただ、それでも刀だけは離さなかった。安堵の溜息をひとつ。彼女を見下ろしながら、京史郎はただ一言を落とす。


「……あの日とは違えよ。俺ぁ堅気だからな」


 息を切らせながら、京史郎は夜奈の刀を掌から剥ぎ取る。そして、気を失った彼女の背中を踏みしめるように歩いた。


 悪辣な見物人と、己の間に刀を突き刺し、どっかりと地面に腰掛ける。縁側に座る柄乃達義を見上げるように、京史郎は告げた。


「残るは、あんただけだ」


 興奮しているのか、敬語すらも忘れている京史郎。柄乃達義は、仏頂面で口を開く。


「見事な喧嘩だった。よくもまあ親の前で、かわいい娘をボコボコにしてくれたもんだ」


「喧嘩? 冗談じゃねえ。こいつは殺しあいだ。どういう教育をすれば、こんな凶悪な女に育つんだよ。親の顔が見てえ」


 皮肉を聞いて、柄乃達義は、ほんのわずかに笑みを浮かべる。まったくといっていいほど余裕を崩さないところは、さすがといったところか。


「……城島の緑。俺を殺すのか? それとも人質にするか?」


「殺したところでなんの解決にもならねえよ」


「なんだ? 俺ぁてっきり、ライブハウスの件にかこつけて、城島の無念を晴らしにきたモノと思ったんだがな」


「あのジジイにそこまでする義理はねえ。俺はビジネスの話をしにきただけだ」


「くくっ、電話で済ますわけにはいかんのか?」


「親父に教わったんだよ。人に頼み事をするときは、実際に会えってな。もっとも、暴れろとまでは言われてねえが」


 京史郎は『覚悟』と『誠意』を見せつけるためにここへきた。ビジネスのためなら、ここまでできるという覚悟。中途半端な覚悟で仕事をしていないという誠意。恨んでいるわけではない。ただ、ひた走っているひとりの男であることを、命懸けで証明しに来たのである。


 生憎と、京史郎はビジネスマンでありながら、話術はない。不器用な人間だからこそ、こういう交渉の仕方しかできなかったのである。


 そして、そんな未熟な京史郎を理解できぬほど、柄乃達義の器も小さくないだろう。


「緑、望みはなんだ?」


「ライブハウスにいる組員を引き上げさせろ」


「他には?」


「あんたのシマで自由に仕事がしたい。暴れる気もねえし、迷惑をかける気もねえ。俺はただこの麻思馬市で芸能事務所を経営したいだけだ」


 京史郎は立ち上がると、刀を抜いて柄乃達義に差し出した。


「――お願いします――」


 京史郎は深々と頭を下げた。


「生殺与奪の権利を渡すか……。芸能事務所は、そんなに魅力のあるビジネスなのか?」


「はい」


 柄乃達義は刀を受け取って、血に染まったそれを眺める。


「なあ、緑。聞かせてくれ。……なんで夜奈を殺さなかった? 殺らなきゃ殺られるってのはわかってたろ」


「殺したら、俺は生きて屋敷を出られません。それに、俺は堅気です。死んでも殺しはしません」


 柄乃達義は、再び刀を地面に突き刺した。


「……なぜ、この町に固執する」


「親父に、退職金として、高道屋商店街のビルをいただいたんです」


「商店街の…………そうか、おまえがあのビルをもらったか」


 柄乃達義は、ほんのわずかに口の端を吊り上げる。あの場所は、彼にとっても思い出の場所らしい。親父から聞いたことがある。若い頃、何度も達義がカチコミにきたと。


「ま、こっちは夜奈がやられちまったんだ。……いいだろう。ライブハウスの件は手打ちだ」


「ありがとうございます」


 柄乃達義は、懐からスマホを取り出した。操作しながら、さらに質問を飛ばす。


「ライブやってる連中は、見込みがあるのか?」


「今頃、極道相手に殴り合ってると思います」


「そりゃ、見込みがあるな――っと、もしもし。俺だ。ああ、ライブハウスの件だが、手出し無用だ。そこに伊南村はいるか? 替わってくれ。………………あ? おい」


 スマホを降ろし、画面を見やる柄乃。


「……電話、切れちまったよ――」

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