≪第三章―役立たず、魔物と出会う―≫(後編)

「あれはイフリート!でもただのイフリートじゃない!母艦級マザークラス!」

「マ、母艦級マザークラスだって!?」 


 母艦級の竜なんて、それこそ国王直属の騎士隊でだって手に余るような大物だ。そんな奴が一体どうして?


「と、とにかく逃げるわよ!ったくもう、何であたしがこんな目に!」


 そう言っておばあちゃんが術式の彫られた辺りに魔力を送り込む。


「あのババア!ちょっと無理したくらいじゃ壊れないって言ってたの信じるかんね!嘘ついてたら地獄で呪ってやる!」


 そう言うと、魔力を送られた馬車の速度がグングン上がっていく。


「ちょっ、ちょっと待っておばあちゃん!こ、これ大丈夫なんですか!?」

「だぁー!もうっ、おばあちゃんおばあちゃんうっさい!」


 そう言っておばあちゃん――否、彼女は来ていたマントを窓から放り捨てた。

 まず目に飛び込んできたのは美しい朱色の髪。動きやすいように襟足で丁寧に結あれたそれは息をのむほどに美しかった。

 次に目に映ったのは、髪に負けず劣らず美しいルビーのような紅色の切れ目。一瞬で心を掴まれた。

 綺麗な顔立ち、健康的な身体つき、誰がどう見たって美しいと言うだろう、そんな女性。


「へ……?」


 どこまでも間抜けな声が出る。

 むしろ目の前のおばあちゃんだと思っていた人が、突然女の子と言って差し支えない女性になってなお平気でいられる精神力。そんなのを持った奴がいるならぜひともそのメンタルトレーニング法を教えて欲しい。


「あたしはアリサ!アリサ・リオール!あんたも知ってるでしょ!かの大魔導師ソフィア・モルガンの一人弟子!テナーには修行の一環で一人旅!どう!わかった!?」

「よ、良くわからないけど、は、はい!」

「『はい』は一回!」

「はい!」


 情報の大洪水が起こっている。

 今俺たちは母艦級マザークラスのイフリートから追われていて、おばあちゃんだと思っていた人は綺麗な女の子で、さっきまでいた所が次から次へと消し飛んで、隣にはあのソフィア・モルガンの弟子がいる。


「クソ!これ以上速度が上がんない!スバル!あんたも何かやんなさい!あんたならできるでしょ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺元々宮廷魔導師だったんだけど『役立たず』って言われてクビなったような奴なんだよ!だから雑用を押し付けられてた!」


 おばあちゃんならまだしも、こんな綺麗な子にこんな情けないことを言わされるなんて俺は前世で余程の非道でも行ったのだろうか。


「はぁ!?あんたが『役立たず』!?何かの間違いでしょ!今そういう冗談言ってる場合じゃないのよ!ったく、頼りになるんだかならないんだか……!そう言うのは良いから早くあいつに攻撃して!」

「やればいいんだろ!やれば!言っとくけど何も起こんないからな!」


 鬼気迫るアリサに押し切られて魔力を放った。飛んでいくのは小さな小さな火の玉。イフリートの前では米粒にすら見えない。


「ちょっと!スバルなに遊んでんの!?そういうことやってる場合じゃないでしょ!?もういい!あたしがやるからあんたはここに魔力送ってて!この役立たず!あんたも地獄で呪うわよ!」

「だから言ってるだろ!?役立たずだって!」


 俺が打てるのは火炎系の魔法だけ、それも初級魔法しかろくに使えない。


「んなろォー!」


 アリサが裂帛の気合で魔力を放とうとしている。

 せめて何か役に立とうと馬車に精一杯魔力を送り込む。すると、馬車の速度が僅かに速くなった。


「えっ!?」


 急な加速に彼女の体が一瞬ふらつく。


「危ない!」


 せめて何か役に立ちたくて体が勝手に動いた。


「しまっ――!」


 転倒こそしなかったものの、わずかに狙いがそれた彼女の魔法は、それでもなおイフリートの翼を穿った。

 ドォォォォォンッ!と凄まじい音と爆風を巻き起こす。すごい、これがソフィア・モルガンの一人弟子!


