≪第八章―役立たず、隣の村に着く―≫

 あの日から、また幾らかの日が経った。

 魔力(俺の)で動くこの馬車には乗っている俺達の休憩さえあればいい。

 結果途中の村や町を大幅にすっ飛ばし、ついに俺達はアリサの元々の目的地であるテナー村に到着した。a

 しかしまぁ――。


「わかってはいたけどここには本当に何もないな」

「ニアナ村から出てきてるあんたに言われたらおしまいね」

「いやでもこれだぜ?家は一軒だし、もう柵だってボロボロだ。まず生活感が見える時点でニアナの方がずっとマシだ」


 そもそもあの家だって十年前からあれ一軒のままだ。畑もなければ水場もない。なんなら人が住んでいる気配もない

 これを村だと言い張るのはもう勇気がいるとかそういうレベルではない。

 水の入ったボトルを持ってきて、「同じ液体だからこれはワインだ」とか言い出すのと同じ次元である。

 正直、この村が村と名乗っていることはもちろん、存続していること自体も不思議で仕方がない。


「師匠。こいつは……」

「まぁ、良い機会じゃろう」


 そう言って、ソフィアさんが俺の目をじっと見つめながらゆっくり近づいてきた。

 もう鼻息が掛かる距離。

 相手がうん百歳だとかそう言うことは関係ない。こんな距離にこんな綺麗な女性の顔があったらそれだけで男はもうどうにかなってしまうはずだ。


「ソ、ソフィアさんっ?」


 あまりの緊張からばっちり声が裏返った。

ついでに、視界の端にこれ以上ないくらいの満面の笑みを浮かべるアリサが映った。多分この一連のことが終わったら良くて半殺しだろう。この状況からでも発動しておける水系統の魔法とかあればいいのに。

 そんな俺の悲壮な覚悟をよそに、間近に迫ったソフィアさんが口を開いた。


「スバルよ。目に魔力を集めるのじゃ」

「目に、ですか?」

「あぁ、目じゃ。ただしそれだけでは意味がないからの。イメージは――」

「――どんなものにもピントが合って、なんでも見えるメガネのレンズよ」


 ソフィアさんのセリフを遮るように、アリサがニコニコしながらそう言った。


「そ、そうか、アリサ。ありがとう」


 アリサが怖くて仕方ない。今俺はアダムと向かい合った時にすら匹敵する恐怖を抱いている。俺より年下のこんな笑顔が可愛い女の子に対して、だ。

 背中から嫌な汗が吹き出し続けている。


「えぇ、そうよ、スバル。だから今すぐ目に魔力を集めなさい。そしてあたしを良ーく見て欲しいわ。そうね、それが良いわ」


 よくわからないが多分言う通りにしないと殺される。

 震える体で、必死に目へ魔力を集めていく。

 ただ目の前のアリサが怖すぎてそもそも魔力を維持できない。


「そうじゃな。一応言っておくと、これが出来るようになれば個人差はあるが魔力を感じ取ることもできるようになるのじゃ。魔法使い同士の戦いがそれだけで決まる、とは決して言えんがそれが大きいというのも事実。少なくとも使いこなせて損はあるまい」


