琵琶湖疏水
「もう、いきなり何なのよ! 靴を忘れてきちゃったわ」
あかしが猛烈に抗議すると、にゅっと真新しいローファーがさしだされた。
「サイズ、調べといたから。でも、すこしきついかも」
京終みとりが両まぶたをへの字にしている。
「あんがと。でも、何が何やら!」
「貴女、もうちょっとで殺されるところだった!」
ニコニコしながらすごいことをいう。
「殺され…わたし、恨まれる筋合いはない!」
生田あかしは激しくかぶりを振った。
ところが、みとりは真顔で告げた。さきほどの爆発は目に見えない者の仕業である。凡人には不可視であるが木津川流の血脈であれば見逃すことなどありえない。都の水がめである琵琶湖から流れ出るうるおいは千年の昔から京の生活を支えてきた。
木津川の祖先は文字通りその流域で暮らし、陰に日なたに暮らしを見守って来た。水は渇きを癒すだけでなく命を濁すこともある
京の民をおびやかして政権を混乱に陥れようと良からぬ連中がせせらぎを毒そうとくわだてて来た。
それに対する抵抗運動が、みとり屋の起源である。彼らは琵琶湖の下流で隠密裏に目を光らせていたが、やがて悪事を企てようとする者は人だけでなくなった。
人の悪意は魑魅魍魎のたぐいさえも勢力に引き込んだのである。きっかけは陰陽寮の急進派だともはぐれ者だともいわれている。安倍晴明が率いていた時期もあるともないとも伝わっている。
ただひとつ確実なことは、木津川は人の手に負えなくなっている。
親から子へ、血で血を洗う死闘が繰り広げられ、数えきれないほどの犠牲と粘り強い努力を払って、明治維新を迎えるころにようやく終わりの見えない戦いに終止符が打たれた。
都が東へ移ったのだ。
それに伴い、みかどの寝首を掻こうとする輩も去った。あと京に根深い恨みと因縁をもつ小悪が残った。その芽をちまちまと摘んでたが、みとりの母親の代にそれらも終息する兆しが見えた。
「あたしは看取り屋なんか継ぐつもりなんてサラサラない」
みとりはそう告げてアメリカに留学した。鬼のいない場所に住もうと考えたのだ。
それも思いっきり浮世離れした場所で隔絶した暮らしをしたいと思案した。
フロリダだ。ケープカナベラル。人類が初めて月へ進出した場所だ。そのアメリカ航空宇宙局に就職することを第一目標にしつつ、語学留学を諦めた。母が予後不良に成ったのだ。
「鬼が……あたしを…離してくれなかった」
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