ひと目あなたに

山田貴文

ひと目あなたに

 彼はぼくの親友だ。あり得ないぐらいのいいやつで、いつも自分より人のことを気にかけていた。性格は陽気でさっぱりしていて、ルックスも悪くない。こんないい男はいないと思うのだが、なぜか女性にはそれほどもてなかった。

 そう。女性にもてるのはもっと影があったり、何を考えているのかわからない男だったりする。ぼくはどちらかと言えば、そっちに属するタイプだ。女性はなぜかぼくみたいなくず男とくっついて遊ばれたり、捨てられたりするのだから馬鹿な話である。ただ、これはお互いさまで、女性から見ると、男はなぜあんな女にと思うことが多々あるそうだ。

 話を戻そう。彼は今、死の床についている。馬鹿なやつだ。ぼくをかばって銃弾を浴びるなんて。

 ぼくたちは陸上自衛隊の隊員で、PKOの一員として内戦の続く国へ派遣された。そこでパトロール中にゲリラの待ち伏せを受けたのだ。いち早く気づいた彼はぼくに覆い被さるようにして何発も弾を受けた。

 ぼくも無傷では済まず負傷して、彼と共に日本へ後送され入院した。だが、ぼくの怪我は彼と比べものにならないほど軽く、一ヶ月ほどで退院できた。

 世の中は間違っていると思う。ぼくみたいなくず男が生き延びて、あんないいやつが死にそうになっているだなんて。

 彼の容体がいい時は見舞いをして、少し話をすることができた。日本の病院で最初に会った時、彼は微笑みを浮かべながらこう言った。

「おまえには借りがある。少しは返せたかな」

 借りとは彼女のことだ。海外派遣に行く前、ぼくがにセットした合コンに来たのが彼女。そこにいるだけで場が華やぐ美人だった。彼がひと目で恋に落ちるのも無理はない。猛アプローチの末、派遣前に一度だけデートをすることができた。彼はよほどその日が楽しかったらしく、微に入り細に入り何度もぼくにその日のことを何度も話してくれた。天気。遊びに行った場所。二人の服装。何を食べた。どんな話をした、等々。目をきらきらさせ、頬を赤く染めて。彼にとって、それは間違いなく人生で最高の一日だったのだ。

 だが、海外派遣当初は彼女からメールの返信が来ていたようだが、その間隔は次第に空いてしまい、ついに全く来なくなった。彼は深く落ち込み、悩んだ。ぼくたちがゲリラに襲われたのはちょうどそんな時だった。

 ただ、死が一歩ずつ近づいている今、彼からはすべてのつらい記憶が消えていた。過酷な訓練、任務、そして自分から離れていく彼女。彼の記憶の一番手前には、あの楽しかったデートがあった。まるで、それが昨日のように。そして、明日もまた会えるかのように彼女を想い続けていた。

「彼女は本当に美人だ」

「あんなに優しくて性格のいい子はいない」

 全身をチューブでつながれ、包帯だらけの彼は何度も不自由な口で言った。

 ぼくはそれを聞くたびにいたたまれない気持ちになった。彼は彼女を美化しすぎている。美人は確かだが、ぼくは彼女が優しくなくて性格もよくないことをよく知っていた。

 なぜなら、ぼくは彼女と付き合っていたからだ。合コンの翌日、声をかけると彼女はすぐについてきた。そしてすぐにぼくと寝た。純情そうに見えるのは外面だけで、実はがさつで底意地の悪い女だった。聞きもしないのにこれまで付き合った男の話をあけすけにするようなやつである。それも何人も。そう、清純な彼女は彼の想像の中にしか存在しなかった。

 彼とのデートは、あまりに彼が惚れ込んでいたので、一回だけ付き合ってやってくれとぼくが彼女に頼み込んで実現したものだ。

 容姿の他にある彼女の数少ない長所は外面がいいところだった。美人として人生を送るうちに身につけた技だろうか。表面的な付き合いでは彼女の本心がわからない。彼は彼女もデートを楽しんだはずだと言っていたが、実は全然違った。彼の渾身のデートプランは彼女にとって極めて退屈だったようだ。デートの翌日に笑いながら彼の垢抜けないセンスを嘲った彼女をぼくは心から憎んだ。この女の人間性は最悪だ。