「グギャオォォォォォン……」


 イフリートも予想外のダメージに思わず苦悶のうめき声を上げる。


「す、すごい!こんな魔法王都でも見たことない……!」


 と、驚きを隠せない俺だったがなぜか俺以上に今の状況に困惑している者がいた。


「違う。これは私の魔法じゃない」


 アリサ本人だ。


「どういうことだよ。違うって。現に今――」

「違うのよ!あたしの魔法はあんなに強くない!あんなのそれこそ師匠並!ありえない!」

「な、ならそれこそ火事場のクソ力的なので!」


 理由をつけようとする俺に、彼女はなおも続ける。


「そんなもんで魔法の力が上がるんなら苦労しないわよ!これはもうそういうレベルを超えてるって言ってんの!」


 息を切らしながらそう吠える彼女。上手くいったはずの彼女が誰よりも困惑を隠せないでいる。


「もういいわ!何だって!今はとにかく逃げるわよ!下手にあいつを刺激しちゃった、ドラゴンはプライドが高いの!特に強い固体になればなるだけ!」


 それを裏付けるように背後から迫るイフリートの目が明らかに変わっていた。あれはそう、確実に標的を殺すという強い怒りの眼。


「とにかくスバル!あんたは可能な限り馬車を走らせなさい!よくわかんないけど今のあたしなら母艦級でも足止めくらいはできる!」


 できる、できる。と彼女は自分自身に何度も言い聞かせている。

 体は小刻みに震えていて酷く脆く見えた、触れれば折れてしまいそうなほどに。

 悔しかった。こんな子を矢面に立たせて何もできない自分が。


「ウォォォォォォォオ!」


 だからせめてありったけを馬車に込める。あれほど見事な術式だ。速度を上げるだけなら多少は無理をさせたってなんてことはない。

 馬車の速度がみるみるうちに上がっていく。

 さっきまでは恐ろしい速さで詰められていた距離のテンポが緩やかになった。次いで距離が縮まらなく。馬車はなおも加速を続ける。


「やればできるじゃない!スバル!あんたやっぱりできる役立たずよ!」


 そう言いながらアリサもまた魔力を放ち続ける。しかし、最初の一撃とは違って向こうもこちらを警戒している。簡単にかわされてしまう。


「ん?」


 その時アリサが何かに気づいた。


「なに、あれ……」

「どうしたんだよアリサ!また違う母艦級でも現れたのか!?」


 だとしたら流石にもう万事休すだ。あんなの二匹から追っかけられて無事でいられる自分が想像できない。


「ううん、違うの。よくわかんないけどあたし多分今とんでもなく大きい何かの術式の上にいる。それもそのほぼ中心に」

「はぁ?何言ってんだよ!そんなもんどこにあるって言うんだ!?」

「嘘だって思われるかもしれないけどホントなの!あたしが魔法を撃つ度にほんの少しだけ術式が光るの!ホラ見て!」


 アリサの言うことを確かめるために外を見る。

すると確かに彼女が魔法を撃つ度に、酷く不格好で術式が一瞬だけ浮かび上がっているのが分かった。それも明らかにその中心が動いている。丁度それこそ


「ねぇスバル。あんた王都にいた間やけに周りの奴の調子が良いなって思ったことない?」

「あるけどどうしてそれを!」

「逆にあんた王都にいた頃より村にいた時の方が調子よかったんじゃない!?」

「はぁ!?何でお前そんなことまで!お前まさか俺のストーカー――」

「あんたバカじゃないの!?この役立たず!あたしがそんな無駄なことするわけないでしょ!地獄で呪い殺すわよ!」


 随分な物言いである。何もそこまで言わないでも良いだろうに。


「でも多分この感じ、こいつ自身は自分のことに気づいてない。つまり無意識?こんなバカげた魔法を?笑っちゃうわね」


 アリサが一人でまた何かブツブツと言い始めた。さっき俺に『さっきから自分の世界に浸りすぎ』と言ったのはどこの誰だっただろうか。


「もうしょうがないわね。ねぇスバル、あたしの命をあんたに預けるわ」

「え?」


 そう言ってからアリサは信じられないことを言い始めた。


「いい?原理は分かんないしそもそもあんた自身が気づいてないんだからそんなこと考えるのもバカバカしいけど、あんたはあんたを中心に常にバカでかい。んでその中にいると常にあんたから魔力のブーストを受け続けられるの。永続的にね。だからあんたの周りに人が増えれば増えるだけあんたの力は極端に弱まっていく」

