徳川家康の嫁に転生しても殺されるのは御免です

茶利ちゃり子

第0話 幸せからの転落

私は今、幸せの絶頂にいる。

何故なら彼氏いない歴=年齢だった私が初めてデートをするのだ。


趣味に生きてきた人生だったが、家族に背中を押されて婚活を始めた。サイトや紹介所に登録し、いろんな男性と連絡を取るようになって2ヶ月。時間をかけて悩みに悩んだ人と人生初のデートである。


デートの日取りが決まってからすぐに美容室へ駆け込んで髪を整えてもらった。普段は行かないお洒落な店で全身コーディネートしてもらったのも初めてである。


今日は早めに起きてシャワーを浴びて身支度を整えた。メイクは婚活を始めた時から2ヶ月勉強して練習したので完璧である。気合を入れすぎないようにナチュラルに仕上げた。ドレッサーから立ち上がった拍子に私の足元に積み重なっていた漫画が倒してしまった。


有名な武将の織田信長 おだ のぶながが表紙の漫画が目に入る。最近読んでいなかったし、今度古本屋に売りに行っても良いかもしれない。


他の漫画と一緒に足元から机の上に移動させると鏡で全身を確認して、家をでた。


普段は履くのが億劫なヒールの靴も足元が軽く感じる。毎日通勤で通る駅までの道もいつもより輝いて見えた。


駅前の大きな交差点。待ち時間が長い歩車分離信号も、流行りのラブソングを聞いていたらあっという間だ。青信号に変わって歩き出してすぐに携帯が震えた。画面を開くと、「家を出ました。会えるの楽しみにしています。」と彼からのメッセージが届いていた。


返信をしようと画面に指を滑らせると悲鳴が耳に入る。


「キャー!」

「危ないっ!!」


…え?

驚いて顔を上げると、そこには黒いステーションワゴンのフロントガラスが目の前にあった。動く暇もなかった。


(あ、死ぬ)


そこからは意識がない。


痛かったのかもしれない。


どうなったのか何も分からない。



ーーーーー



スー。スー。



スー。スー。



自分の呼吸の音に気づくまで、私は長い間意識を手放していた。


(あれ?生きてる?)


スー。スー。


自分の鼻息がわかる。


ドク。ドク。


自分の心臓の音がわかる。


身体は重くてうまく動かせない。


事故で意識不明になってたからだろうか。

まぶたも重い。でも、早く動き出さなくては。


家族に、自分は無事だと知らせなくては…。会う予定だった彼にも行けなくなったことを伝えなければ…。と、必死に目をあけた。


そこには綺麗な目と鼻筋が整った端正な男の顔があった。


「起きたか!良く寝ておったのう。目覚めはどうだ?」


私の頬を撫でるその男の顔を私は知らない。家族でも、医者でも、看護師でもない。平安貴族のような縦長い黒い帽子を被った不審者である。


(誰!?)


変な喋り方をする美男をじーっと見つめた。肌は白くて透明感があり、20代に見える。こんな俳優いただろうかと必死で記憶を探るが心当たりはなかった。


「あ、え。」


「凄いぞ!もう喋りおった!」


言葉が声にならない。『貴方は誰ですか』と言ったつもりが変な声になってしまった。


安定しない重い頭をゆっくり動かしながら周りをキョロキョロと見渡すと、男の周りにも華やかな着物を身につけた者ばかり。天井も壁も白い病院ではなく、綺麗に彫られた欄間や鮮やかな絵が描かれた襖がある和室だ。


映画か、ドラマか、果たして夢の中なのか。事故の衝撃で脳でもやられてしまったのだろうか。


苦笑いする私をじっと見つめた男は、口角を上げて機嫌がいい。


「初めて見たが、なんと愛らしい顔ぞ。いずれ見目麗しきおなごになろう。将来、娘として迎えるのも良いかもしれんな。」


「殿からそのようなお言葉…。有り難きことに存じます。」


私を見つめる綺麗な顔の男はなんとも偉そうだ。下から見上げることしか出来ない私はこの男に抱き抱えられているらしい。動こうとしても手足が短く、体も思うようにならない。


偉そうな男が私を、腰の低い別の男の腕の中へと移動させた。


なすがままの私はどうしようもない。


「瀬名、海道一の弓取りである殿のお言葉、忘れるでないぞ?」


(はい?)


「あ、いっ。」


「良い返事だ。また会おう。」


返事をしたつもりはないが、そう捉えられてしまったらしい。殿と呼ばれた男がにこやかに笑いながら出ていった。


殿は海道一の弓取り…。今、私を抱いている男の言葉が耳に残った。以前読んだ漫画に載っていて、覚えていたからだ。海道一の弓取りと言われた男で記憶にあるのは二人。


今川義元いまがわよしもと」と「徳川家康とくがわいえやす」。


先程、私を抱えていた男の平安貴族のような格好からすると今川義元ではないだろうか。


ドラマで麻呂眉姿の今川義元を見たことがある。たしか、公家かぶれだったはずだ。


だが、私の中の今川義元像はこんなに若くて綺麗な男ではなかった。


ここは戦国か、はたまた違う世界へと来てしまったのか。信じられない私は呆然と男の足音を聞いていた。

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