たこさんソーセージ
居酒屋『迷い猫』に開店以来ほぼ初めての客が来た翌朝。
市場で仕入れをしてきた俺は、二階の借部屋で白い調理服に着替えて店に降りた。
俺が仕入れに行ったのは今朝で二度目だ。普通の飯屋は毎日仕入れに行くもんだが、食材の消費を完全に読み違えたのだ……一週間客が来ないなんて予想できるかっ!?
朝の寒さに縮こまりながら、保冷庫を開けて今日明日で痛みそうな食材を出し、買ってきたものを放り込む。この保冷庫は空間が拡張される魔道具なので、中は見た目よりさらに広い。
次は仕込みだが、その前に。
先ほど保冷庫から出した、昨日の残りのカツを揚げる。
カット済みの野菜はみじん切りにして、余った肉はミンチにして下味をつけたら野菜と一緒に炒め、オムレツの具にした。
カツを油から上げて今度はから揚げを投入し、切り込みを入れたソーセージをフライパンで炒める。切れた側がだんだんと広がり、反っていく。目は付けないがたこさんだ。
調理したものは俺たちが食べる分をよけたら容器に収め、冷めたら蓋をしていく。
廃棄食材の調理は俺がここに来てから毎朝やっている仕事だ。
一人客が来たくらいじゃ食材はそれほど減らなかった。それでも店長命令で仕込みを今より減らすことはしない。これはメルセデスが孤児院に持っていくのだ。
まぁ、捨てるよりはいいかなーと思う。
***
「ふぁ、おふぁよう、エミールくん……わたし、いつの間に部屋に戻ったんだろ……」
メルセデスが目をこすりながら部屋から降りてきた。いつの間にって、そりゃ寝てる間だよ。あと枕持ってくんな。
「朝ごはんまだぁ?」
「久々の仕入れで疲れてるから砂糖水でいい?」
「!?」
「できてるから顔洗って来いよ」
廃棄食材だけどな。
***
「仕入れは今まで通り、週一で大丈夫だよ?」
メルセデスがケチャップをかけたオムレツを頬張りながら言った。
ソースは大事だ。そういや店長の荷物に瓶詰ケチャップ入れたっけ?
ところで俺が毎朝仕入れに行きたいのは、食材が足りないからじゃない。
「いーやダメだね。一人でも客が来るなら、生鮮は鮮度のいいものしか出さねぇ」
「鮮度は大丈夫だよぉ、
「え?」
「エミール君がいつも食材入れてる一番大きいやつね。時間が停まってるから、あんまり長く入ってると背伸びないよ~」
余計なお世話だよ? そもそも、
「保冷庫じゃないの、あれ?」
「拡張空間付いた保冷庫なんてないよぉ。時間が停まってると皮膚感覚としてひんやりするけどね」
聞いてねーし! うまい冗談を聞いた、みたいな顔してんじゃねぇよ!
道理で食材に痛んでる気配ないと思ったぜ……怖いから日にちで管理してたけど。
そういやアイテムボックスなんて高級魔道具、あの大きさじゃ城が建つくらいの値段なんじゃ……。
「どんだけ金かかってんだよ、この店……」
「わたし、お金持ちだからぁ。ほめてほめてー」
褒めねぇよ。
あ……ということは、保冷庫だと思って寝かせてた中濃ソースは――
俺は2日前に保冷庫に入れた瓶を開け、味を見た。
フライ用に作った中濃ソースだが、
「――まったく熟成してない……」
「熟成なら保温庫あるよ?」
いやいや、保温庫というのは作り置きの揚げ物などを保温しておく魔道具だ。見た目は食器棚のようなものだが、客が来ない以上、温かいものを作り置きする必要がないので使ったことはない。そもそも、
「温めたいわけじゃないんだけど」
これだから料理のできない店長は。
という目でメルセデスを見ると、にんまりして立ち上がった。
「保温庫は好きな設定温度で維持してくれる魔道具だから、冷やすこともできるよ?」
何それ?
メルセデスは朝飯分のから揚げが乗った皿を保温庫の棚に入れ、下部のパネルを操作する。
「温度は分子の運動状態で決まるから、その運動状態を調整して固定化する魔法を刻むと――」
チーン、と音が鳴り、取り出したから揚げの皿が俺の前に差し出された。
まだ熱を持っていたから揚げは、皿ごとカチコチに凍り付いている。
「棚に入れておけば、このまま温度を保つから『保温庫』。わたしが作りました!」
「俺の知ってる保温庫と違うっ!?」
メルセデスは自慢げに胸を張った。
こんな紛らわしい魔道具を作ったのは、あんたかっ!?
