幻の酒

 俺が力になれるのは居酒屋料理、メルセデスが力になれるのは酒と魔道具と魔術・魔法、荒事全般になんだかんだで金儲けもうまい……ある意味万能だな、俺の嫁!


 ちなみに『大宮殿』の呪いが解けた今のメルセデスは全力全開だ。つまり『なんでも記憶する魔法』と『記憶したことを再現する魔法』が常時発動している。だから昨日見た蒸留の技術なんかも覚えちまってるだろう。


 なのに料理はいまだにからっきしだった。目玉焼きから進歩がない。

 味見の技術は向上した気がするけど、これは味覚が戻っただけかもしれない。つまみ食いが増えたのはきっと気のせいだ。



「気付いたのはつい先ほどだ……」



 俺たちは隊長の案内で蒸留所の隣の納屋に入った。昨日見かけたけど、ここは蒸留器のための薪置き場のはずだ。


 大きなかまどを三日焚き続けるのだ。薪は山積みに準備していた。

 だが隊長が指差す先にあったのは……。



「ブドウの木だね、これ。実が成ってるから、ここに生えてるよ」


「シュールだな、ここ納屋の中だぜ?」



 薪は姿を消しブドウの木が、まるで雑草のような無秩序さをもって納屋を埋め尽くしていた。重そうな農具ですら押しのけられている。室内栽培か?



