≪第六章―役立たず、戦う―≫(前編)
「あれはただのオークではない!先代魔王がこことは違う世界の神話から『初めて知性を持った者』の意として名を借りて生み出した、知性を持ったオーク『アダム』じゃ!逃げろ!奴は私でもどうしようもない!」
ソフィアさんがそう叫んだと同時に、『アダム』と呼ばれたオークがこちらに駆けた。信じられない速度で。
「マオウハドコダァァァ!」
「ちッ!」
アダムの剣がソフィアさんに触れる直前、多数の術式が展開――防壁が彼女を包んだ。
すんでのところで防がれた剣は、それでもなお彼女に迫る。
「どうして、どうして貴様が!」
「ルアァッ!」
一閃。アダムはソフィアさんの防壁ごと振りぬいた。
彼女の右腕から鮮血が舞う。
「し、師匠!」
「騒ぐでない、奴に狙われて片腕で済んだなら安いものじゃ。それにこの程度なら十分まだまだ戦える」
そう言った彼女の血が突如その動きを変える。自然に流れ落ちるのではなく、不自然に切れた腕の表面を伝って本来通るべき血管に向かう。
あれも、魔法……?
「スバルよ、覚えておくのじゃ。これが水系統の神髄よ。水の動きを強くイメージすれば、この程度の傷など止血の必要すらない。ワシ程度でもこれができる。お主ならもっと多くのことができよう」
自らの行為の結果になど何一つ興味はないかのような立ち姿。
彼女の腕をいともたやすく切り落としたアダムは、再び剣を構えて同じ問いを繰り返し始める。
「ソフィア……ワレラガマオウハドコダ……!」
「知らぬな!貴様にも知性があるなら知らぬ存ぜぬのワシより他をあたるがよい!」
「……ナラコノセカイハナンダ。ワレハドレダケネムッテイタ」
「貴様らはあの魔王が死んですぐに眠りについた。今はあれから三百年ほど経っておる。どうじゃ、これで満足か?ならばさっさとここを立ち去るがよい!ここには貴様の求める者はおらん!」
なんて平気な顔で接してるんだよ。とてもたった今腕を切り落とされた人とそれを行ったオークの会話とは思えない。
この程度の命のやり取りが、その三百年とやらには日常茶飯事だったっていうのか?改めて目の前にいるのが生きる伝説なのだと実感させられる。
「し、師匠!もう逃げましょう!転移魔法を使えば!」
「ならぬ。こやつらをここに放っておけば間違いなくこの町の人々は全滅じゃ。アダム自ら手は下さずとも奴の配下共が確実に町を滅ぼす。それに奴の持つ剣、『イヴ』には魔法を断ち切る力がある。転移魔法の準備が整う前にワシの頭と体が離れてしまいじゃ」
アリサのセリフに対し、即座にソフィアさんが否定した。
むしろソフィアさん一人でアダムを抑えきれていない現状。他のオークたちはアダムからの指示を待っているのだろうか?何の動きも見せていないが、ここから彼女がいなくなったらどうなるかなんて火を見るより明らか。
でもだからこそ不可解だ。だってあいつらはオーク。こんなことはありえない。
「そ、そもそもどうしてあいつらは徒党を組んでいるんですか!?オークがあんな風になるなんて!」
「それがアダムの力じゃ。奴は与えられた知識と魔力を持って、全てのオークたちを束ねることができる」
「なっ!?」
あんなソフィアさんですらどうにもならないようなオークがそんなことを?
あれを造った先代魔王って言うのは一体何を考えてそんなものをこの世に生み出してくれやがったんだ!