「お、俺にそんな力が……」


 なんてこった。俺がそんなすごいやつだったなんて――。


「まぁあくまでも状況証拠だけだからそんな確証はまるでないし、もしかしたらあたしの勘違いかもしれない。でもあたし達があいつから生きて逃げ切ろうと思ったらもうその可能性に懸けるしかない」


 そう言い切ってからもう一度俺の目を見てアリサが言った。


「だからあたしの命をあんたに預ける。代わりにあんたはあんたの命をあたしに預けて」

「はっ、ははは」


 変な笑いが出た。

 久しぶりだった、誰かから必要とされるなんて。初めてだった、こんな綺麗な子から必要とされるなんて。


「どうなの?」


 ここでびびって前に進めないような腰ヌケになった覚えはない。


「いいんだな、アリサ。もしかしたら本当に俺はただの役立たずかもしれないんだぜ?」

「その時はその時よ。あんたのことを地獄で呪って、その後何が何でも生き返らせてもう一回呪い殺すから」

「ならそうならないようにしないとな」


 全くどうしてこう安請け合いしてしまうのか。こういうとこだけは好きになれるよ、自分のこと。


「で、俺はどうすればいい!」

「頭の中にバカでかい術式をイメージすんの!魔力はイメージよ!知ってるでしょそれくらい!」

「バカでかい術式をイメージったってどうすれば!」

「はぁ、あんたは全く……!」


 簡単な術式の整備は経験があっても、それを彫ったりイメージしたりするのは流石に雑用の範囲を逸脱している。

 それに魔力の供給をやめた馬車の速度は既にイフリートからすれば止まっているも同然だ。今にも追い付かれそう、時間がない。


「指示はあたしが出す、良いわね!」

「やれるのか!?」

「当たり前でしょ!この馬車に術式彫ったのどこの誰だと思ってんの!?あんなにべた褒めされてムズ痒いったらありゃしない!」


 なるほど、なら信頼できる。あれを彫れるのは本物だけだ。


「まず目を閉じて頭のなかであんたを中心に大きな円を描くの。なるべく実際の大きさにあわせるために……そうね、まずは王都がすっぽり一つ収まる位の円がいいわ」


 王都がすっぽり一つ収まる位の円。なるほど、その上での俺はそれこそ蟻のようなものである。


「次にその上へ出来るだけ具体的に術式をイメージして。簡単なのは覚えてるんでしょ?ランプでいいわ、今は時間がない」

「出来るだけ、具体的に、ランプ、イメージ」


 俺以外何もなかった大きな円に、線が少しずつ彫られていく。

 形は誉められたものではないが、アリサの言う通り今はそんなことを気にしない。どうせ俺は役立たず。できなくて当然。


「ついてこれてる?」

「伊達に雑用してないさ。初めてのことに一々怯えていられない」

「OKいい返事。次はそれをゆっくり、少しずつ、焦らないで。小さくしていくの」


 目を閉じているからわからないが、きっと今一番焦っているのはアリサだ。それを悟らせないようにどこまでも冷静を装ってくれている。

 こんな女の子にそこまでさせているなんて。なんて情けない男だよ、スバル・スコットランド。


「ありがとう、わかってる。少しずつ、小さく」


 なら俺がやることは一つだ。アリサの言う通りのことをやりきる。今はそれだけを考えろ。

 円が小さくなるにつれて、自分の中に感じたことのないうねりが起こっているのがわかった。それは円が小さくなる程に荒々しく、そして大きくなっていく。


「それで最後はあんたが一人入るくらいの円にするの。ここで焦ったら全部パァよ。ゆっくりね」

「俺が一人入るくらいの円……」


 アリサの言うとおり、ひたすらにゆっくり、イメージした術式が崩れてしまわないように。

 俺一人を覆うくらいの小さな小さな円。


「……!」


 アリサが小さな吐息を溢した。外で何が?いや、いい!気にするな!今は何も考えるな!


