風来坊にお人好し。
t-sino
第1話 例えば、そういういつも通り。
突然のことだった。
いつも通りの朝だ。まぁ、厳密にいうと少し違ったが。起きて母が用意してくれた朝ご飯をいつも通りに食べていつも通りに少し時間に余裕をもって自転車で学校に行く。教室についたら友達と話したり、体育で仲のいい子と組んで体操したり、そういうありふれた可もなく不可もない日常の一片。昨日と違うところがあるとするならば、それは彼女がいないことくらいなもので。
別に彼女は死んだというわけでも何でもない。ただ風来坊なだけだ。むしろ、ある日登校して彼女の机にきれいな花がおいてあったりしたら、こんな衝撃では済まされない自信がある。何せ彼女は並大抵のことでは死なないような女なのだから。というか、その花を見る前に気づくはずではあるが。ついでに言うと彼女がふらりとどこかに行くのは何ら珍しい話というわけでもない。
今回はただタイミングが悪かったからこんなにも衝撃を受けたというだけのことである。そもそも彼女の放浪癖はもはや仕方ないと思ってあきらめている。しかしながらものごとには許せるタイミングと許せないタイミングというものがあるわけで、今回は初めての後者のケースに当たるようだ。
「おうおう、お怒りだねぇ。」
私が朝受けた衝撃を昼になっても引きずっている様子を見てそう言ったのは、他クラスの友人であり小学校からの付き合いの香崎七緒。我が校の生徒会副会長である。
「当たり前でしょ。」
ついつい言葉数も減るというものだ。からりと晴れた青空に堂々と鎮座する太陽が目にまぶしい。私の気分とは相反するこの状況を鑑みて、世の中の小説に対する不信感が強まった。教科書なんかに出てくる小説の中では主人公の気分と主人公の周りの天気が対応している節があるが、現実ではそんなことはない。現に私がショックを受けても本日の空の青が翳りを帯びるようなことはない。
大体、なんで私が今日こんなにも許しがたい気持ちにさせられているのかというと、本日が定期試験の前日だからである。進級できるかどうかを決めるもののうちの一つである定期試験を欠席するつもりであるかのようにふらりと旅に出かけるのはどうなのだろうか。
「しかし、風花センパイは本当にマイペースだねぇ。」
「気楽でいいね、七緒は。お世話係代わって欲しいよ。」
「何言ってるのさ、時雨。ボクが風花センパイに苦手とされていることくらい知ってるでしょー。」
七緒にお世話係をさりげなく押し付けようとしてはみたもののあっさりと躱されてしまった。
定期試験の前日にふらりとどこかに遊びに行ってしまった私の頭痛の種は
先輩といえど彼女は私と同級生で、定期試験の心配をしてやらなければならないほど近しい存在ではない。本来は。
風花先輩は私たちの二つ年上の留年生で、天才だけど学校をさぼりがち。彼女と私の関係性は世話をする人とされてる人、という言葉に収め切れるほどの関係性なのかは分からない。もっとふさわしい言葉があるのかもしれないが。
出席日数が足りないなんて事情で彼女は昨年と一昨年の2年連続で留年になってしまいました。このままじゃいつまで経っても進級できなさそう。ということでだれかお世話係と一人儲けましょう、できれば風花先輩と同じクラスの子がいいよね、と月崎大学附属高校一年一組の45人の中から風花先輩を除いた44人でくじ引きを行ったところ、めでたく私がそのお世話係のくじに当たってしまってて半ば強制的な交流が始まっただけのことである。
悲しいかな、断ろうと思った矢先に謎に私は先輩に気に入られてしまったので、今もそのお世話係は続いている。世話係に就任することになったからには誠に不本意ではあるが風来坊の面倒をきちんとみて責任を持って進級させねばならない。
先生たちからは、彼女の欠点はその放浪癖くらいなもので、後は素行が悪いわけでもない、授業を受けているときも別に寝たりはしないし、テストを受けさえすれば大体満点近くの点数を取ることができる天才だ。だから、お前はあいつを学校に連れてくるだけでいいんだ。その代わりに昼ごはん代を一年間学校で持つから、とすごく熱心な半ば縋るような説得を受けた。
その説得内容などはどれくらい頭に残っているか怪しいものだが、唯一昼ごはん代が一年間浮くというワードだけをしっかりと耳に残し、その言葉を糧にしながらお世話係を三ヶ月くらい務めてきた。
初めは少し難航したが、最近先輩割と学校に来ていてくれて嬉しいなぁと思っていた矢先に、テストの前日なのに先輩は「いってきまーす」という手紙を残してどこかへ行ってしまった。彼女は大体一度旅に出ると四日は帰ってこない。テストに間に合わなかったらどうしようかと私が胃が痛いような気分にさせられながら学校に来て今に至る。
私が先輩のお世話係であることを知っているクラスメイトや担任の先生に慰めの目を向けられて更に疲れたような、少しホッとしたような気分で昼までを過ごし、昼休みがようやくやってきたので、世話係特権で無料になった昼食のパンを齧りつつ屋上で七緒と雑談をしている訳だ。昼食の焼きそばパンは購買で買ったもので、別にすごく好きだというわけではないけれど、風花先輩がそれを好きだというだけのことが何となく私にそれを選ばせた。黙々とパンを齧る私と栄養補助食品というのかショートブレッドのようなものをゆっくりと咀嚼する七緒。彼女はいつ見ても大抵それしか食べていない。理由は聞かない。それにどんな理由があろうと私達の関係性はそう簡単には変わらない。それくらいの自信が持てる程度には彼女との関係は深い、筈だ。
「でさ、その時の谷せんせーの顔がねぇすごく面白かったんだよー。」
「谷先生ってそんな人だっけ。」
何気ない会話をポツポツと交わしていくことに、大した苦労は要しない。彼女との時間は沈黙でさえも落ち着くものだと安心した。
私が焼きそばパンの最後の一口を食べ切ったのを見て、屋上の床にコンビニのビニール袋を敷いて座っていた七緒はビニール袋を地面に面していた部分が内側になるようにして畳みポケットに突っ込んだ。ショートブレッドらしきもののゴミを手に持って、
「じゃあ、行こうか。」
その言葉が、所作が、
今日一番の安心する「いつも通り」だと感じた。
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