本来奴らは同族同士ですら殺しあう生物。
しかしそれゆえに強く、しぶとい。
もしもそんなオークを組織的に動かせるとすれば?もうそれは下手な人間の軍隊なんかでは到底太刀打ちできない戦力になる。
「じゃからお主ら二人はその老婆を連れて逃げよ。アダムがワシに興味のある間は他のオークたちも勝手な動きはできぬはずじゃ」
「い、嫌です師匠!そんなこと――!」
「聞き分けよ!今のお主らでは足手まといだと言うておる!」
「でも師匠!」
「やめろアリサ!行くぞ!今の俺達じゃここにいても意味はない!さぁ、行きましょう、おばあちゃんも!」
「え、えぇ……」
残ろうとするアリサとまだ状況が掴めないでいるおばあちゃんの手を掴む。一刻も早くここを離れなければならない。
しかしアリサがそれを拒んだ。
「やめて!離してよ!この役立たず!あたしは!」
「いいから早く!」
どれだけ強く拒んでも、そこは男としてのプライドがある。
女性一人おいて逃げ出す俺に、プライドがどうとかなんて言う権利はまるでないのは自分で分かっている。だけどそれでもここは逃げなければならない。
「離してってば!あんた地獄で呪われたいの!?」
「その程度で許されるんならいくらだって呪われてやる!だから行くぞ!」
「師匠!師匠!」
「――これで邪魔はなくなったの。さぁ、三百年寝ておった貴様にワシがその長さと重さを教えてやると……」
「ヤツラヲオエ!」
「なっ、しまっ!」
アダムが叫んだ。すると周りにいたオークたちが一斉にスバルたちが逃げ出した方角へと向かっていく。
ソフィアがそれを止めようとするも、アダムがそれを許さない。
「オマエノアイテハ……オレダ……!」
「アダム、貴様ァ!」
「――離してよ!このままじゃ、師匠が!」
「そのソフィアさんが言ってたろ!戻っても足手まといだ!」
未だに戻ろうとするアリサを必死に繋ぎ留める。
いま彼女が戻ったら確実に彼女は死ぬ。それもソフィアさんの足枷になって共倒れもありえる。それだけは避けなきゃならない。
「なんで?答えてよ。なんで」
今の俺にはそれに答えるだけの言葉がない。
「ならあたしは良い。あたしは足手まといになるなら逃げるから。だからさ、あんたは、あんただけは師匠の所に行ってよ……!お願いだから……!あんたはすごい魔力を持ってるんでしょ?ねぇ、お願いだから」
アリサは泣いていた。こんな子を泣かせた。最低だ。
いくら伝説だか何だか知らないが、女の人を一人死地に残して逃げ出した。最低だ。
でも何より最低なのは俺の心だ。アリサとおばあちゃんを連れて逃げることをどこかで望んでいた。
二人を連れていく代わりに戦わないで済むことを喜んでいた。
情けない。せっかく力があっても、結局逃げるのなら気づかないでいた頃の方がまだましだ。仕方がないからと言い訳できる。こんな泣きじゃくる女の子に戦ってと懇願されることもなった。
俺は……俺は……。
「グギャァァァァx!」
「なっ、こいつらは!?」
その時、アダムの周りにいたはずのオーク達が俺たちに追いついた。
「どうしてこいつらがここに!?まさか――いや、違う。そんなはずがない!」
「でも、だったらなんで!やっぱり師匠――!」
「違う!落ち着け!」
「いや、いやぁぁぁーーー!」
アリサはその場に崩れ落ちた。俺の言葉は彼女に届かない。今の彼女はもう心が折れてしまっている。
そもそもそういう俺だって嫌な想像が頭から離れてない。
この数のオークから逃げ出す。無理だ、確実に捕まる。
それにおばあちゃんとこんな状態のアリサを連れているんだ。逃げ出す前にやられる。
戦うしかない。こいつらくらいなら俺だってやれる。
「ウブォァァァァァァッ!」
「来るなら来やがれ、くらえぇっ!」
迫り来るオークに対し、立て続けに火を放つ。
さっきので要領は掴んだつもりだ。オークだけを焼く火。
しかしどれだけ倒しても数が減らない。それどころか数を倒せば倒すだけ、オーク達の攻撃がその苛烈さを増していく。
より鋭く、より組織的に、より効率よく。
それどころか、こちらの攻撃を見てからかわす個体すら現れている。
「相当まずいな、ソフィアさんのこと心配してる場合じゃないや」
状況が悪いのはそれだけではない。
今まで気にも留めていなかったし、恐らく気づいてすらいなかったのだろう。魔力を撃つ腕の感覚がなくなってきている。
「これが噂の『魔力痛』ね……。俺には一生関係ないと思ってたよ」
魔力を使い続けると、誰もがどこかでその魔力量に関わらず魔法が撃てなくなることがある。それを魔力痛と呼ぶ。
生まれてこの方、こんなに魔法を次から次へと撃ち続けたことはない。
自分の限界なんて知りもしなかった。
その時、オークが唸りをあげながら一斉に襲い掛かってきた。
「クソッ!来んな!」
もう何発も魔法を撃っている余裕がない。
俺達三人全員を包み込むように、渦を巻く水の壁――イメージするのは渦潮、強く頭に思い描け、水の流れを!
瞬間、莫大な質量を持った水が大地から天へと渦を巻いた。
「す、すごい。あんたいつの間にこんな水魔法を……!」
「今だ!悪いけど火事場のバカ力だよコンチクショー!」
回転する水のイメージ、回転する水のイメージ……!
荒れ狂う流れに飲まれて迫ってきていたオークが吹き飛ばされる。
舞い上がった水が雨のように降り注いだ。
「はぁ、はぁ……。どうだ!?まだやるか!?」
もう満身創痍。腕の感覚が完全になくなりつつある。
でも威勢だけは張り続ける。ばれたら終わりだ。数の前じゃどうしようもない。
今のはったりが効いてくれればいいけど――。
そう思った緩みを見逃してはくれなかったのだろうか。
「スバル危ない!」
背後のオークが俺に迫った。
駄目だ、間に合わない。
脳裏に浮かぶ死のイメージ。
ここまでか、そう思った時――。
「な、止め――!」
アリサが俺を突き飛ばした。
何で。止めろよ。お前は俺と違って求められているだろう。止めろ。
世界がゆっくりに見える。
オークの一撃がアリサを捉えようとしている。
嫌だ、嫌だ。
俺が死ぬならまだいい。でもアリサが殺される?そんなのはごめんだ。
そう強く思った時、不思議な声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます