第52話 聖水購入の交渉


 聖女が浸かった水が聖水になるらしい。


「……まじで?」


「うん。もちろんだたの水浴びじゃダメだよ。聖水を作るために創造神様にお祈りして、特殊な魔力を放出しながらじゃないと聖水は作れない」


 さすがに水浴びだけじゃ聖水にはならないという。ま、そりゃそうだろう。もしそんなことになっていたら、勇者パーティーが旅した先々で聖なる泉や川が量産されてしまうことになる。


 今は良く分からないが、少なくとも俺が所属していたころの勇者パーティーは野宿することが多かった。世界中で発生する魔物を狩るために旅を続けていて、国から国への移動途中に泊まれそうな宿屋が見つからないことなんてざらだった。


 俺とルークス、アドルフは三日くらい水浴びしなくても気にしなかったが、レイラとセリシアは基本的に毎日身体を清潔にしたいと言っていた。数十体の魔物をまとめて屠れるような賢者と言っても、魔物と戦っていないときは普通の女の子だもんな。


 レイラとセリシアが泉や川で水浴びする時、俺はいつも収納魔法で安全確認をしていた。


 その時に泉の水が変質するような現象は見られなかったから、まさか聖女が浸かるだけで聖水が作れるなんて思いもしなかった。神聖な魔力を絞り出して、それを水に侵透させるような感じで作っているのかと。


 自分が入ったお風呂の水をルークスに飲ませたと知ったら、セリシアが俺に怒るのも無理ないだろう。特に彼女はルークスのことを好きなようだったから。ごめんな、セリシア。


 ちなみにセリシアがルークスを好きであるというのは当人たち以外は全員知っていた。ルークスが鈍いんだ。セリシアはかなりアピールしてるのに、あいつは全く気付かない。


 俺が抜けたことで何か変化があったらいいな。

 そろそろふたりの関係は進展したかな? 


 もしセリシアがルークスの彼女になってたら、安全確認を控えなきゃいけない。セリシアがフリーだったからやってただけ。今後はレイラだけチェックしよう。セリシアがレイラと一緒に水浴びしてたら見えちゃうけど……。まぁ、それは仕方ないってことで。



「なぁ、ケイト」

「は、はい。なんでしょう?」


 フリーダさんがちょっとお怒りのようです。

 彼女が俺限定で思考を読めるのを忘れてた。


「君は今でも聖女の安全確認をしているのか?」


 笑顔のフリーダさんが怖い。

 なんて答えても生き残れない気がする。


「た、たまに。ほんとにたまにだよ」

「……そうか」


 フリーダが俺の耳元で囁く。


「今夜が楽しみだな」


 今日はガチでヤバいかもしれない。

 限りなく搾り取られそうだ。



 ──***──


 ケイトたちが万能薬エリクサーを作成した三日後。


「これはこれは。勇者様ご一行ではありませんか」


「あ、あなたは」

「フリーダさん!」


 獣人が暮らす街を訪れていた勇者パーティーにフリーダが声をかけた。


「久しぶりですね」

「そっちから声をかけてくれるのは初めてだな」


 いつもフリーダとの取引はケイトが行っていて、町などで彼女の姿を見かけたケイトが取引のために声をかけるというのが流れだった。実はフリーダがケイトに声をかけてほしくて、彼にだけ存在を気づかれるようにしていたのは誰も知らない。


「皆様にはいつも御贔屓にしていただいていますからね。……おや? 今日は四名だけですか?」


「あっ。そ、それは」


「いつも貴女と交渉していた男は俺たちのパーティーを去りました」


 レイラは説明に口ごもった。一方ルークスは商人相手に誤魔化そうとしても無意味だと判断し、素直にケイトの不在を答えた。


「貴女から購入できる品々は俺たちの旅にとって必要なものです。交渉役の男はいなくなりましたが、可能なら今後も貴女から商品を買わせていただきたい」


 商人に対して『必要だ』という単語を使うのはあまりよろしくない。情で動く商人は少なく、買い手がどうしても必要だと分かってしまえば、多くの商人がその客の足元を見る。いろんな理由を付けて代金を吊り上げようとする。


 ほかでも買えるが、値引きやその他のサービスをしてくれるならお前の所で購入してやるというスタンスで交渉すべきなのだ。ケイトが抜けた今、勇者パーティーにそういった交渉術を持つメンバーはいなかった。


 しかし幸いにも勇者ルークスが正直に話した相手は、彼らにお金やアイテムを押し付けようとしている女商人だった。勇者から今後も取引させてほしいと頼まれるなど、願ってもいないこと。


「勇者様にも私のアイテムを使っていただけるというのは光栄なこと。それに勇者パーティーの皆様に信頼していただけるというのは、とても良い宣伝になります。ということでさっそくなのですが、お取引させていただいても?」


「あぁ。ちょうどこちらも回復薬が尽きてきたところなんだ。いくつか低級の回復薬を売ってほしい」


「低級の? いつもは最上級の回復薬を多数ご用意させていただいておりましたが」


「い、今はそんなに持ち合わせがないんだ。貴女の売ってくれる低級回復薬は中級クラスの回復力がある。だから低級でいい」


 国やギルドからの依頼を完遂出来ず、ルークスたちの資金は底を尽きかけている。食料や最低限の装備メンテナンスをするのがやっとだった。こうなったのはパーティーの資金管理にいつも心血を注いでいたケイトが抜けたからだ。さすがの彼も、ルークスたちがここまでヤバいことになっているとは気づいていなかった。


 そしてこの状況を、凄腕の商人であるフリーダは完璧に把握した。夫となったケイトが望むことをするために、自分が何をしなければならないのかを理解する。


「勇者様たちは魔物を倒して私たちの生活を守ってくださいます。そんな方々の命運を左右する可能性がある回復薬で、低級なんてお渡しできません」


 フリーダが懐から小瓶を出した。


「なにやら訳アリのご様子。こちらは、私からのプレゼントです」


「こ、これは?」


「万能薬、エリクサーです」


「エ、エリクサー!?」

「これ、本物!?」


「手足の欠損を瞬時に治し、死者の蘇生すら可能にする究極の回復薬です。聖女様であれば、これが偽物でないことは分かるかと」


「セリシア、分かるか?」


「え、えぇ……。この瓶が纏う神聖力は間違いなく万能薬のものです。それも、私がこれまで見たことないくらい強力な」


「最近は入手も困難になってきたこちらを、勇者様に差し上げます」


「いや、そんな貴重なものを貰えない!」


「先ほども申し上げましたように、回復はパーティーの命運を左右します。勇者様のパーティーには聖女様もいらっしゃいますから、どんな怪我も治せるでしょう。しかしもし、聖女様が倒れたら?」


「そ、それは……」


 揺れるルークス。

 そんな勇者の心情を女商人は見逃さない。


「こちらは勇者様への出資です。どうしてもタダで受け取るというのが不満なのであれば、私のお願いを少し聞いていただけませんか?」


「願い、というのは?」


 フリーダの交渉はエリクサーを無料でプレゼントするという提案から始まっていた。


「聖水を売ってほしいのです。大量に」


 彼女の真の狙いは最初から聖水を購入すること。エリクサーを見せつけ、それが本物であることを確認させる。そしてその有用性を説き、ルークスに欲しいと思わせた。この時点で彼女の勝ちは決まった。



「……頼めるかな? セリシア」

「は、はい。お任せください!」


 セリシアがルークスの頼みを断ることはほとんどない。特に自分が身を削るだけで達成できることであるなら、多少の無理でもしてしまう。


 女商人フリーダは聖女の性格すら見抜いて、交渉の流れをコントロールしていた。

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