いや待て。温度調節と維持ができるということは……季節によってはできなかった、ぬか漬けとか魚の昆布締めとかチーズとか……熟成も、発酵もできるのでは。
冷凍もできるし、まずはアイスクリームでも作って使い方に慣れるべきか……液を作って夜まで寝かせて、その間に仕込みと掃除を……明日の仕入れ内容も変更だ。メニューも作り直して……あああ、寝る暇が……。
やっぱこの店は料理をするには最高の環境だ。
もう料理学校でも開けばいいんじゃないかな。
俺は冷凍されたから揚げを保温庫で温め直して、そっとメルセデスに返した。
***
この店の過剰な設備が判明したことで、俺は気付いてしまった。
メルセデスにコーヒーを渡しながら、孤児院に持っていく大量の包みを見やる。
「これもういらないんじゃね?」
時間が停まるということは、切り分けた刺身でも使いかけの卵液でも、永久に保存できる。無理に処分する必要はなくなったのだ。
慈善をしたければ他にいくらでもやりようはある。こんな残飯処理みたいなことを孤児院にさせなくても――
「これはいいの。開店以来ずっとやってることだし、孤児院にもようやく信用してもらえるようになったんだから」
「寄付でもすればいいじゃねぇか。その分、食材のやりくりくらいできるぜ?」
「孤児院の子たちはね、エミール君の料理を楽しみにしてるんだよ」
メルセデスは他意のない笑顔でそう言うが、俺は廃棄食材の処理か朝食作りのついでくらいのつもりで作っていた。そんな大層なもんじゃない。
「余りものだし、全員に行き渡る量とか考えて作ってねぇよ?」
「数が足りなくても、全員均等に切り分けてるよ。
冷めてもおいしいものばかりだし、ソーセージをたこさんにしたり、オムレツはしっかり火を通してもおいしいように具沢山だよね。
エミール君が食べる子どもたちのこと考えて料理してること、みんなわかってるからね」
空のコーヒーカップを持ったまま、にんまりするメルセデス。
窓から入った朝の陽ざしが顔に当たって、暑くなってきた。今夜は冷え込むんだけどな。
「……そんなんじゃねぇよ。料理人の、矜持だ」
そう言ってにらんでみたが、店長はにんまりしたままだった。
***
朝の掃除と仕込みが終わる頃、メルセデスが孤児院から帰ってきた。前日の空容器を持って帰るので行きも帰りも大荷物だが、意外と力持ちらしく軽々担いでいる。
「ただいま。今日もみんな喜んでたよー」
「おかえり。そりゃよかったじゃねぇか」
返却された容器を洗ったら日中の仕事は終わりだ。
「孤児院て自分たちでご飯作るから、大人に作ってもらう機会は貴重なの。自分のために考えて料理してくれる人がいたことは、あの子たち一生忘れないよ」
わたしじゃできないから、と聞こえた気がした。
俺は洗い物の手を止めた。考えたことがある。
「何人だ?」
「んー?」
「子どもの数だ。明日からおかずと軽食を人数分作る。孤児院にも言っといてくれ。食いたいものがあれば、聞くし」
目を丸くしたメルセデスがトコトコと調理場に入ってきた。
にんまりナデナデ。
そうだった。こいつは何かにつけ、俺の頭を撫でたがるやつだった。
「……1日1食だけだしメニューは仕入れの都合優先だからな。それに金を出すのはあんただ」
「お客さんじゃなくても、料理を楽しみにしてる人がいるって嬉しいよね」
「うっせー、洗い物手伝えよ。あと撫でるんじゃねぇ」
「わたしもエミール君のご飯楽しみ。今日のお昼はなんだろな~」
悔しいがメルセデスの言う通り。料理をしてて一番モヤモヤするのは、食べてくれる人がいないこと、だよなぁ。
そういえば、
「開店以来って言ってたけど、俺が来るまで誰が作ってたんだ?」
「うっ……だ、だれかな~?」
「あー……よく出禁にならなかったな……」
「孤児院の先生も最近ようやくドア開けてくれるようになったんだよ……しくしくしく」
子どもたちのトラウマになってないといいけどな。
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