「小さく……小さく!」


 そしてついにそれは成った。

 頭の中の大きな円は、今俺だけを囲うようにそこにある。


「アリサ!できたぞ!次はどうする!」

「スバル!目を開けなさい!もう時間がないわよ!驚かないでね!」

「どういうこと——!?」


 もうイフリートが目と鼻の先にまで迫っていた。

 これは確かに時間がない。

 でも俺が驚いたのはそれだけじゃない。


「なっ!?なんだこれ!?あ、足元が!?」


 光っていた。それはもうピッカピカである。


「今あんたは多分生まれて初めて自分の魔力を自分の為にだけ使ってる。やってみなさい。これでダメならあたしも諦めつくわよ!」


 アリサは笑っていた。

 あぁ、ダメだな俺は。

 今ほんの少しだけ、こんな子の屈託ない笑顔をみれたんだから今ここで死んでもいい。なんて思っちまった。本当に情けねぇよ。俺のが絶対年上だぜ?格好いいとこ見せろよ、今ここでやらなきゃお前は一生本当に役立たずのままで終わりだ。


「でも、ダメだったらもちろん地獄で呪うからね」


 と言って、今度はイタズラっぽく笑いかけてくる。

 もしもこの世界に神様って奴がいるなら、きっとそいつは今俺に微笑んでいる。こんな幸運そうでなきゃ信じられない。

 だから俺は「なら、呪われないように頑張るよ」そう言った。


「おい役立たず!今度くらいは誰かの役に立って見せろ!」


 俺が打てるのは火炎系の魔法だけ、それも初級魔法しかろくに使えない。なるようになれ!


「うらぁぁぁぁぁぁあーっ!!!」




「——はっ、ははっ……。嘘、だろ?」


 現実味のなさに、渇いた笑いしか出なかった。

 その魔法は初級魔法と呼ぶには余りにも大きかった。

 辺り一面をイフリートの被害などものともしない程に焼き付くし、火球が通った後はさながらクレーター、遠くの山が半分欠けているのがはっきりとわかる。

 その上に母艦級のイフリートの成れの果てが転がっている様は、それこそ地獄とでも呼ぶべき風景。

 自分のしたことが信じられず、まさか全て夢なのではないかと思いそうになる。

 でも夢じゃない。

 自分の放った魔法が大地に残した熱が、傷跡が、そして何より生まれて初めて味わう得も言われぬ脱力感。それら全てが現実だと俺に突きつける。


「あー、えっと、どうしようか」

「……ど、どうしようかじゃないわよ!地獄で呪うとは言ったけど誰もここまでやれなんて言ってないでしょ!?あんた一体何やってんの!?」

「し、知るかよそんなこと!俺だって何が何やら……!」


 目の前の風景への理解が誰よりも追い付いてないのは俺自身だ。何が何やらわからない。


「とにかくここにいるとまずいわ!早く行くわよ!この役立たず!」

「な!?助けてもらっておいて役立たずってお前!」

「はぁ!?あんた一人だったらとっくに死んでた癖に生意気言ってんじゃないわよ!さっさと馬車に魔力を送りなさい!まだどうせ無駄な魔力が残ってんでしょ!さっさとする!」

「全くどうしてこう女ってのは——!」

「なんか言った!?」

「やりゃいいんだろ!」




 ——次の日の朝刊の見出しはこう。

 『母艦級マザークラスドラゴン同士の縄張り争いか!?アズロック街道に巨大な焼け跡とイフリートの死体。』

 記事には目撃者の証言があった。

 『それは曰く、小さな太陽のようであったと言う。それは曰く、巨大な竜のようであったという。それは曰く、伝説の勇者と魔王の戦いのようであったと言う。』

 誰もまさか宮廷魔導師をクビになった、役立たずの撃った魔法の後だとは夢にも思っていない。これはそれ程に、人智を遥かに越えた行為なのであった。

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