 と、今必要なのかどうかよくわからない情報を与えてくれる伝説の魔女様。

 そんなことより今この場を生きて脱する方法を教えて欲しい。


「ふむ、そう言えばあともう一つ伝えねばならんことがあったの」


 徐々に『なんでも見えるメガネのレンズ』とやらのイメージが固まってきた。


「それは魔力の大きさについてじゃ」


 今まで見えていなかったものが俺の目に映し出されていく。


「魔力の大きさはその術者の魔力量も重要じゃがそれだけでは決まらぬ」


 俺の目に映るのは、そう、アリサの魔力。


「魔力の大きさは魔力量に感情が比例して強くなるのじゃ。覚えておくように」


 あぁ、ソフィアさんごめんなさい。生きる伝説たるあなたにこんなことを思うのは大変おこがましいのですが一度だけ無礼をお許しください。

 んなことはもう言われなくても分かってるからさっさとこの目の前のを何とかしてくれ。確実に殺される。


「ハッ、ハハハハ……」


 人間、知らない方が幸せでいられる事もある。

それは生きていれば少なからず存在するだろう。


「さぁ、スバル。何が見えたかあたしに教えてくれないかしら。あたし魔法に弱くって」


 あぁ、アリサ。お前はすごい魔法使いだ。

 恐ろしい出来栄えの術式を馬車に彫ることができる。自分の実力を客観的に捉えることができる。人を想って涙を流すことができる。

それに何より、こんな俺にも力があることを教えてくれた。守れるものがあると教えてくれた。

 間違いなくソフィア・モルガンの弟子だよお前は。

 だから頼むアリサ。せめて理由を教えて欲しいんだ。


「な、なぁアリサ。少し落ち着いて話さないか?そうだな、まずは、そう、昨日の夕飯のこととか。それか、えーと……!」

「嫌よ」


 そんなに魔力が大きくなるくらい君は何を怒っているのかだけでいいから。


「地獄で呪われろォォォッ!」


 火が、水が、風が、雷が、土が。五つの系統全ての魔法が俺の視界を埋め尽くした。

俺、生きてたら予め発動しておける水魔法を開発するんだ。

 でも、流石ソフィア・モルガンの弟子だ。五系統を全て同時に発動するなんてとてもじゃないが考えられない。

 薄れ行く意識の中、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。




「――うぅん、んん。あれ、ここは」


 ここはどこだ。

 多分ベッドの上。知らない天井が見える。辺りを見ると恐らく何かの小屋だと思う。

 よく考えるとつい最近にもこんなことがあった。最近こいつよくベッドの上で目が覚めてんな。

さて、なにがあった、思い出せ。俺は確かさっきまでテナー村の入り口辺りにいたはずだ。そこでそう、とんでもない怒りで異常に膨れ上がった魔力でアリサから――。


「あぁ、やっと起きたのね。スバル」

「うわあぁぁぁ!でたぁ!」


そう、この女から恐ろしい魔法を食らって俺は――! 


「なっ!?失礼な!人を化け物みたいに言わないでよ!こ、これでも一応ちょっとは悪いと思って包帯とか……!」

「え?包帯?」


 よく見ると、体中に酷く不格好な包帯がぐるぐると巻かれていた。

 なんだか動き辛いと思っていたけど確かにこれなら仕方あるまい


「これ、アリサが?」

「あ、あんたがあたしなんかの魔法で気なんて失うから!あんたのバカみたいな魔力も今回ばっかりは目に集まってたから意味なくて……。こ、こういう時にこそその無駄な魔力を活かしなさいよ!この役立たず!」

「お前こんな時にも――」


 憎まれ口か。なんて言おうと思ったのにこれじゃそんなこと口が裂けても言えないじゃないか。

 そっぽを向いてはいるが肩が震えている。声だってそうだ。誰がどう聞いたって無理しているのが分かる。

 なんだかなぁ。

これでこれ以上アリサに何か言ったらそれこそ男として失格だ。


「お前でも下手なことがあるんだな」

「へ、下手なことって何よ!あたしの何が下手だって――!」

「包帯だよ。巻いてくれたんだろ?」


 と、努めて軽い調子で言ったつもりだ。ただし、恥ずかしいから今度は俺が目を逸らす。何だかんだと言ったってアリサは絶世の美少女だ。面と向かって話すのはいつだって緊張する。

 それに別に死んだわけじゃないし、体だってもうどこか痛いわけじゃない。傷だって恐らくほとんど無かったはず。だから良い。


「へ、下手で悪かったわね!私だって苦手なことの一つや二つくらい……!」

「分かってるよ、気にしてない。それに傷だってそもそもそんなに酷くないだろ?」

「あ、いや、そ、それは、その、そうなんだけどそうじゃなくて」

「ん?」


 随分歯切れの悪い返事だ。アリサの目も泳ぎまくっている。

 まさか実は俺すごい大ケガだったり?


