英雄王ヨシヲと優しい死神

水原麻以

前編

もう綺麗ごとは沢山だ。轢かれた妹は帰ってこない。死んで花実が咲くものか。異世界転生なんか大嘘だ。

俺は耳の尖ったコスプレ野郎を罵った。とぼけた顔をしても俺には見える。見えているんだ。壁に人の顔を見たり虫の知らせを聞いて育ってきた。死神の魂胆のなんぞお見通しだ。

一気に捲し立てたら背中に翼を生やした奴がシュンとなった。腰はキュッと締まっていて栗毛色の髪が背中まである。見た目は美人だ。しかしこいつはこの世の者じゃねえ。原型を想像したら吐き気を催すような男かもしれない。

とにかく、唯一無二の肉親を奪った奴を許せない。

歩道は血だまりが出来てパトカーや救急車や野次馬が集まってきて大騒ぎになっている。ガードレールに四トン車がめり込んでいて、運転手が事情聴取されている。妹はストレッチャーの上だ。救急車が動く気配はない。何よりこの気色悪い女が降りて来た以上、助からない。俺は罵詈雑言の限りを浴びせた。

「……寿命だったんです」

いけしゃあしゃあとする死神を俺はしかり飛ばした。

「うるせえ。お前がミスったんだろう。故意にな!」

すると女は泣き落とし戦術に出た。

「だって仕方なかったんです」

    

そう来ると思った。俺のあずかり知らない輪廻転生のシステムがあるんだろう。組織の末端を責めても解決しない。

「どうせ妹は生き返らないんだろ? だったらお節介はやめてくれ。安らかに成仏させてやってくれ」

「困ります!」

死神女は厳しいノルマを課せられているらしく、誰か一人を現世から切り離して人間離れした能力を授けないといけないという。

「だったら俺にチートを授けろ。異世界転生なんてふざけた制度を終わらしてやる!」

彼女は度肝を抜かれたようだ。そしてますます表情を曇らせた。

「そんなことをしたら、何もかもがめちゃくちゃになってしまいます」

「前途有望な若者を問答無用で青田買いするお前たちこそ無茶苦茶だろうが」

俺はトラックの餌食にされた無辜の人々や遺族の怒りを代弁し、最後に飴をぶら下げてみた。

「ノルマから解放ですって?!」

彼女は声を上ずらせたが、あわててトーンを落とした。

「……ここだけの話、私もしんどいんです」

「だろうな。俺と組めば悪いようにしないぜ?」

すると彼女は二つ返事で俺に必要なスキルを与えてくれた。異世界転生なんて馬鹿げた制度を終わらせる方法は簡単だ。魔王だか悪の帝王だか諸悪の根源を一掃すればいい。単純明快な理論だ。

    

ただ俺の提言はすんなりと通らなかった。彼女が上層部に伝えたところ、かなり揉めたあげく特例措置ということで承認された。

今まで死亡しない異世界転生はレアケースであったものの非常に困難だという。そこを俺は妹の冥福を賭けて熱意で押し切った。やがて転生を司る神々も折れ、俺はめでたく異世界の覇者として七面六臂の活躍をした。

俺がかの「中世ヨーロッパ風」世界で最強勇者として執務開始すると、魑魅魍魎死霊悪魔の類は潮が干すように地獄へ引き揚げていった。ついでに現世に蔓延るもろもろの悪もきれいさっぱり掃除した。そしてあっという間に平和が訪れた。

これを受けて異世界とこの世の本格的な交流が始まった。エルフやドワーフといったファンタジーでおなじみの人種をはじめ、見たこともないような二足歩行生物が街をリアルダンジョンと化した。

「まさか東京オリンピックに異世界の客が入るとは思いもよりませんでしたな」

俺と死神女が赤暖簾で祝杯をあげていると店のオヤジが顔をほころばせた。聞けばつい数日前に金貨の決済に対応したのだという。レジにはクレジット会社だけでなく冒険者ギルドのロゴが記されている。