 でも、別れられなかった。間違いなく一生を共にする相手ではないのに、今は別れられなかった。そう。笑って欲しい。ぼくは彼女の顔と体から離れることができなかったのだ。

「メール来てねえか?」

 彼を病院に訪ねると、スマホのメールチェックを必ず頼まれた。彼女のメールを心待ちにしているのだ。だが、来るはずがなかった。彼女は彼にまったく関心がないのだ。見舞いどころか、メールひとつ送る気は全くなかった。たとえ一度デートしたことがあったとしても。たとえ自分が付き合っている男の身代わりになって死の床についていようと。そんなやつだった。

 彼の命の灯がまもなく消えようとしているのは誰が見ても明らかだった。彼はぼくの代わりにこの世から消えようとしていたのだ。意識も混濁し、口にする言葉も意味不明なものがだんだん多くなってきた。

 ある日。彼の病室に行くと、彼がわずかに動く手で手招きをした。顔を近づけると、必死に何かを語りかけている。ぼくに質問しているようだ。何度か聞き返して、ようやく理解できた。彼はこう言っていた。

「おまえが言っていた、あの店のことを教えてくれ。今度、彼女を連れて行くから」

 こみ上げてくるものがあった。死の床でまだ気にしていたのか。デートの時、話の流れで今度彼が彼女と行こうという話になったレストラン。彼は行ったことがなかったが、ぼくが何度かあると聞いて、詳しく教えろと頼まれていた。

 何てやつだ、あの女。言わなかったのか。彼とのデート前に彼女は行ったことがある。しかも、ぼくと一緒に。こじゃれた店で味も悪くなかったが、彼女は喜ばなかった。そもそも食べ物に興味がないのだ。お腹がすいていないからと料理のほとんどを残した。それなのにその夜泊まりに行ったホテルで、深夜に彼女がコンビニで買い漁ったジャンクフードをむさぼるように食っていたのには心底がっかりした。

 彼と彼女があのレストランでデートすることはないだろうし、したとしても彼が失望するだけだろう。でも、彼にとっては夢であり、希望なのだ。

 ぼくは考えた。彼に何をしてやれるだろうか。残された彼の人生に少しでも何か喜びを与えたい。楽しい思い出と共にこの世を後にして欲しい。でも、彼女を連れて行くのは駄目だ。外面の良さが有効なのは初対面のあの時が限界だ。次は間違いなく本性が出るだろう。ベッドに横たわる彼を冷たい目で見おろす彼女が容易に想像できた。もはや感受性の塊となっている彼は一瞬で状況を察し、失意のどん底に突き落とされるだろう。そんなことができるはずはない。

 悩んだ末、ぼくは自分ができることを見つけた。

 彼女の部屋へ遊びに行った時、一瞬の隙を見つけて彼女の携帯から彼の携帯へメッセージを送った。見られないうちに急いで送信履歴を削除。何食わぬ顔で携帯をもとの場所へ戻した。

 そして自衛隊から呼び出しがあったと嘘をつき、彼女の部屋を後にした。急いで彼の病院へと向かい、病室を訪ねる。

 寝ていた彼の耳元で何度も名前を呼ぶと、ようやく彼は薄目を開けてぼくを見た。

「おい。彼女からメールが来ているぞ」

 ぼんやりしていた顔が一瞬で正気に戻り、喜びに満ちあふれた。

「読んでくれ」

「自分で見ろよ。ほら、これだ」

 ぼくは彼の携帯を彼の顔に近づけ、短いメッセージを読ませた。すると彼の目から涙があふれ出し、嗚咽の声を漏らした。

 その夜。彼はこの世を去った。こんなにも喜びに満ちあふれた死に顔をぼくは見たことがない。

 彼女からと偽って送ったメッセージにぼくはこう打ち込んだのだ。


「会いたいです」


 最初のデートから今日までの不安だった日々は瞬時に吹き飛び、次のデートの楽しみが彼の心を満たしたのだろう。愛する人と共に過ごす時間。

 予定を合わせる。服を選ぶ。店を決める。待ち合わせ場所に来た相手に手を振る。肩を並べて歩く。同じものを食べる。たくさん話す。一緒に笑う。誰にも邪魔されない二人だけの時間。

 そして、それは永遠になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひと目あなたに 山田貴文 @Moonlightsy358

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