「さっきそやつが言っておった通りじゃ。今回お主が魔力を目に集めておったせいで魔力が意味をなさなかったと」


 そう言ってソフィアさんが部屋に入ってきた。

 今日はいつもと違う色の三角帽子を被っている。


「え、それってつまり?」

「全身火傷とみみずばれ、おまけにうち傷打撲あらゆる外傷のオンパレードじゃ」

「っ!?」


 一瞬で血の気が引いた。

 自分の体を確かめる。どこにもおかしなところはない。はず、だけど。


「アリサはあそこがテナーの前で助かったの。治療も行き届いておるし、何より腕のいい魔法使いがそろっておる」

「ど、どういうことですか?テナーの前で助かったって。テナーは十年前からさびれた小屋一つの村で村となんて機能していないはずで――!」


 ちょっと待て。変だ。『十年前からさびれた小屋一つの村で村となんて機能していない』?そんなこと普通に考えてあり得ない。と言うかそもそも何で俺はテナーを村だと思っているのだろう。おかしいに決まっている。


「何かに気が付いたようじゃな」


 幸い、今は体に痛みはもちろん傷一つない。さっきの俺が受けた傷の話からすると違和感しかないが本当だ。


「ちょっとスバル、あんたいきなり動いたら!」


 思いっきりドアを開いた。

 ドアの向こうには、俺の知っているテナー村はなかった。


「さぁ、今のお主なら見えるはずじゃ。ようこそ、ここが魔法使いの集う村、本当のテナー村じゃ」


 そこら中に魔法が飛び交い、皆もれなく三角帽子を被って空を飛んでいる。

 まずは自分の目を疑った。次に頭、そして耳。

 とにかく自分の見ているもの、聞いているもの、感じているもの、その全てが信じられなかった。


「驚いたかの?普段はお主ほどではないにせよ、魔法使い数十人がかりで作り出す大型の魔法を使って辺りからは見えないように水系統の応用――蜃気楼を用いて擬態をかけておるのじゃ」


 一瞬納得しかけたが、にしたってあれは廃れさせすぎである。小屋一つに畑もなければ水場もない。

 そんな俺をよそに、ソフィアさんが俺に悪戯っぽく笑いかけてこんなことを言った。


「どうじゃ?お主が普段意識外でやってのけている魔法がどれほどのものかわかってきたかの?それもそのまま魔力を100%の効率で他人に、かつ一斉に譲渡できる魔法など聞いたことがない。それもただそれをするだけなら術式すら必要なく、あんな安っぽいランプに彫られたような術式一つで量と範囲まで調節できるのじゃからワシらの研究をバカにしておるのかと言いたくなる」


 テナー村はそこまで広い村ではない。多く見積もっても王都に比べれば十分の一程度の広さ。

 その村一つ覆う魔法を維持するために『魔法使い数十人がかり』。

 今まで何となくすごい力なんだろう位にしか考えていなかった。だけど多分これは程度のモノじゃない。俺が思っているより遥かにとんでもない魔法。


「加えてそこに闇系統の認識誤認を加えて、この村は村としてずっとここにあり続けているというわけじゃ」


 何と言うか驚きだ。隣の村、今にも倒れそうな小屋しかない村にそんな秘密があったなんて。

 と言うかさらっと流れたけど認識誤認って何だろう。いや確かに疑問に思ったことがないではないけど今考えるとそれがむしろおかしいんだ。どう考えたって外から見た時のあれは村と呼べる代物じゃない。

 つまり闇系統とかいう魔法が使えるようになれば、そう言うことができてしまうという事になる。

 転移魔法といい光と闇の魔法怖すぎるでしょ。


「ちなみにどうしてそんなことを?」

「テナーはずっと昔からここにあっての。そのせいで何世代も前から数多の魔法使いたちが積み上げてきた知識と経験が本や魔法、そして実際の術式の写しとして蓄えられておる。それらの中には、悪意ある者の手に渡ればそれこそ国一つ揺るがすようなものも少なくない。故にこの村は選ばれた魔法使いしか入ってこられないよう、こうして村自体を隠しておるのじゃ」


 そう言った後に「まぁお主のような規格外の者が悪意を持ってここに近づけばどうしようもないがの」とソフィアさんは苦笑いを浮かべた。

 認識誤認が会話の中に普通に出てくるレベルのソフィアさんをもってして『国一つ揺るがす』と言わせしめる魔法。悪意どうこうじゃなく、そもそもどんな魔法かさえ想像したくない。