「ブドウって日当たりが良くて寒暖差があるところが向いてるのに……おいしく育ってるね」



 メルセデスは思案顔でブドウを一粒食べた。

 得体の知れないものを食べるんじゃありません。


 ブドウがこんな環境じゃ育たないことなんて俺でも知っている。俺みたいな素人でも知ってることを、プロのコンタン卿たちは当然知っている。


 そもそもコンタン家の酒はブドウを使わないのがしきたりのはずだ。



「このブドウの出所も大いに問題だが、何より差し迫っているのは……薪だ。薪が足りない」


「そうだぜ、蒸留は大丈夫か?」


「三時間前に『クール』を取り始めたところだ。『スゴンド』の途中ならともかく、ここでやめたら瓶詰めは諦めるしかない……」



 クールは二度目の蒸留の一番いい部分だ。その後に出るスゴンドは大部分を消毒液にするから、調整用に少し取れればいいのだろう。

 ブドウの木はどう見ても怪しいが、今考えるべきは薪か。


 怪しいブドウをつまんで……調べていたメルセデスが顔を上げた。



「順調ならあとどのくらいかかるの?」


「あと十時間はかかる……今ウーゴが薪をかき集めているところだ。それまでの二時間、どうにかできないだろうか」



 ウーゴとは隊長の弟の名前だ。忘れがちだけど隊長の名前はマルタンだっけ。

 隊長の望みはこの納屋を解体してかまどに焚べてでも蒸留を続けたい、そのために手を貸してくれ、ということだった。

 幻の酒のためとなれば、メルセデスは当然――



「二時間くらいなら任せて!」



 そうくるよなぁ。

 蒸留所には一段と洗練された、爽やかな香りが充満している。二回蒸留はアルコールだけでなく、香りも濃縮しているのだ。


 手ぶらで戻った隊長を見て、肩を落としたのはコンタン卿だった。

 手ぶらといってもメルセデスは厳選したフドウを一房、俺はブドウの皮を捨てる用の紙袋を持ってるけど、そういうことじゃない。


 だがその落胆はすぐに裏切られることだろう。

 メルセデスはなけなしの薪を足そうとするエミリーさんを、そっと止める。蒸留器のかまどから身長分の距離をとると、片手を向けた。


 それだけで火が勢い付く。



「火加減は初留と同じでいい?」


「なんと、嬢ちゃんは魔術師だったか」


「居酒屋の女将です!」


「???」



 メルセデスの不規則な返答にコンタン卿が混乱した。


 なんてことない魔術にも見えるが、薪の火は徐ろに弱くなるし熾火の残り具合も変化する。それに合わせて火勢を一定に保つのは高度な魔術のはずだ。


 そうでなくても燃えるものが無いと、魔術の火はすぐに消えるというのに。もしかすると、もっと高度な魔法なのかもしれない。


 そして見た技を再現できるメルセデスなら、勢い余って蒸留所を燃やしてしまうこともない。



「再留はもう少し弱火じゃ」


「ふんぬーっ!!」



 ……全力全開になった分、力を抑えるのに苦労するようだ。蒸留器を溶かしてしまうことはないはずだ、たぶん。


 湯温が安定したところで出口の味を見たコンタン卿は地面に膝をついた。



「おぉぉぉぉっ……神は……コンタンの畑を見捨てなかったのじゃっ……!」


「礼を言う、メルセデス殿」



 神様になら、納屋でブドウが実るくらい祝福されてると思うけど。


 余裕が出たのかコンタン卿は再留のテットを廃棄し始めた。

 メルセデスは子牛を見送るような目をしてるけど、かなりきつい酒になってるはずだぜ……。

 ちなみにクールがアルコール70%、スゴンドでも60%あるから俺にはとても飲めない。


 メルセデスに冷たい飲み物でも用意するか。




   ***




 隊長の弟はきっかり二時間で馬車いっぱいの薪を持ち帰った。一休みした俺たちはまた厨房借りて昼食作りだ。

 俺は『メルセデスにブドウを食べさせて種と皮を回収する係』だったし、頑張ったメルセデスも疲れている様子はない。今度はメルセデスが見ている番だ。


 今朝焼いた塊肉は残っているから、スープと軽食を追加するくらいでいいだろう。朝食ビュッフェは好評だったので昼もそれで行く。


 まずトマトとモッツァレラチーズをスライスする。

 それとバジルの葉を順番に重ねれば緑・白・赤のいい色合いだ。暑くなってきたから器を氷で冷やす。

 具材を並べ終わったらオリーブオイル、バルサミコ酢、塩、ブラックペッパーを混ぜたソースをかけて西部料理『カプレーゼ』だ。


 これに『秋刀魚のアクアパッツァ』と『チキンのレモン焼き』。思いつくままに作ったら軽食じゃなくなってきたぞ。


 さらに納屋から採ってきたブドウの若葉を、キノコやベーコンと一緒にオリーブオイル・ニンニク・鷹の爪で炒め塩胡椒。パセリをかけて完成、『ブドウの葉の炒め物』だ。

 ブドウの葉は炒めるとただの菜っ葉に見えるが、爽やかな香りと酸味がある。

 ササチーのシソの代わりに使ってもいいかもしれない。何枚かもらって帰ろう。


 あとご飯は蒸留所に持って行きやすいように、おにぎりにした。すると当然スープは味噌汁だ。具は野菜たっぷり、ナスは多めの油で炒めてから加えた。



「あ、そうだエミール君。これ・・飲んでみようよ」



 味見をしていたメルセデスはガラスの小瓶を取り出した。中では無色透明の液体が揺れる。

 開けると爽やかな梨の香りがした。



「これは……」


「そう、ついに幻のお酒を手に入れたんだよ!」


「ついにりやがったか!」


「ちがうよっ、さっきのお礼にコンタン卿がくれたんだよぉ」



 本来瓶詰めの前には樽の吟味バレルセレクションをしたクールに、スゴンドや水を加えて調整するそうだ。

 だがこれはクールに加水してアルコール度数を41度に合わせただけのものらしい。こんなのが飲めるのも蒸留所見学の醍醐味だなぁ。


 メルセデスは氷を出して冷たいチェイサーを用意してくれた。

 テイスティング用らしい足の付いたグラスはメルセデスの私物だ。持ち歩いてんの?


