幕間 1章 - 2章
A17RU1:幕間『西海の白蛇姫』
六年前、カラスノ合衆国西方の港町にて。
ルーキエは中等部の主席として知られていた。長い銀髪と柔らかな物腰に加えて、男子を含めた運動も上から数えるほうが早い。家柄のおかげもあって各国の文化や調度品にも明るく、各職の代表者からぜひ将来はこちらにと頭を下げられていた。騎士団、学者団体、商人会。港町キエーボに拠点を置く三大巨頭だ。
能力があって、他者を排斥をしない者には、当然にコバンザメたちもついてくる。ルーキエと仲がよければ有利と考えて、騎士団の志望者が無理矢理に理由を作って会いにきては、勘づいた学者の卵たちが隠れ場所を提供する。商人見習いが動向を探り、それぞれへの情報を提供する。
ルーキエは辟易していた。そこそこな連中が利用したがり、中堅の連中が成り上がり狙いで、出遅れた衆が八つ当たりの矛先にする。そのすべてが、平等だの善行だのと大義を掲げる。口では人々のためにと言いながら、行動は他者への興味がない。自分すらも受け止められない器で、自分以外など考えられるはずがない。
羽を伸ばす時間のために、誰にも邪魔されない数カ所での読書が増え続ける。自室か、屋上か、庭園の一角に。事前に認めた者以外は追い返してくれるおかげで、ただの長椅子の座り心地がソファを上回る。今日のように先客が見えても警戒はいらない。よく見知った顔だ。
「ケイグラ、珍しいですね。講義では?」
「休講だよ。もっと大事な話のためにな」
「自主休講ですね。褒めがたいですよ」
「もっと褒めがたい奴がいる。そいつに持ってかれるのと比べたらずっと安い」
ケイグラは鞄から一枚の写真を見せた。騎士団の新人歓迎会の奥に見える暗がりで二人が話をつけている。小さくてぼやけているものの、片方はルーキエが知る顔だ。高等部のリデル。一方的に恋人面をして周囲にそう思わせようとしている、狡猾な男だ。親の七光りでそこそこの交友を持つが、本人は一対一の決闘が強い以外に見所はない。
「前にルーキエに言い寄ってた奴だろ。今はどこだかでの合宿にいて、戻るのは十日後だ。せめて対策を、何かできないか」
ケイグラの話には声変わりの途中らしい響きが混ざる。この男の信用できる点は、自らの有用さの誇示をしない所だ。その逆を積極的に見せてるとも思える。
「忠告ありがとう。お返しは期待しないでくださいね」
「もうひとつある。明日の今くらいの時間に、この場所に来てくれないか。ルーキエに会いたいと言う人がいる。女の子だ」
「何者ですか」
ケイグラは僅かに止まり、隠したい話だと言外に伝えた。
「妹だ。いや、申し訳ないが、これ以上は言えない。銀髪で髪は肩くらいの子が一人でここに来るらしい。背はこのぐらい」
ケイグラは自らの座った額に水平の手を当てた。妹のふりが通る誰か、ルーキエには思い当たる存在がある。父親の商談に同席した際、身を隠したい連中の隠れ家があるそうで、気をつけるよう言っていた。ならず者の予感は強いもの、悪い話とは限らない。明日のこの時刻と踏まえても顔くらいは出す価値がある。
「わかりました。ケイグラがそうまで言うなら、会ってみますよ。ただしひとつだけ。講義を頭痛で休むと伝えてください。午前の講義は受けるので、それより後で」
「了解。うまくやるさ」
読書どころではなくなった。ルーキエは自室に戻り、寝台に体重を預ける。もしもに備えた道具をなら、ペンを選ぶ。メモのために不自然はなく、武器としては怯ませる程度になり、奪われても脅威ではない。
時は流れて翌日の昼。
ルーキエは学校を離れ、門番に挨拶をして、指示通りのベンチに来た。人影はない。新たな入場許可は出していない。念のため周囲を確認しておく。最も近い木はすぐ後ろで木陰を作っている。上には誰もいない。他の物陰は遠い。どこにも人影はみえない。
まずは座って、周囲を眺めた。この庭園は小高い丘を再現していて、草刈りと少しの植樹の他は特別な手を加えていない。隠れるなら木の上か、少し遠くて別の区画の低木か。
ルーキエの思考は答えを出す前にかき消された。背後からの声により。
「こんにちは。ルキエですね」