「おかげさまでトラック運転手も血を見なくて助かります」

カウンター席の男にメテオストライクを喰らわせてやろうとしたら止められた。

    

「嘉男、ここは剣と魔法の世界じゃないのよ」

「すまなかったな。メリダ」

それで俺と彼女は異世界産の麦酒エールでちびちびやっていた。店の奥には大きな水晶玉が鎮座していて温い環境映像を流している。異国情緒あふれる何処かの市場だ。割烹着のおばさんが角の生えた男に商品を売りつけている。

「まったく最近じゃどこに行ってもこんな有様ですよ。大陸だけじゃなく異界からも人外が大挙して、民家に滞留してても誰も驚かない。ま、五輪後も安泰だし、結構なことですけどね」

オヤジは皿を拭きながら複雑な表情をした。

「そうですよね。文句を言ったら罰が当たりますよ」

俺も同調した。

蝙蝠のケチャップ煮を追加注文しようとした、その時だ。

水晶玉から爆発音が聞こえてきた。映像が切り替わり、立ち込めた煙が垣間見える。

「魔塚市中心部で連続爆発です。店舗や車両が破壊され騒乱状態となっています。死傷者の数やテロの可能性は不明です」

箒に跨った美人が現場上空からリポートしている。カメラが振り返るとオレンジ色の光がビルの谷間に炸裂した。

「おいっ、すげえことになってるぞ」

さっきの運ちゃんがカウンター席から転がり落ちた。彼がぶったまげるのも無理はない。

    

スマホの画面にトレンドキーワードが表示されている。

#異世界難民

#緊急会見

「どういうことだ?」

俺はマントの内側から自前の水晶玉を取り出した。定番の幻影サイトをいくつかザッピングする。小顔のピクシーや色白肌のエルフといった如何にも善良市民が長テーブルに連なって救済を求めている。

「私たちは命を脅かされています」

「姿形があまりにも違うからと言って虐めないでください」

「どうか助けてください!」

異世界難民の会を名乗るグループは言われない攻撃を受けたとして地獄の魔王に安全保障を要請している。その模様が動画サイトに転載されて爆発的に広まっている。

「そういうことか!」

気づくと俺は灰皿を振り上げていた。さいわい、マスターと運ちゃんに羽交い絞めされ、メリダの額を割らずに済んだ。

「知らなかったの。それに私は無関係よ。本当よ!」

涙ながらに訴える彼女の瞳は澄んでいた。それで俺はいったん矛先を収めることにした。だが、俺が苦心惨憺して築いた平和をぶっ壊す奴は許さない。

日本国政府は態度を硬化させた。炎上商法の限度を超えた悪質なテロには自衛隊の治安出動も含めた強制措置を検討する。そう警告した。

    

だが周到に用意された工作は発電所や交通網など生活に必要なインフラを次々に麻痺させていった。美術品を装ったソードや宝珠が異世界の珍品として多数輸入されており、魔法の研修に訪れた魔導士が弟子たちを洗脳してそれらを活性化させた。

タガの外れたマジックアイテムがあちこちで効力を発揮し、警察本部や自衛隊基地は使い物にならなくなった。

そして異世界のゲートから無数の翼竜が飛来した。早期警戒機はレーダーを幻惑され、スクランブルした戦闘機は迎撃ミサイルを放つ前に炙られ、イージス艦は魔法の闇に封じ込められた。

そして海の底からリヴァイアサンやクラーケンが護衛艦に襲い掛かる。

「畜生。地獄に撤退すると見せかけて伏兵を潜ませていやがった」

俺は完全に盲点を突かれた。確かにチートの力を借りて地獄を除く全世界(悪魔にも生きる権利はある)から諸悪を滅ぼした。しかし、地球特有の未確認生物(ネッシーや雪男のたぐいだ)は温存しておいた。ロマンスまで葬る必要はない。それが命取りになった。