 そこへ幻の酒を注げば、まったくの無色透明だった。しかし厨房の隅まで届くくらい梨の香りが立っている。


 まず水を飲んでから、一口舐めるように口に含んだ。


 ――ンポポロン♪ ンポポロン♪ ンポポポンポンポポロン♪


 ………………梨だ。

 …………。

 ……。

 すっげ……梨だ。



「っなんだ、今音楽が!?」



 我に返った。

 内側から外側から梨の香りに包まれた気分だった。

 いいブランデーやウィスキーは飲み始めから後味まで、いわゆるトップからアフターまでの香りの変化を楽しむというが、こいつは始めから終わりまで梨だ。

 変化はあった。けどどう変わったのかと聞かれると――



「なんか、梨の木に登って実と一体化して、熟して地面に落ちた気分だ……」



 てか梨の木が見えた。まだあの変な音楽? が聞こえている気もする。

 これなんかヤバい植物を蒸留してねぇか?

 メルセデスの感想はどうだろう。



「梨の歌が聞こえたよぉ♪」


「メルセデスもか……ヨダレたれてんぞ」


「エミール君もグラス置かないと」



 俺は俺でグラスを鼻先に付けっぱなしだった。

 この香り、アロマが快感すぎて無意識の行為だ。全然我に返ってなかった。


 もう一度チェイサーを飲んで、改めて少量飲む。

 酒自体に甘味も酸味もなく、多少アルコールの苦味や辛味を感じる程度だ。41度もある割にアルコール感は少ない。

 それでいて圧倒的なアロマはアルコールの熱に煽られたように押し寄せる。最高級果実から溢れる果汁と果実の柔らかさ、ねっとりとした食感、その甘味や酸味まで脳に刻まれるようだ。



「このお酒にはどんなお料理が合うのかな?」


「癖は全く無いから、なんでも合いそうな気もするな」



 フルーティーというより、もはやフルーツだ。確かにこれはフルーツブランデーだろう。

 蒸留酒という無生物で『生きた梨』の生命力すら感じさせるこの酒は、生命の水オドヴィと呼ばれるだけはある。


 それに「飲めば幻の酒だと分かる」と言われるのも納得だった。魔法みたいな酒だ。


 さて、この酒に合う料理か。

 試しにさっきのカプレーゼと合わせてみる。



「バジルの香りが合わねぇ。パンチのある香りはだめだな。トマトとチーズだけなら……微妙に合わねぇ」



 イクラと赤ワインみたいにマズくなるわけじゃないが、酒の香りが少しでも損なわれると惜しむ気持ちが湧く。スライスしただけのトマトが一番マシだった。


 癖の無いチーズでも合わない酒って初めてだな……。あと水気の多いものもナシだ。

 『秋刀魚のアクアパッツァ』も微妙だな。どうも旨味が前面に出てくる料理は合わなそうだ。


 『チキンのレモン焼き』は惜しい。焼けた肉と控え目なレモンの香りは合うのに、ジューシーな肉の味が邪魔だ。

 あとたまねぎは壊滅的に合わない。



「おいしいもの同士なのに合わないって不思議だねぇ」


「酒が完成されすぎてるな。ビールや清酒みたいに舌をリセットしてもくれねぇ」


「余韻が長いお酒だから、から揚げもお刺身も合わなそう」


「無理に料理と合わせなくてもいいんじゃねぇか? グラッパだって食後酒だし」



 フルーツブランデー全般そういう飲み方が多いと思う。居酒屋じゃなくバーで出す酒だな。



「コンタン卿に聞いてもそういう答えだったよぉ。でもね、このお酒にはおつまみが必要だと思うの」


「珍しいな、メルセデスがそんなこと言うなんて」



 メルセデスは巻き付くように俺の背中にもたれかかった。柔らかな感触が背中に心地いい。

 こいつがわがまま言うのは食い物のことばかりだ。でもそれは自分で食べたいからで、『必要』なんて言い方をしたことはなかった。



「きっとね、それでうまくいくと思うんだけど」


「うまくいくって……?」


「そんな気がするだけなんだけど……ダメ、かなぁ」


「ダメじゃねぇよ」



 勘か。妖精の姫の勘、元四つ星冒険者の勘、嫁の勘。どっちにしろ俺は乗るしかねぇな。


 作るか。と、その前に。俺はアイテムバッグを掴んで言った。



「昼飯の後は観光しようぜ」

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