心臓が飛び跳ねた。体も。振り返る頃には、少女はベンチに座っていた。銀髪で、髪が肩ほど。聞いた通りの特徴ではあるが、もっと目立つ部分がある。木彫りの仮面で、目と口はそれぞれ細長い穴が横に一本のみ。表情や顔立ちは隠れても、喋り方に情報が出る。
「初めまして。あなたはガンコーシュ帝国のかた、ですね」
「おや、なぜ?」
「訛りがあったので。それに、こっちでこの綴りは発音がルーキエになります」
貿易商の父親のおかげで各地の文化に触れていた。同じ呼び方にも覚えがある。少女は満足げに頷く。何を読み取ったか、仮面の下は見えない。
「あなたの名前も聞いていいでしょうか」
「もちろん。知恵の蛇です。よろしく」
「私を試しているんですかね」
「今は、まだ」
知恵の蛇はますます上機嫌そうに幼げな声を続ける。ケイグラが妹と呼んだ意味がわかった。自分より年上の相手を手玉に取って楽しんでいる。
「本題に移りましょうか。私を急に呼びつけた目的はなんですか」
「その前にひとつだけ訂正を。私はガンコーシュ帝国の人間ではない」
「おっと、これは失礼しましたね」
知恵の蛇は顔を覗きこむように溜めてから話を続けた。
「提案のためです。きっとルーキエはどこか遠くへ行きたいんじゃあないか、と思って。地位も人間関係も、本当に全てを捨ててでもどこかへ消えたいなら、手段と行き先があります」
「まるで世迷言ですね。仮に提案を飲んでも、そう簡単に生きていけるとは思えません。ならばあなたには、裏の目的があるか、夢物語を形にする何かがあるか」
「私の目的、ではないのですよ。あなたの目的です。ルーキエにとって、この地は生きにくい。身の危険さえある。エルモの礼拝堂での相談では足りない、実体を持つ問題だ。ルーキエ以外にも、同様の者が各地にいます。街ごとにはごく少なくとも、街の数だけ集めたら、たくさん」
身の危険、と聞いてルーキエは真っ先に思い浮かべた。リデルは乱暴で、次にどんな手で来るかわかったものではない。落ち着いた日々に再び干渉されるまで九日後に迫っている。知恵の蛇の提案は明らかに、ルーキエが魅力的に思える時期を狙っている。父親の教えを思い出す。うまい話には裏がある。落ち着いて考えるか、それを邪魔する相手はすぐに敵視せよ。
「さてルーキエ。答えは言葉ではなく、行動で聞きます。よく聞いてくださいね。七日後の午後九時四十二分に、港の見張りが詰所に戻って、三分後に出ます。その短時間で二番目の船に乗り込み、手前から三番目の樽に入る」
「なんですって?」
「答え方ですよ。もし新たな居場所を求めるなら、その通りにしてください。いらないなら、何も起こらずにおしまいです」
「随分な難題を提示しますね。船着場に出るだけでも、屋敷を脱出した上で街中を突っ切るしかない。それを誰にも見つからずにやるなど」
「最初の試験ですよ。無茶な内容では試験にならない。だからこうして、計画する時間が七日もあります。迷う時間を入れても十分でしょう」
知恵の蛇の言葉がどうしても魅力的に聞こえる。方法ならいくらでもある。たとえば、ルーキエだとわからなければいい。髪を急に切るとか、服装と合わせてボロボロに汚すだけでもきっと目を欺ける。どんな手だろうと、実行した後はもう誰とも会わない。
「好きなだけ迷っていいですよ。質問も今のうちに」
「ひとつだけ。答え方を聞き直させてください」
「七日後の午後九時四十二分。港の見張りが詰所に戻り、三分後に戻る。二番目の船に乗り込み、三番目の樽に入る。これだけです。メモはしないでくださいね」
「ありがとう。話は終わりにしましょうか」
「よかった。最後にこれ、返します」
小さなプレートに、蛇の紋様が描かれている。見間違うはずもない、ニグス商会の家紋だ。
「お父上の机にある、秘密の引き出しからです。使っていいですよ」
誰かのポケットに入れて騒ぎを起こすとかね。そう言いたいように感じた。父親が席を外したのはルーキエが学校で講義を聞く間だけで、席に戻ればすぐに気づく。疑いの目はルーキエ以外の誰かに向く。
ルーキエが言葉を決める前に、知恵の蛇は背を向けて、裏門から堂々と出ていった。追う気にはならない。
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