「ちなみに俺今回はどれくらい寝ていたんですか?」


 ここに着いたのが大体朝方だった。日は今ちょうど真上にある。前みたいに何日も寝ていたわけじゃないならそれほど長い時間は経っていないはず。


「安心せい。思っている通りほんの数時間じゃ。言うたじゃろ?ここには良い魔法使いがそろっておると」


 まぁそれは間違いないだろう。

王都と比べてなんら遜色ない街並みや街灯と勝手に動く掃除用具。所々で転移魔法が用いられ人が消えたり現れたり。人はもちろんあらゆる手紙や郵便物が空を舞う。

 魔法使いが多い、そんなことは嫌でもわかる。ここまで村全体が魔法で動いているのを見れば。


「ケガは酷かった。しかし、幸いお主は魔力が多いおかげで自己治癒力も高いし、ワシが声を掛けたせいで集まってくれた魔法使いたちも皆一級品の回復魔法使いじゃ。ワシと一緒にいた事に感謝するのじゃな」

「アハハハハハ……」


 満面の笑みでそう言ったソフィアさんに俺は苦笑いしかできなかった。

確かにソフィアさんの言ったことも尤もだが問題はそこではない。

喉元まで出かかった言葉――「俺はそもそもあなたのお弟子様に殺されかけたんですよ」、と言いたい気持ちを必死にこらえた。

 しかしこれで合点がいった。王都で暮らしながらソフィアさんの下で修業していたアリサがわざわざこんな辺境の村まで一人旅をさせられた理由。あの薬はきっと研究か何かに利用されるのだろう。


「師匠も人が悪いのよね。自分で魔法使えば一瞬で終わることを修行って名目であたしにやらせるんだから」


 と、今回のことの発端であるアリサがそう言った。


「と言うかアリサ。何事もなかったみたいな顔してるところ悪いんだけどさ。こうして何事もなかったから良いけど俺そもそもお前に殺されかけてたんだよな?」

「なっ!?そ、それはそう、だけど……。い、今はこうして何もなかったんだから……!別に。あぅぅぅっ!」


 半泣きで何かを訴えるアリサはこう絶妙に嗜虐心をくすぐってくる。正直今の様子やさっき起きた時の様子を鑑みるに多分本当に悪気はなかったのだと思う。

まぁ悪気なく他人にあんなバカみたいな魔法をいきなりぶっ放すのもそれはそれでどうかと思うけどそれもタイミングの問題だ。

 とは言えこのまま許すのも面白くない。


「全身火傷」

「ひうっ」

「みみずばれ」

「ひゃうっ」

「うち傷打撲」

「きゃうんっ」

「さて他には」

「うぅぅぅ、わかった!わかったわよ!あたしが悪かったわ!誤ればいいんでしょ!誤れば!」

「『誤ればいいんでしょ?』」

「あ、あんたって、ほんとに……!あ――」

「あ?」

「謝らせて下さいぃ!」


 あぁ、もう正直謝る謝らないなんてどうでもいいや。アリサみたいな子が涙目で俺に何かを懇願している。それだけで――。


「コホン。のぉスバルよ。別にお主の趣味にどうこう口を出すつもりはないんじゃが、ワシの可愛い弟子を巻き込むのは頂けんの」


 と、めちゃくちゃいい笑顔でソフィアさんが言った。

 さっきのアリサもさることながら、流石伝説の魔女は格が違う。

 目に魔力を集めなくてもオーラ的なのが出ている。名付けるならそう、殺意。


「あっ、はい」

「し、ししょぉー」


 そんな時、小屋に突然転移してくる影があった。


「お取込み中失礼。ソフィー、済まんが急用だ」

「なんじゃいきなり。お前がそう焦るほどのことか。エルダ」

「あぁ、王都からな長旅をしてきたお前には悪いがすぐにとんぼ返りだ」


 エルダと呼ばれた女性がソフィアさんにそう告げる。『ソフィー』なんてあだ名でソフィアさんを呼んでいるところを見ると随分親しい仲なのだろうか。

 その人はいかにもできる女、という感じのメガネをかけた女性。それに似合わず黒い肩までのセミロングを外巻にはねさせた可愛らしい印象。


「おっと、紹介が遅れたね。私はエルダ、エルダ・ルチアーナだ。ソフィーとは幼馴染の間柄になるかな」


 と言うことはこの方も恐らくうん百歳と言うことになる。


「話がそれた。とにかくソフィー、王都で緊急事態だ。魔物の大群が絶賛王都に進軍中だ。悪いが君たちの手も借りたい。付き合ってくれるね」


 『大群』という単語に思わず嫌な予感がよぎった。

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