親の心子知らず【神経衰弱/バッテリー/ミルク】

私の娘はもう7つになるのに、ミルクしか飲んだことがない。

身体の大きさは3歳児と変わらない。

ミルクだけでは栄養不足なのだ。

本来の7つの子供が知っていることも何ひとつ知らない。

この真っ白な部屋の中で出来ることはたった一つ、丸や三角、四角といった図形を使った神経衰弱。

頭にたくさんの電極をつけながら行われるそれは、彼女を救うために行われているのだと医師は言うが、無表情でカードを指差す娘の姿は痛々しい。


特異的超高機能型記憶障害。

娘には"忘れる"機能が欠如している。

見聞きした、触れた、嗅いだ、食べた、感じた、考えた全てが、娘の中で失われず蓄積していく。

蓄積した記憶で意識が埋まった時、娘の意識はフリーズして戻ってこないだろうと言われている。


対策は、新しい情報を極力入れないこと。

食事は私からの母乳だけ。

コミュニケーションを取るのは母乳をあげる私だけ。

この部屋から出てはいけない。会話をしてはいけない。授乳のため以外は触れ合ってはいけない。

許されるのは、記憶のメカニズムを調査するための神経衰弱だけ。


そもそも、記憶の仕組みが解明出来なかったのは、調査したい記憶そのものが、完全な状態で残っていることが無いからだ。

しかし、記憶を完全な形で保存できる人間がいれば、記憶の仕組みを解明できる。

ひいては、娘が記憶を忘れられるようにできる。


本当なのだろうか、とカードを裏返しながら思う。

本当にこれは娘のためなのか?

都合の良いモルモットにされているだけなのでは?

そもそも、こんなところに閉じ込めていることは娘にとって幸せなのか・・・?

ずっと、この7年間考えていた。


授乳が終わり、ドアが開く隙を狙って、娘を抱えて私は走った。

娘にとってこんな衝撃は初めてだ。きょとんとした顔でこちらを見返してくる。

大丈夫。きっと大丈夫。

もしあなたの意識がどこかへ行って戻らなかったとしても、私がずっと横にいる。

だから、この世界から反射する光や、風が運ぶ海の匂いや、動物達が囁き合う音や、何より私という人間が発する温度を、感じ取って欲しいから。


娘が私の腕の中でくるり、と頭を持ち上げる。

そして私は初めて目にしたのだ。

あなたの瞳が輝いて、この世界を受け止めた瞬間を!



※※※



「あの映画、記憶消してもっかい見たくない?」

「やる。今日うちパパもママもいないからカモン」

ユキとあたしは同じ穴のムジナでいつも一緒。

あたしたちは、めちゃくちゃ記憶力が良過ぎるって病気らしい。

今はお互いハタチだけど、高校1年生をやり直してる。

でもまぁ、あたしが協力したおかげで研究が進んだらしく、今じゃ普通に生活できる。

ユキにも感謝して欲しいものだ。


2人とも頭の中にちっちゃい機械が入ってて、あたしたちが見たり聞いたりしたことは、脳みそより先にそっちに送られる。

で、必要っぽいことだけ脳みそに戻して、残りはネット上のクラウドにぶっこまれる感じ。

これがめっちゃ便利で、一旦脳みそに入った記憶も、アプリで弄れば消せる。消せるっていうかクラウドに追い出せる。

それで、前に見たミステリーの映画を、新鮮な気持ちで見れるってワケ。


唯一難点があるとすれば・・・、

「えっ、お姉ちゃん、誰・・・?」

バッテリーがキレると、緊急避難で、機械を付けてからの記憶が全部切られちゃうこと。

今はユキの機械がバッテリー切れだ。


あたしの予備バッテリーをユキの頭に乗せて充電してやる。

そういえば、あたしもバッテリーが切れるたびに少しだけ思い出す。

真っ白い部屋と、そこから飛び出るママ。腕の隙間から見えた光やママの体温。

あれってなんだったのって聞いてもママは教えてくれない。

まぁ、ちっちゃい頃に遊びに行ったとか、そういうことだと思う。

変なとこで遊んでたもんだ。

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