白の不浄

超人28号

白の不浄

 夜の深いころだった。

 うす闇をした夏の夜は言い知れぬ熱気をはらんでおり、ともすれば狂人をのさばらせるような暑さだった。それは長い長い冬への憧れをおれに思わせたし、何よりも焦燥を体現した夜だった。

 暑さのあまりに勉強に熱が入らず、ときどき勉強を中断してはうちわで扇いだり、あるいは扇風機の風に吹かれてみたりするのだが、夏の暑さはおれの体にまとわりつくかのように集中力をむしばみ、いつのまにやら参考書とノートはペンを握る手からにじみ出した汗によって、しわしわによれてしまった。そこへ字を書こうとすれば黒炭の描写能率が悪くなる。それゆえに暑さと相まって、より腹立たしさを覚えるのだ。


 そんな時だった。


 ふとして目の前が、いや部屋中が白煙に包まれて、何が起こったのかと手探りを続けているうちに煙が晴れ、すると目の前の机に人が立っていたのである。おれは当然ながら驚いた。

 しかしさらに驚いたことに、その足——やけに白く、そしてやけに長い足——から順に上へと目を移していく。するとそこに立っていたのが実は少女だったのだと、ようやく顔を確認することで判明したのである。

 少女は机から降り、そして椅子に座ったおれをしげしげと見つめる。その大きな目は輝きを持っていて、夏の星夜のようだった。星夜といってもそれは涼やかな夜を思い起こさせ、つまり海をゆく銀色の波をなでる南風のようなのだ。

「こんばんは」と不意に少女が明確に発したので、

「こ、こんばんは」おれも返した。

「きみはだれ——かな?」

 おれはかなり動揺した。生まれてこのかた女というものを知ったためしのないおれにとって、見ず知らずの女と会話をするというのは一種の冒険に等しかった。だからまるで小説みたような問いかけしか出来なかったのである。

 少女はおれの動揺つゆ知らずというように妙に体をゆらめかせ、それが勉強漬けのおれにとってはいたく魅力的に映ったのだ。

「あのね、勉強ばっかりしていて、楽しいの?」

 少女は言った。

「きみは、勉強したいわけじゃないはずよ。お母さんや学校や塾に勉強しろとか、良い大学に入れとか言われるからやってるだけで、本当は勉強なんかやめて遊んだりしたいんでしょ?」

 唐突に現れた少女はおれの本心を見抜いたのも唐突で、微笑のようなものを浮かべたまま部屋の真ん中に立って、おれを見つめている。

 そうなのだ。おれは勉強など大嫌いなのだ。本当はやりたくもない勉強。それでも優等生ぶって励んでいるのは、ひとえにおれの自尊心が弱いがゆえであった。だから親や学校や塾の期待に応えて勉強熱心な優良人間を演じていたに過ぎないのだ。

 ではおれの本心とは、いったい——。


 分かるはずもなかった。小学校以来から親に言われるがまま勉強の道に入り、物心のついたころにはすっかり勉強ロボットと化していたおれに反発の本心などあろうはずもなく、つまりおれは怠惰で勤勉なぼつ個性的人種に過ぎないのである。

 やがて少女はおれに顔をぐんと近づけ、しっかとおれの目を見すえながら、

「ねえ、勉強なんかやめてさ。あたしと一緒に遊びましょうよ。そっちのほうがうんと健康的よ」と囁いた。

 少女は息がおれの顔にかかるほど近しい距離にあり、その息はなにゆえ蜂蜜はちみつのような、あるいは牛乳のような甘い匂いを錯覚させた。


 いやというほど挑発的な笑みで顔をほころばせた少女だった。


 ついに我慢の出来なくなったおれは、やにわに椅子から立ち上がるや少女を勢い任せに押し倒し、薄手の白いカーペットの上に組み敷いた。絹のように豊かな白みを見せる少女の肌に手を触れ、想像していたよりもはるかに滑らかでいて、そしてはかなくも壊れやすそうな女の肌に、おれは辟易へきえきするとともに恍惚こうこつとした。少女は押し倒した瞬間こそ驚き顔を見せたものの、やはり今では幼くもひどく蠱惑こわく的な笑みを見せるばかりである。

 理性のおれは明らかに次の手順を迷っていたようであるが、しかし本能のおれは染色体のおもむくままとばかりに少女の白くて浄らかなワンピースや下着を含めて全部の着衣を脱がせた。

 そうしておれは目の前にある滑らかな優しさを山なりに描いたものを一散にわし掴んだ。それは栄養の不足というには大きすぎ、飽食の表象と呼ぶにはあまりにも小さかった。少女の胸は温和な触り心地をほこり、手には柔和なあたたかみを覚えた。それはテレビや雑誌などで見る芸能人のものとは明らかにかけ離れたものではあるが、それはつまり「女性」になりきれない「少女」を体現したものなのだ。

