第27話 クリスティーンの残響

 まあ語りましょうとビリーは店を閉め、ジャックをカウンターの椅子に座らせた。

「マルコは元気なの?」と訊く朗らかで物腰の柔らかい店主マスタービリー。

 父ジョージを知る人物に会えた喜びを前に、ジャックはくのをやめた。

 不思議な巡り合わせにビリーと場内を目を丸く見回しながらジャックは訥々と胸の内を語った。


「……そうだったの。あんた、相当苦しんだね」

「ええ。大好きでしたから。パパは出会った時から優しかった。俺も彼が本当の父親じゃないなんて、疑うのも忘れるくらい。なんでも言えた。いつだって守ってくれたんです……」

 思いきりこみ上げたジャックは唇を噛んで堪えた。

 胸元をまさぐり煙草をくわえると、ビリーが肩を叩き灰皿を出した。


「出会った時って、いくつ?」

「三歳くらい」

「え? 覚えてるの?」

「なんだか、近頃ものすごくハッキリと思い出せるんです」

「……そう。あんたなんだか早熟そうだしね。で、ボビィちゃんには何の用事が?」

「それは……人に頼まれたことで。とにかく、彼に渡さなきゃいけないものが」


 ふんふんと頷き顎髭をさすりながら、ビリーはチェイン・ギャングスの写真をもう一枚ジャックに渡した。

「ボビィちゃんはどこかでチェイン・ギャングスのことを知ってその音源を求めてここに来たの。その歌に惚れて。もっと言えば、クリスティーンの声に惚れてね。彼女の歌は本当素晴らしかった。澄んでいて艶のある声。彼女の書く詞も曲も流れるように胸にスゥ〜っと入ってくる感じ。優れた歌ってのは情景が浮かぶのよ。最初はギター一本で一人で歌ってたの。来ていたジョージたちも惚れ込んで先ずアタシに訊いてきた。あれは天使か? って。それで是非彼女と組みたいから一緒に頼んでくれって。……でも、ん〜、なかなかコイツがなぁ」と、ジャックに渡した写真を指差す。

「このブロンドの付き添い人、ブライアンが嫌がったんだ。でも彼女自身が望んだの。クリスティーンも最初からジョージに惹かれてたってわけ。……うん、バンドでも彼女の魅力は充分出てた。……そう、ボビィちゃんにも聴かせたこの録音を流してあげる」

 ビリーはそう言って背を向け、レコードの曲を再生させた。


 クリスティーンの美しい歌声に、ジャックは打ち震えた。

 凛と厚みのある声質、倍音の巧みさ。

 豊かな表現力、滲む憂いが胸に染み入る。

 ――救済とはこのような瞬間なのだろうか……クリシアを産んだ母さんがここにいる。母さんが歌ってる。ここに……ジャックは潤む瞳を両手で覆った。


 ビリーはレコードを停め、ジャックの揺れる肩をさすった。

「この歌の名は〝自由〟。そう、歌は声よ」

 ビリーはそう言ってウィスキーをショットグラスに注いだ。

「ジャック。男も泣いていいんだよ。仕方ないじゃないか、溢れ出てくるものは。思いきり流せば洗われて清清するもんさ」


 一杯をジャックに勧める。

「クリスティーンの声にジョージのリードギター」

 そう言ってもう一度再生するビリー。

「……ビリーさん、さっきこのブライアン……付き添い人て言われたけど、どういった?」

「ふふ。クリスティーンはどこぞのお嬢様よろしくいつも護衛がいたわ。最初は熱心なファンか親衛隊かと思ったけど。詳しくは教えてくれなかったけど、きっと良家の出だったのよ」

「……じゃ、ボディガードみたいな」

「うん。きっとそんな感じ」

「……あの、〝R.J.ソロー〟ボビィが歌ってたのもこの歌ですよね?」

「そうよ。あの鼻にかかったかすれ声のせいで違う曲に聴こえるけど。ボビィちゃんは言ったわ。これはクリスティーンのオリジナルではなく元々レプタイルズの伝承歌トラディショナル・ソングなんだ。でも彼女の歌唱が最も歌の真髄をとらえてる。彼女に歌われるためにあるような曲だとかなんとか……あれこれ講釈垂れて。でも彼も凄いの。ボビィちゃんはチェイン・ギャングスの数十曲をほとんど一日でマスターしたから」


 ビリーの嬉しそうな饒舌に、ジャックはつい差し出されたウィスキーを飲み干してしまう。

「ねえビリーさん、で……そのボビィちゃんが次どこに行ったか、見当つきます?」

 膝を叩いて目を見開くビリー。

「そ、そうだったわ。それが知りたかったのよねあんたは。……そうね、彼はチェイン・ギャングスのこともっと知りたがってて……クリスティーンとジョージのことは話したけどマルコならイーストリートでアパートの管理人してるはずよって、言ったの」



 ……しかし飲酒じゃ運転させらんないよとビリーが言うからあきらめて腰を据え、ジャックは録音されてるチェイン・ギャングスの歌を全て聴きながら酔いざめを待った。

 逸る気持ちを抑えるのは父ジョージへの想いだった。


 ――『ジャック。お前は強くなりたいって言うだろう? だったら、つまらないことでくよくよしないでデッカイことを考えるんだ』


『海の広さを見ろ!』と励ます、それはジョージの大きな手。


『ジャックお前はクリシアの面倒もよく見てくれる。その優しさこそ強さだと、パパは思う』


 子供たち二人を抱きしめるジョージの温もり。


『見えるものが全てじゃない。見えないところに真実があるもんさ』


『やられたらやり返す。確かに気持ちはわかるが、ジャック。憎しみの連鎖は何も生まない。負の方向だけを、お前は向くのか?』


 ジョージは二人を海に連れ出し、ギターを爪弾きながら語った。

 そして砂浜で素足になって並んで大きく空を仰いだ。


『神様は見ていてくださる。小さいことは気にしない。イッツ・オーライこれでいいんだ! パパは天に向かって恥ずかしくないように生きる。天を目指すんだ』



 ジョージの広い背中を懐かしむジャック。

 広い背中。海の広さ。

 彼の見ていた、未来。


 ――デッカイことを考えろ……。

 優しさこそ強さだ……憎しみは、何も生まない。

 負の方向だけを……お前は向くのか?

 ……天に向かって……天を……。


 流れる曲がさらに想像を広げてゆくと、傍らのビリーがジャックの肩に手をやった。

「……そういやさジャック。ジョージのことについてここに訪ねてきた人がいてね。刑事さんじゃない、黒髭のシブい外国人」

 突如心酔から引き戻されるジャック。

「え? それって」

「ちょっと怪しげというか……得体の知れないリッチさというか」

「リッチ、それリッチーだ!」

「あ、あー! そうかも、名前も確かリッチー……」

「ヘイワース」

「だった。やっぱり知ってたのね。そう、品のいい男だったわ。ジョージの知り合いだと言って最初はジョージを捜しに、二度目は事件の真相を追ってる。犯人捜しをしていると。アタシは品のいい男には協力的だから」

 ジャックはまた嗚咽した。

 リッチーのその姿を想うと、また痛烈に胸が熱くなった。

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