百合小説短編集2

砂鳥はと子

第1話 幸せな結末がほしい



 私が里歌りかさんと関係を持ったのは一年前だった。出会い系アプリで知り合って、何となく意気投合して身体だけの関係を続けている。


 最初は寂しさを埋められたらそれで良かった。里歌さんは美人だし、優しいし、上手いし、一緒にいれば隙間のいくらかは満たされる。


 でも気づいたら彼女のことを好きになっていた。もっと里歌さんのことを知りたい、私のことを知ってほしい。もっと多くの時間を共有したい。


 里歌さんにとってはあくまで遊び相手であり、楽しい時間を過ごしたからと言って恋人に変れるわけではない。


 そもそも私は里歌さんの名前とメアドくらいしか知らない。名字も知らないし、名前も本名かどうかすら分からない。


 どこに住んでいて、どんな仕事をしているのかも知らない。年齢だって知らない。多分、三十三歳くらい。私より六つか七つ上くらいだろうと思う。


 黒く艷やかな髪を肩の上で切りそろえて、いつも細縁の眼鏡をしている。きりりと上がった眉に意思の強そうな漆黒の瞳。一見冷たそうだけど、声音は存外に柔らかで優しい。


 里歌さんは、どことなくバカっぽいなどと言われる私とは真逆の容姿だった。私も時々眼鏡を使うけど、里歌さんのようの知的さは皆無だ。


 あの人の艶かしい姿は何度も見ているのに、知っていることがほとんどないというのも不思議な感じがする。


(いつまでこの関係が続くんだろう)


 私は隣りで眠る里歌さんを見下ろしながらため息をついた。


 

 


「小説上梓のお祝いに月城つきしろ先生とお食事に行くことになったんですけど、ゆうさ先生もご一緒にどうですか?」


 担当さんからそんな連絡が来たのは、十月も半分過ぎた頃のことだった。


 私はフリーのイラストレーターとして、主に雑誌で挿絵を描いたり、小説の表紙を描く仕事などをしていた。


 先日表紙を描かせてもらった月城つきしろ瑞輝みずき先生は、世間では性別不詳の恋愛小説家としてコアなファンを持つ作家さんだった。


 最近は女性同士の恋愛を書いていることもあり、私も一読者として楽しませてもらっている。


 私自身は月城先生と直接話したことはない。こんなチャンスは滅多にないし、どんな先生なのか興味もあった。だから私はほんの軽い気持ちで担当さんからの誘いにOKを出した。


 私たちは担当さんが予約したお店近くの駅で待ち合わせをした。


 夜の七時過ぎ。冷たい風に吹かれながら目的地まで行くと「ゆうさ先生!」と担当さんの手の振る姿が見えた。隣りにはおそらく月城先生であろう女性が立っていた。


(月城先生ってやっぱ女性だったんだ)


 女同士の描写の生々しさから、男性ではないんじゃないかと思っていたが予想は当たっていたようだ。


 近くまで来て、私は息を飲んだ。


(里歌さん⋯⋯!?)


 その月城先生であろう女性は私が何度も抱かれた相手、里歌さんで間違いなかった。


 里歌さんも私に気づき唖然としている。


「お二人ともどうかしましたか?」


 何も知らない担当さんは不思議そうに私たちを見ている。


「いえ、何でもありません。以前、ゆうさ先生とは他の出版社でお会いしたことがあったような気がしたもので」


 先に動いたのは里歌さんだった。無論、他の出版社で会ったことなどない。ホテルでは数え切れないくらい会ったけれど。


「そういえば、そんな気もしますね〜」


 私も適当に合わせる。


「月城先生もゆうさ先生も初対面じゃなかったんですね」


 担当さんはにこにこしている。


 大変気まずいけれど、帰るわけにはいかない。ここは何事もなくやり過ごすしかない。


 私は混乱した頭のまま、三人で予約していたお店に向かった。



 

 

 食事を終えて担当さんが去った後、私は里歌さんとよく使っているホテルにいた。ベッドに並んで腰掛けているけど、今日はそういうことをするために来たわけではない。誰にも邪魔されず二人きりで話せる場所を選んだ結果、そうなっただけだ。


「月城先生が里歌さんだとは思いませんでした」


「それを言ったら私だって、イラストレーターのゆうさ先生が有咲ありさだなんて予想外だった」


「本名、瑞輝さんなんですか」


「まさか。月城瑞輝はペンネーム。本名は渡辺わたなべ里歌っていう珍しくもない名前。本名じゃなくてがっかりした?」


「それはないです。里歌さんは里歌さんのイメージが強くて、未だに月城先生だったなんて現実味なくて」


 一年も経って、こんな状況で里歌さんのフルネームが判明するとは思わなかった。


「お互いの素性がこんなことで分かるなんて面白いことも起こるのね」


「小説のネタにでもしますか?」


「そうね。ちょっと考えようかな」


 と里歌さんは冗談っぽく笑う。


「有咲の中指にたこがあると思ってたから、私漫画家なんだと思ってた。イラストレーターだったのね」


 里歌さんの染み一つ傷一つない白い指が私の手を取った。そんな小さなところまで見ていたとは驚きだ。


(少しは私に興味持ってくれてるのかな)


 淡い期待が湧き上がる。


「この先もお互いどこの誰とも知らずに関係を続けていこうと思っていたけど、さすがにもう無理かしらね」


 期待はすぐに砕け散った。


 里歌さんは私との関係を解消するつもりなのだろう。やはり近しいところで働いている相手では興が削がれるということか。


 分かっていた。里歌さんは私に本気にならないし、私を特別だとも思っていないと。


「里歌さんは何でアプリなんかで相手を探してたんですか? 里歌さんならいくらでも引く手あまたですよね?」


 これだけ容姿端麗で相手に恵まれないなんてあるわけがない。


「知っての通り、私なんて普段は仕事で家に引きこもってるから出会いなんてないのよ。アプリなら遊び相手がすぐ見つかると思ってね。どうしても女性同士の恋愛を書きたくて女とできるか試したかったの」


「えっ!? 里歌さんって恋愛対象、女性じゃないんですか?」


「全然、ってわけでもないけど男性としか付き合ったことなくて。高校生や大学生の時に憧れていた女性はいたけど、あれが恋愛感情なのかただの憧れだったのか自分ではよく分からなくてね。基本的に私、ノンケだと思う」


 一年も私と関係を持ちながら、とんでもないことを言い出した。言っていることが事実なら少しは脈があるとも思えるし全くないとも思える。


 里歌さんが私と出会うきっかけになったのは、言ってみれば小説のための取材、ネタ探しのようだ。


(ノンケなのに私と長続きしたのはチャンスがあるのかないのかどっちなんだろう)


 心の中がざわざわしてきた。


 そんな私の気持ちなど露と知らない里歌さんはさっぱりとした表情をしている。


「でも有咲との時間は楽しかったよ。その前に二人の女性と出会ったんだけど上手くいかなくて。有咲とここまで続くとは思わなかった」 


「な、何で⋯私とは上手く行ったんでしょう⋯⋯?」


「さぁ? 相性が良かったという他ないかなぁ。これで終わりなのは名残惜しいけど仕方ないよね。これからは仕事でお付き合いしていきましょう。私、今回の装丁すごく気に入っている。だから有咲と、ゆうさ先生とまた仕事したい!」


 これ以上ない、というくらいの明るく爽やかな笑顔を向けられた。


(告白なんてできない。しても⋯⋯何も叶わない)


 すっぱり諦めて、今までのことは思い出にするしかないのだろう。


「⋯⋯そうですね。次は仕事で」


「有咲⋯⋯?」


 里歌さんの柔らかい手が私の頬に触れ、伝う涙を拭った。私は泣いていた。


「どうしたの?」


「⋯⋯⋯⋯装丁の絵を⋯⋯⋯褒めてもらったのが⋯⋯嬉しくて⋯⋯⋯」


「すごくいい絵だったよ」


 里歌さんが私を抱き寄せて背中を撫でてくれる。私はその優しさに止めようとした涙を流し続けた。


(里歌さんと離れたくない。別れたくない)


 けれど里歌さんは私とは仕事相手として付き合いたいと言うのだから、泣いたところでどうしようもない。何度もそう自分に言い聞かせて、長い時間が過ぎた。


 ようやく涙も収まり顔を上げると、里歌さんは完全に困った目で私を見つめていた。


「里歌さん、すみません。取り乱してしまって⋯⋯。その、本当に、嬉しかったというか⋯⋯」


「本当、有咲は罪作り」


 小さな声で里歌さんが何か呟いたけれど私には聞き取れなかった。


「???」


「何でもない。もう帰ろうか」


 ベッドから立ち上がる里歌さんが、振り返って私を見下ろす。私は無意識に彼女の腕を掴んでいた。


「帰してくれないの?」


「すみません」


 私は急いで手を離す。


「これで最後にしようか」


 里歌さんは私をベッドの上に押し倒した。またこの人の腕に抱かれたら更に別れ難くなりそうだ。でも里歌さんに触れてもらえるなら⋯。


(私もこれで覚悟を決めよう)


 里歌さんに唇を奪われるがままに、私は彼女に抱きついた。

 

 


 結局、私たちは気づけば朝を迎えていた。昨晩の里歌さんはいつになく情熱的で激しくて私はただ快楽に翻弄されるしかなかった。


 心地よい疲れが身体を包んでいる。


「里歌さん⋯⋯」


「有咲と朝を迎えるの何度目だろう」


「覚えてないです」


 それくらい私たちは肌を重ねていたのだ。


「一つ聞きたいんだけど、有咲はどうして出会い系に手を出したの?」


「⋯⋯それは寂しかったから、です。最近ずっと一人だったし。好きな人できなかったから」


「私といて少しは寂しさはまぎれた?」


「どうでしょう⋯」


 里歌さんといれば幸せな気持ちになれて、寂しさは消えたかもしれない。だけど里歌さんを好きになってしまって、私はまた他の寂しさを手に入れてしまった。好きな人と結ばれない寂しさを。


「私じゃ効果なかったかぁ⋯」


 里歌さんは悲しげにため息をつく。


「そんなことないですよ。私も里歌さんといる時は楽しかったですから」


「でも寂しいのは消えなかったんでしょ?」


「それは⋯⋯」


 どう伝えたらいいのか分からない。これを説明するには私が里歌さんを好きなことを言わなければならないから。


「有咲は私より若いし、これからいい人に巡り会えると思う」


「会えるといいんですけどね」


「きっと会えると思うから、これは適当に流して欲しいんだけど⋯⋯。私ね、有咲のこと好きだと思う」


「里歌さん⋯⋯?」


「でも、有咲は私とは遊びでしょ。年下の遊び相手に本気になるなんてダサいと思うかもしれないけど、毎回会うのを楽しみにしてた。私、女の人でも本気になれるんだって驚いたけど、不思議とすんなり受け入れてたんだよね。何でだろう。有咲を好きでいることが幸せだったから、悩んだりしなかった。私がもっと若かったら付き合うことも考え⋯」


「里歌さんっ!!!」 


 私は反射的に里歌さんにしがみついていた。


「私と付き合ってください!! 私、里歌さんのことがずっと好きだったんです。もっと若かったらとかそんなこと考えないでください! 私は里歌さんが好きです!!」


「有咲⋯⋯でも私三十越えてるし」


「だから何なんですか!? それが嫌だったら一年も続くわけないじゃないですか!」


「有咲、私でもいいの?」


「私、里歌さん以外考えられませんから!」

 

 

 

「有咲、仕事まだ?」


 私がパソコンに向かっていると、里歌さんに後ろから腕を回された。密着されたまま私は手を動かす。


「ごめんなさい。あとも少しでキリのいいところになるで、ちょっと待っててください」


 里歌さんと付き合って早くも一年が過ぎてしまった。私は今彼女と一緒に暮らしながら絵の仕事をしている。


「私は有咲と仲良くしたくて早く終わらせたんだけど?」


 付き合ってみたら意外と構いたがりな彼女で困っている。いや、嬉しくて毎日が楽しい。


「有咲、終わったらリビングに来て。一緒に珈琲でも飲みましょう」


 あっさり身体を離されて寂しさが残る。


「いいですね」


 好きな人と当たり前に過ごす日々というのは何にも変えがたい幸せだと、里歌さんといると実感する。


 私もそんな風に里歌さんに思ってもらえていたらいいなと思う。


 仕事をある程度終わらせてから、私はリビングへと向かった。


 里歌さんが珈琲とケーキを用意してくれる。


 ささやかだけどこんな満たされた毎日が続くことを願いながら、私は里歌さんが煎れた珈琲を手に取った。

   

    

                 

   

  

 

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