第6話
どうして旅をしているのか。
それはもちろん、「ただ気ままに旅をしたいからだ」と断言できるほど、私の思考はひとつに統一されているわけではない。
しかし、実際のところは、それがほとんど自分の中の解であることは薄々気づいていた。
道の途中で迷いに迷ってしまうこともあるが、決してそれが無意味な時間だとは思わないのが一つの例で、何をするにしても無駄な時間などない、と言えてしまう私の精神からすれば、「どうして旅をしているのか」という質問こそが全く無意味なのだろう。
旅をしているから、旅をしているのだ。
いま、目の前に見える世界を感じる。
昨日、瞳に映した世界を想って目を閉じる。
明日、どんな世界を見ようか想像して眠りにつく。
それ以外に何があるというのだろうか。
私は今ここにいる。それだけなのに。
しかしまあ、この人が聞いているのはそんなことではないのだろう。
彼らにとって、私たちがどういう存在なのか。
何者なのか。何奴なのか。
キミは、俺たちにとって危険なのか?
きっと、それらを見極めるために、聞いているのだ。
私が旅をしているのは。
シキは言う。
「迷っているから」
すると、男は怪訝な顔をした。
「それがキミの理由か?」
「ええ。私はずっと迷い続けているのよ」
「それは……この森を迷い続けているという意味ではないのか」
「違うわ。私はもうここ何年も迷い続けている」
私は、気がつけばここにいた。
この世界にいた。
朝起きて、布団から抜け出すかのように、私は当たり前のようにここにいた。
でも、ここは私の居場所じゃない。
何処か別の場所に。
何処か他のところに私の居場所があるはずなのだ。
私はそれを、ずっと探している。
「だから、私は旅をしている。旅をすることは、進むことは当たり前のように生きている」
ちらりと後ろを振り返ると、エノはのんびりと草を食んでいた。
どうやら、こちらの会話に興味はない様子だ。
「ふむ。本当はもっと明確な答えを知りたいところなのだが。まあ、キミは怪物を連れ去るような真似はしなさそうだ」
男も、エノに視線をやりながら言った。
エノを気にしているのだろうか。だとしたらどうして? まさか、彼らにとって大鹿が珍しいというわけでもあるまい。
「……ただ、キミはその気がなくても、怪物の方が勝手についていってしまうかもしれない。森を抜けるなら十分に注意することだな」
それはちょっと道理にかなっていないような理不尽さを受けるけれど……。
それでは、後ろに気をつけながら進むことにしよう。
あ、でもどうやって?
そういえば、まだ森を抜け出す方法は分からないのだった。
どこまで歩いても惑わされて元の場所に戻ってしまうのだ。
一体、どうやって森を抜けるというのだろう。
すると、男は意外とあっさりと森の抜け方を教えてくれた。
「本来は、外側からは誰も入れないようになっているんだけどね。野生動物はもちろん、キミみたいな人間なんてもってのほかなんだよ。だけど、ほんのたまに結界を抜けてきてしまうことがあるんだ。たしか、ちょっと前にもキミみたいな旅人が紛れ込んだしね……」
どうやら、怪物たちの有する力も万能ではないらしい。
まあ、それもそうだ。
この世界に万能なんてものはないし、『無敵』も『不老』も存在しない。
『敗北』も『死』も存在する世界なのだ。
シキはエノと共に男に別れを続けると、再び、一本の細長い道と向き合う。
*
歩き始めてしばらくすると、不意にエノが口を開いた。
「怪物たちっていうのはさ、不幸せなのかな?」
「ん、どうなんだろうね」
どうやら、全く話を聞いていなかったわけじゃないらしい。
動物の耳は敏感だ。
「いやあさ。あの男の人、やたらと『怪物』が愚かだとか、不憫だって話をしていたじゃないか」
たしかに、自分たちの生き方に、とても後ろ向きだったかもしれない。
でも、仕方がないと言えば仕方がないし、それでも彼らなりになんとかしようとしている感じではあった。
彼は、怪物たちのことを愚かな生物だと言った。
たしかに、自ら消えゆく生き物というのは、それだけでもう矛盾を抱えているような気がするけれど、それこそ、自分で言ってしまえばおしまいだろう。
自分の事だからこそ、自虐的になってしまうのかもしれない。
「エノはそう思わないの?」
シキは問いかけた。
単純に、この大鹿がどう思っているのかも気になった。
エノは澄ました顔で言う。
「僕にはとてもそうは思えないよ。だって、存在なんて誰だって不確定だろう? たしかにそこに存在しているだなんて、誰が証明してくれるんだい。それに旅人なんて、吹けば消えてしまうくらい、あやふやなものだろう」
まあ、シキは吹き飛ばしても何だかんだ戻ってきそうだけどね――とも言った。
要は、エノが言いたいのは、「存在しているのならば、生きろ」と言うことなのだと思う。
それはいま、生物として命を燃やしている彼の最たる意見だったのであろう。
存在のあるなしなんて関係なしに、ただその
草を食みながら、のんびりしているように見えるけれど、彼はやっぱり全力で生きているのだろう。
「私は、うまく存在できてるのかなあ?」
正直、それはわからない。
こうして毎日地を歩いて進んでいるけれど、結局のところ、それが意味のある行為なのかはわからない。
明日だって不正確で、不確定で、下手をすればほんの数歩先に落とし穴があるかもしれないくらいに何も見えていないのかもしれないけれど、それでも私は地べたを這ってでも歩くほかない。
『何』かは分からない。
でも、分からないからこそ、歩けるのかもしれない。
それがきっと、私の原動力なのだろう。
*
よくよく考えてみれば、難しい話ではなかったのかもしれない。
深い森の奥で、何処までも何処までも続く細い一本道。
いくら前へ進んでも、一向に森を抜けることはない。
抜けるどころか、しばらく歩けば元の場所に戻ってきてしまうような、そんな旅人の心を折るような、精神的にも辛い永遠の道。
結局試すことはなかったが、きっと道を前進ではなく、後退していたとしても、結果は同じだったはずだ。
無限に続く森。細い道。
旅人が朽ち果てれば墓場となる森。
しかし、それを抜け出す方法は簡単なことだった。
前へ進んでも、後ろへ進んでも抜け出せないのであれば、脇へ退いてしまえばいいのだ。
方向を示してくれない、深い森のなかに佇む細い道。
実はそれこそが道を迷わす根元であり、道であったのだ。
道に迷わないために、道にすがりついてしまった。
正解は、そんな道を無視して、その外へ出てしまえばよかったのだ。
どんなにか細くても、目立ちすぎる目印というのは、逆に目を眩ませてしまう――人を化かしてしまうのかもしれない。
どこかにいるかもしれない――怪物のように。
「嘘……でしょ」
道から十歩ほどあるかないか離れたところには、もう既に外界からの光が届いていた。久々の明るい光に目が眩む。
思えば、背後から鹿の群れが現れたときに、もっと後ろへ下がっていれば森を抜けられていたのだ。
一体、私のこの苦労はなんだったのだろう。
迷うまでもなく、普通に抜け出せていたかもしれないのに。
いや――
それも、道なのだ。
迷うことも旅だ。
遠回りも、それ自体にだって意味がある。
迷った時間のひとつひとつが私の糧となるのかもしれない。
それが私にとって、生きることになるのなら。
シキは深緑から、輝く地へとまた一歩、足を踏み出した。
四季、神物語 宇伊パンチ @uigahara
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