 おれは少女の胸をわし掴むのみでは飽き足らず、ゆっくりとした手つきながらも、それを揉みしだき始めた。少女は魅力的な笑みを歪ませて、おのが身のうちに泉のようにふつふつと湧き上がる精神の高揚こうようなげくようによろこびを見せる——その顔と体に幼き心を残したままにして。

 ひどく暑い夜であったがゆえに、少女の肌には玉のような汗がつたい、あるいはにじみ、白き肌をしっとりとさせていた。そのため絹の白みはにぶい輝きのようなものを見せ、さながら豆腐——というより天空の鏡のようであった。暑さは平等に人々を抱き寄せるため、おれも同様に汗をかいた。

 胸を揉むうち、しだいに少女の面持ちは恥を知らぬ快活な恍惚さに染まりきり、もはや世間のことなどどうでもよいといった具合であった。その長い髪も汗と湿気とにより、えも言えぬほどにおれの情を刺激した。

 ついに我慢の芯も折れ果てたおれは、そこでようやく自らの欲望と耽溺たんできの象徴を外気に触れさせた。それは女を知らぬ男根というには大きすぎ、加虐の願望というにはあまりにも小さかった。少女はおれのそれを見ると、安堵あんどとも諦観とも分かりかねる笑みを浮かべた。それは大きさそのものに対する喜憂というより、むしろそのものの概念に対する畏怖いふの現れでもあったように思われる。

 おれは期待と焦燥により固くなった象徴を、少女の秘めたるものに入れんとして、探り探りにその目的を迷った。少女はその態度に微笑を浮かべながら、そっとおれを誘導した。

 それは、白き大地に突然現れたように、桜の花弁に似つかわしかった。あるいは獲物を殺そうとばかりに待ち構えるあり地獄のようでもあった。

 少女の様子を眺めながら、おれはその穴に自らのそれをおもむろに入れんとしていると、不意に少女は顔のほころびを苦しそうに歪ませた。それは「少女」から「女性」への変化であった。少女はその瞬間に世の中の汚れを体得したようだった。

 まもなくそこに赤々とした鮮血が見えた。それはざくろを割ったように健康的で、少女の生きているさまを象徴しているようでもあった。

 紅血にまみれる絹の肌。それはいかにも痛々しげで、理性を呼び覚ますほどであったが、しかしそれ以上の加虐意識が本能を燃えたぎらせ、それゆえにおれはついに最後の理性でもって本能をとがめることができなくなったのである。

 処女の苦しみに耐えんとする少女は、やがて無理にでも微笑をつくり直すと、おれを受け入れようとして両手を広げたのだ。そうして浮かんだ笑みには、痛みを土台としたさらなる誘惑がひそんでおり、おれはその誘惑の餌食となった。

 少女の真は、胸よりも温かい。しかしそれ以上におれの全身の関節のつなぎ目をゆるめてしまうほどに危うくもあるのだ。

 しだいに夜伽よとぎへと没入していった少女とおれは、まさに不完全なる互いの個を合一ごういつして、まつたき観念を無より創り上げているのだ。太古の昔に行われたという国産みに並びうる二人の行為はもはや刹那の快楽を追い求めるがためのものではなく、目的も見失いながらも、行為それそのものに目的を見出した結果であった。

 少女の顔はついに理性が壊れたかのようにあからさまな耽溺を示し、その汗ばんだ体は羞恥を過去に置き去ったかのように恍惚を隠さない。二人は生き物にあらざる境地に達していた。

 そして迎える絶頂のとき。少女も時を同じくして、快楽に身を任せて蛇のような白き脚をおれの体に巻きつかせ、いよいよ獲物を捉えて離さない 蜘蛛ぐものようであった。おれは自らの体内現象と少女の捕獲とにつられるがまま、その濁った快楽の表象たる白を少女の真に吐き出した。それは長い時間のようで、しかし数瞬すうしゆんの出来事でもあった。


 やがて吐出の余韻の波が引いた時、ふとしておれはわけの分からぬ虚脱感に襲われた。それは生きているうちの経験のなかで最も死に近く、そしてすでに経験したことのある虚脱でもあった。

 何をいまさら。最初から分かっていたじゃないか。

 自分の芯も核もないおれに、こんな夢見心地な経験があろうはずがないのだ。それを変に分からないふりをしてごまかし、やっと覚えたのはいつもと変わらぬ虚ろな思い。


 薄手の白いカーペットの上には、生の虚しくて死のように濁った、白の不浄が浮いていた。

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