第6話 仲間
アンドルと出会ったのは、スラムに住み着いて一月が経った頃。
その頃はまだベティとも知り合っていなかったから、とにかくその日を乗り切ることに必死でした。それはもう、必死でした。
――スラムにはたくさんの路地がある。だいたいは細く、大人は一人通るのがやっと。街灯も無いから、日が落ちると辺りは真っ暗だ。
中心街の華やかな建物も、裏側はスラムに面していたりする。そんな建物の脇にある細い路地は、絶好の狩場だ。狙いは酔っ払い。彼らはこういう路地で不用心に用を足したり嘔吐したりする。狩人たちはそんな光景を上から見下ろしている。両側の建物に突っ張り棒のように足を掛けたり、どこからか拝借した鉄の棒にぶら下がったり。そして哀れな獲物の背後に音もなく飛び降り、金品を奪い去る。
失敗すればその場で半殺し、良くて警吏に突き出され、成功しても銀貨数枚取れればいい方。割には合わないが、食っていくにはやるしかない。スラムで見た死人の半分はこういった「仕事」のミスが原因で、残りは餓死と病死。
マティスという少年はこの手口がとても上手い。一晩で金貨1枚分を稼いだこともあると自慢していた。一度実演して見せてもらったが、いつ掏り取ったのか全く分からない。コツは「取りやすい客から取る」ことだと言っていた。どこでそれを判断しているのかは教えてくれなかった。余談だが彼はその後、アーロン一家の幹部に手を出して恐ろしい目に遭うことになる。
ある夜、マティスの売上記録を更新する者が現れた。それがアンドル。なんと一晩で金貨3枚。「方法は秘密だ、金貨1枚で教えてやる」とか言っていたが、すぐに知れ渡った。というか、隠すまでもない。暗がりに連れ込み、暴行し、身ぐるみ剥ぐ。非常にシンプルな強盗だった。
誰もが「すぐにばれて警吏に連れていかれる」と思っていたが、意外なことにアンドルはなかなか捕縛されない。実は被害届すら出ていなかった。不謹慎だが、この時ボクはアンドルに感心した。杜撰な計画のようでありながら、彼は獲物を念入りに選んでいたのだ。「被害に遭っても隠そうとする者」、つまりは社会的地位があり、妻子がいて、娼館から出てきた男。一晩中、街行く人々を執念深く観察し、「獲物」を見つけたら躊躇なく襲う。ちょうどいい獲物が現れなければその日は潔く諦める。アーロン一家に目を付けられそうなやり口だが、どういうことか彼らは黙認していた。根回しも上手いらしい。
その後、彼に誘われ何度か「仕事」を手伝った。ボクの容姿はスラムの脱法娼婦に見えなくもない。多少の違和感があっても暗がりなら問題ない。ボクが路地に客を引き込み、行為に至ろうとしたところでアンドルが背後から襲う。紛うことなき
****
「はい、それではお気をつけていってらっしゃいませ」
『朝から元気だねぇ、みんな』
早朝のギルドカウンター。今日から早番のカウンター業務も手伝うことになりました。かなーり緊張してます。なぜなら、この時間帯に依頼を受けるのはいわゆるガチ勢。目つきも雰囲気も遅番のゆるふわ感とは一線を画す人たち。野心たっぷりの専業冒険者がひしめき合っています。……本格的にカウンター任せるのは経験積んでからだって聞いてたのに、ニコさんの嘘つき!
「いらっしゃいませ。おはようございます」
「お、新人ちゃんじゃねーか、どうだ、少しは慣れたか?」
「バルテリさん!おはようございます。お陰様で、多少は仕事も覚えました」
『おー、相変わらずでかいなぁ』
「そりゃ何よりだ。ニコの野郎に文句があったら俺に言いな!3倍にして言っといてやるぜ、ガハハ」
「ありがとうございます。頼りにしてますね!」
「おう、じゃ依頼受付頼む」
「承ります」
まだ日の出直後の時間なのに、ギルド内はガチ勢冒険者で溢れています。遅番の時は酔った冒険者なんかも少なからずいましたが、この時間帯には皆無。あ、ファラフ教官もいた。こっちに気づいて手を振ってくれる。来週から試験でルクシアですね。寂しくなります。
『ユーキ、完全に惚れてない?』
おっと、よそ見している場合じゃない。
「じゃ、行ってくるぜ」
「お気をつけて。また夕方お待ちしてます」
『わたしはバルテリさんの方がいいなぁ』
バルテリさんはDランクの放置依頼を3つまとめて引き受けてくれました。有難い。難度のわりに報酬が低い依頼はなかなか消化されず、工期だけが伸びてしまう。そうなると更に報酬が出しにくくなる悪循環。バルテリさんやファラフ教官は定期的にこういう放置依頼をこなしてくれます。
「おやおや、ユーキじゃねえか」
「おはようございます、アンドル」
『うげぇ、生きてたのかこいつ。失敗しろ失敗しろ』
正直、朝から会いたい人間ではないなぁ。まあ、仕事は仕事。