「伝説上の生き物が狂暴化することぐらい想定しなさいよ」

メリダはまだ俺の側にいるようだ。

「策はあるんだろうな?」

俺が甘い期待を寄せると彼女は冷や水を浴びせた。

「出来るならとっくに退治している。回線を開くわよ」

メリダはずかずかと店の奥に踏み込んでいく。

「おい、何をするんだ? 店を壊す気か」

狼狽えるマスターをよそに彼女はめりめりっと水晶玉を引っぺがした。

    

「魔王に直談判するのよ!」

彼女が指で宙に魔法陣を描くと地獄の底から怒号が沸き上がった。

呼びたてホヤホヤの魔王はすこぶる機嫌が悪い。

「この俺様を誰だと思って……」

「英雄王ヨシヲじきじきの申し立てよ。ホラ」

俺はメリダに背中を押されて前に出た。

「かくかくしかじかで」

かいつまんで苦情を訴えると魔王は哄笑した。

「ふーはっは! 下等生物どもが本能に従っているまでの事。わざわざこの俺様に教えを乞うまでもなかろう」

いちいち腹の立つ奴だ。俺は念を押した。

「無関係だというのか」

「痴れ者め。いちいち管理しておれるか」

魔王は手をひらひらと振って通話を切った。

「汚い。魔王とことん腹黒い」

見え見えの自演に対して手も足も出ない自分が情けなかった 


* * *

俺たちの話しを聞いて、魔王が大きく息を吐き、笑い出す。

「ふむ。相変わらず口下手だな」

「お前みたいな奴がどうしたら上手く立ち回れるんだろう」

俺はそう言って呆れた。

「ああ、確かにね」

魔王は腕組みをしながら俺を見た。

「まあ、そんなに心配せんでも無理しているわけじゃねえから気にせんでいいだろ」

「そ、そうだな」

俺の曖昧な返事に魔王は笑った。

「何か用かと思ってね。………おっと、俺のことまだ疑っていてるのか? これは面白くない」

この人の前だと下手なことが言えなくなる。俺は心苦しくなってそう返した。

魔王は突然、立ち止まると空を見上げた。

「――――。何か、来るな……」

そこに現れるものを俺は目の端に捕らえるしかなかった。

すると、魔王がゆっくりと言葉を続けようとする。

「……ああ。確かに、人界の怪物か。何と禍々しい」

「……お前のことだ、また何か俺に気が行っているのか?」

俺は軽く挑発するつもりで挑発した。

「……」

魔王は俺を観察するかのように見ており、しばらくして何かを決意したように頷くと声を出した。

「――――。……いいだろう。ならば、貴様ら人間共が俺の命を狙いに来るまでの間、この俺を襲い、俺を解放してもらおう」

魔王のセリフに反応した兵士たちが続々と俺の方に群がっている。

魔王を見つめる先には何か光る玉のようなものが浮いている。

この光って、…………あれか。これが……、悪魔?

「……そうですよ、魔王。まだ私が貴方を倒した訳ではありません。この俺が貴方の事を認めているのです」

俺はこの戦いの中で何かの間違いに気が付き、そう言って魔王をたしなめた。

「魔王……、何を……」

俺を止めにきたのか、という事を理解する前に魔王が言った。

「…………ふん、まあいいだろう。我が魔王、我が名は悪魔の帝王ブラッド・レイン。貴様らを全て屈服させ、この我が『魔王』になる。その前に貴様らを滅ぼす、それが我の使命だ」

この魔族は何故、このセリフを言うことができるのか。

この状況、さっきから魔王の周りには兵士だけじゃなく、人間も魔王がいる姿しか見えない。

「――――、」

なんか、凄く嫌な感じがする。

ここまできたら俺の気持ち、揺らいでいて。……ああ、そうか。俺は『魔王』になるなんて嫌だったんだな。なんだ魔王……。









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