「昨日帰還したばかりのようですが、もう依頼受付ですか?」
「ああ。さっさと2級に上がりたいんでな。これとこれ」
「Dランクの
『どうせ崩壊したんでしょ』
これはさすがに止めないとまずい。この人は何を焦っているのでしょう。18歳で鋼鉄級なら十二分の昇級速度です。年齢規定で20歳までは銀級受験資格も得られないのだし。
「あいつらはクビだ。調査だけなら一人でも問題ない」
「問題あります。Cランク依頼は基本的に専従です。他の依頼と並行はできません」
「ちっ。あの女は並行でやってただろう」
「ギルドが許可すれば可能です」
「じゃあ許可しろ」
「できません」
「何でだ」
「今のアンドルでは実力が不足していると判断します」
『よく言った!』
さあ、どう出るでしょう。ここで挑発に乗ってくれれば簡単なのですが。
「……その手にゃ乗らねえよ。ふん、仕方無い。Cランクの一本だけで我慢してやる」
「ご理解いただきありがとうございます。では手続きを」
「なあ、ずいぶん慣れた様子じゃねーか」
「そりゃ、毎日やってますからね」
「ふうん」
『失敗しろ失敗しろ』
一筋縄ではいかないか。嫌な人ですが、リゼ支店は万年人手不足。彼にも期待しないわけにはいきません。それに、こうして成長がみられるのは良いことなのでしょう。出会った頃の彼ならボクの挑発に乗って暴れ、懲罰対象になっていたはず。
****
こう見えて、アンドルも一応は教育所の出身。通ったのは半年程度ですが、その半年の間に見違えるように成長しました。教育所に通う前のアンドルなら、冒険者になった初日に死んでたんじゃないかな。今でも嫌な奴なのは間違いないですが、一応最低限の道理は弁えている……と思います。
――ルーゼンヒル侯爵が教育所を設立したのは4年前の春。まずは領府のあるルクシアに、誰でも入学可能な無料の教育施設として設置された。しかしいざ授業を開始してみると、受講者は暇を持て余した隠居老人や居場所のない失業者ばかり。授業中も良くて居眠り、酷いのものは講師への説教。本来の目的であった子供の教育など到底望めない結果となった。
そもそも、子供の教育に興味を持つ親は貴族や商人といった富裕層。彼らは家庭教師を着けるとか
そこで翌年からは受講生を未成年に限定し、さらに1日1食の食事を提供することとした。この食事はなんと侯爵自身の持ち出し資金であるという。この方針にはまず孤児院が喜んだ。寄付金だけで運営している私設孤児院は常に資金不足との闘いである。食費が浮くとなれば喜んで賛同する。孤児院の子供たちが教育所に通い出すと、それまで情報を得る機会の無かった浮浪児たちが教育所の存在に気づいた。浮浪児までが通い出すと、貧困層にも「通わせないのは悪」という雰囲気が広まる。さらには日に1食であっても「まともな食事」を採った子供たちは目に見えて血色が良くなり、力仕事の能率も上がった。こうして半信半疑だった親たちも、徐々に教育所を認めていくこととなる。
リゼの町に教育所ができたのはさらにその翌年、今から2年前のこと。目聡いマティスが真っ先に通い始め、話を聞いたアンドルとカミラが続いた。ユーキも通いたかったが、あの教会の関係者に見つかることが怖かった。その頃既に主犯格の司教たちは破門され、人身売買や強姦、違法売春斡旋など数々の罪で死罪となっていた。とは言え恨みを持った関係者がいないとも限らない。結局、ユーキが教育所に通い始めたのはそれから半年以上が過ぎてからとなった。
スラムの子供たちは教育所でも手に負えない問題児だった。アンドルとカミラは講師を標的とした美人局で荒稼ぎ。マティスは視察に来る賓客たちの懐から荒稼ぎ。そうやって散々荒らしまわっておきながら、3人とも半年ほどで、ちょうどユーキと入れ違いになる形で退所した。
親のいない彼らはそもそも自分の年齢を知らない。たぶん14、5歳くらいだろうという感覚で話題の教育所に通ってみたが、そこで見た「普通の14、5歳」があまりにも幼く映り、自分たちは場違いだと感じてしまった。悪ぶってみてもまるで歯応えが無い。それでも、授業や受講生、講師たちとの関りを通じて自分たちが井の中の蛙であったことは理解できた。
そうであるならば、井戸の外に出るしかない。半年ほどはその準備に費やした。井戸の外に出ようと思えば、教育所の授業はこの上なく有用であった。そして退所したその足で役所の成人手続きを行った後、マティスはルクシアへと向かい、アンドルは冒険者ギルドの、カミラは娼館の扉を叩く。
今度は16歳の新成人として。
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